手塚雄二展 雲は龍に従う@そごう美術館
■寛永寺根本中堂奉納天井絵《叡嶽双龍》
門外不出、もう二度と外に出ることのない、なんて言われると見たくなるのが人情である。
数百年を経た天井板に5年の歳月をかけて描かれた龍。
■ここに至るまでの工程をビデオで流していて、それを見た後に改めてみるといろいろな思いが感じられて、しみじみとする。
けれど、これって上から眺めるものでは無いなあと思う。
静けさの満ちたお寺の本堂の天井に仰ぎ見ることで、龍が天上から降りてくる様が直に感じられる、そういうものなのだろう。
きっと、それが数百年の天井板に描かれる巨大な龍の本来の住処であって、想像力をはたらかせてみても、なかなかその情景は心のなかに再現できるものではない。
寛永寺に足を運んだ者だけが、本当の龍を体感できる。
たぶんそれが価値だ。
いつかまた、上野のお山で出会いましょう。
■手塚雄二さんの作品を見るのは今回が初めて。
冬の情景を描いた作品たちが気に入った。
冬の光のすべてを洗い流してくれるような静けさが、じんわりと広がっていく。
特に「冬憧」の画面下に流れる川の黒さがいい。
光に敏感な方なのだなあ、と思う。
■美術館をめぐると、ときどき何度も行きつ戻りつしながら、何度もその前に立ち戻り、しばらくその前で佇んでしまう作品に出合う。
今回は、「こもれびの坂」(1996)という作品。
はじめは何を描いた作品なのか、よく分からない。
木漏れ日が強すぎて切り通された坂道の輪郭が捉えられないのだ。
このまぶしさ。
木漏れ日のときめきっていうのは、こういうものだ。
溜息がでる。
この感覚は、岸田劉生の「切通しの写生」(1915)とか、ギュスターブ・ドレの「ラ・シエスタ、スペインの思い出」(1832)の前で佇み続けたあのときの感じたものに近い。
なんだか最近、もやもやを晴らすような強い光を欲しているのかな。。。
<2024.11.12記>