宇野亜喜良展・東京オペラシティ アートギャラリー
90歳を超えてもなお探求を続けるイラストレーター・グラフィックデザイナー。
昭和40年代へのあこがれもあって見に行ったわけなのだけれど
イメージの幅が広すぎる。。。。
当初思い描いていた感じを大きく逸脱してました。
イメージをきゅーっと心に突き刺さる線やカタチにする鋭敏なセンス
圧倒的な画力
そして外にあるものを何でも吸収して試してみようという貪欲さ
それを60年続けられてきたからこそ、90歳でまったく衰えを知らない質の高さを維持できるのだろう。
1960年代、70年代の作品は豊穣だ。
あの時代の文化そのものが豊穣だったのだと思う。
商品の宣伝も演劇も理屈を超えた元気さがある。
そして知性をことさらに見せびらかさず、むしろ否定してみせながらも、どこか「基礎体力」とも呼べるような知性が時代の底流にあった、或いは「根っこがある感じ」ともいえる安定感が常識や日常を飛び越えてみせるための安心感につながっていたように思えるのだ。
そしてその時代を牽引した先頭集団に宇野亜喜良がいたのだと、今回の展示で確認できる。
宇野亜喜良というと、どこかグラフィックデザインとしてのセンスを感じさせる作品、もしくは最近のどこか少女的な作品を思うのだけれど、展示の中間点に大量に並べられたポスターや書籍のカバー、挿絵などをみると、もうくらくらするくらい変幻自在。この引き出しの多さとそれを使いこなす技術の高さに圧倒される。
日曜美術館での横尾忠則との対談で宇野亜喜良は画家とイラストレーターという話題の脈絡において、「求められているものをいかに表現するかが作品制作のモチベーションだ」というような意味の話を語っていた。我が身の内、こころの内なるものをカタチにしていく芸術家とは一線を引く、職人としてのスタンスだ。
宇野亜喜良のイラストのもつ清々しさの根源は、もしかするとそのあたりにあるのかもしれない。
そして造形作品たち
造形作品は大好物なので、予想外のうれしい出会いだ
寺山修司にも会えたし!(笑っちゃうぐらい寺山修司!)
そして、85歳を超えてこの画力・イメージ力!
画家にしても、漫画家にしても、年をとるとどうしてもその画は変容していくことが多いようにおもう。
それが魅力になることもあるけれど、やはり脂のノッたころの作品のパワーの魅力は強い。
けれど、変幻自在に表現の「技」を変えながらも、「品質」が衰えない。
この魅力。
日曜美術館で横尾忠則が、この歳でこの絵を描くのは「変態」でしょ、って茶化していて、芸術家には変態の要素が、、、みたいな話になってたけれど、来てみて分かった。
あれは「嫉妬」です。間違いありません(笑)。
90歳でこれですもん・・・。
宇野亜喜良さん、
わたしもまだ35年ありますからね。
まだまだ行けますね!
そのためには好奇心と日々の鍛錬。
勇気づけれらます。
どうもありがとうございました!
ご健康にお気をつけて、まだまだ現役で素晴らしい作品を見させてくださいね!