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手塚雄二展 雲は龍に従う@そごう美術館

■寛永寺根本中堂奉納天井絵《叡嶽双龍》
門外不出、もう二度と外に出ることのない、なんて言われると見たくなるのが人情である。

数百年を経た天井板に5年の歳月をかけて描かれた龍。

手塚雄二 寛永寺根本中堂奉納天井絵《叡嶽双龍》2020-24

■ここに至るまでの工程をビデオで流していて、それを見た後に改めてみるといろいろな思いが感じられて、しみじみとする。

けれど、これって上から眺めるものでは無いなあと思う。

静けさの満ちたお寺の本堂の天井に仰ぎ見ることで、龍が天上から降りてくる様が直に感じられる、そういうものなのだろう。

きっと、それが数百年の天井板に描かれる巨大な龍の本来の住処であって、想像力をはたらかせてみても、なかなかその情景は心のなかに再現できるものではない。

寛永寺に足を運んだ者だけが、本当の龍を体感できる。

たぶんそれが価値だ。

いつかまた、上野のお山で出会いましょう。

■手塚雄二さんの作品を見るのは今回が初めて。

冬の情景を描いた作品たちが気に入った。

手塚雄二 冬憧 2020
手塚雄二 雪韻 2016
手塚雄二 冬静 2014

冬の光のすべてを洗い流してくれるような静けさが、じんわりと広がっていく。

特に「冬憧」の画面下に流れる川の黒さがいい。

光に敏感な方なのだなあ、と思う。

■美術館をめぐると、ときどき何度も行きつ戻りつしながら、何度もその前に立ち戻り、しばらくその前で佇んでしまう作品に出合う。

今回は、「こもれびの坂」(1996)という作品。

手塚雄二「こもれびの坂」(1996)

はじめは何を描いた作品なのか、よく分からない。
木漏れ日が強すぎて切り通された坂道の輪郭が捉えられないのだ。

このまぶしさ。

木漏れ日のときめきっていうのは、こういうものだ。

溜息がでる。

この感覚は、岸田劉生の「切通しの写生」(1915)とか、ギュスターブ・ドレの「ラ・シエスタ、スペインの思い出」(1832)の前で佇み続けたあのときの感じたものに近い。

なんだか最近、もやもやを晴らすような強い光を欲しているのかな。。。

                     <2024.11.12記>

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