ファイアパンチ 藤本タツキ
生きて
予想する流れをことごとく重量級の斧でぶった切り続ける展開の連続が読むもの立っている場所を揺るがし続け、麻薬のように酔わせる反面、ともすると重く重なっていくテーマはそれぞれに焦点をあてて解釈を試みようとするほどに中心が捉えにくくなっていく。
だから、映画を楽しむように流れに身を任せ、映像体験として味わうのが吉だ。
そうするとおのずと、
ルナが、トガタが、ユダが、去り行く間際にアグニに発した
「生きて」
という言葉が浮かび上がってくる。
この言葉がファイアパンチという物語の根幹だ。
演技、痛み。「私」とは何か、なぜ生きねばならないのか。
切実でありながら、決して答えが出る問題ではない。
今、見えたと思った答えは、
次の場面では通用しない、ままならない。
だから文学や絵画や映画やさまざまな作品で、
繰り返し語られ続けているのだ。
ラストのカタルシスはいい
好みだなあ、と思う。
そう、藤本タツキとは好みが合う。
映像化されるなら、実写映画がいいなあ。
この物語を2時間で語ることのできる編集の祝福者は、きっといる。