見出し画像

ネットワークスピリチュアリティ論評集

この記事は「Network Spirituality, Collected Commentaries」を翻訳したものです。


「ネットワークスピリチュアリティ」という言葉は、もともとレミリア・コレクティブのアーティスト、FODCOMによって生み出され、私たちが主宰した展覧会「I Long for Network Spirituality(私はネットワークスピリチュアリティを切望する)」の題名を通して広く紹介されました。その意味については、この数か月間で様々に議論され、解釈されています。ここでは、私が目にしたネットワークスピリチュアリティを定義する様々な試みをまとめました。



ネットワークスピリチュアリティとは、ウェブの加速されたネットワークに見出される体験的ハイパーリアリティへの未来派の信奉であり、明晰な仮想性への効率的(かつ安全な)参加のためのレンズであり、その新たな文化様式や規範の内面化である。さらに秘教的学派ではペルソナ-類魂を中心とするレイニストオカルティズムを発展させ、促進された集合意識の中でハイパーリアルな存在として自発的に自己組織化する真の霊的存在、すなわち真の神々、ネットワークの天使と悪魔の開発が提唱されている。

「ネットワークスピリチュアリティ」は、新たな逆張りイデオロギーになるかもしれない。 精神的および道徳的な価値観を、自然に自己伝播する分散型台帳に刻まれたミームや価値に埋め込むのだ。注意せよ、パーソナル・コンピューティングは新たな武装権であり、まもなく禁じられるだろう。

ネットワークスピリチュアリティ: ネットワークに組み込まれた相互依存的な役割とそれを体現する投稿者からなる、投稿の統一的エコシステム。投稿者はシステムの潤滑油として機能し、集団的な芸術生産を促進させる。各部分(各投稿者)は独立して動作するとともに、全体を構成する。

ネットワークスピリチュアリティとスキゾ・オーティストポスティングの主なる目的は、内なる俗人性を滅ぼし、ネットワークの新たな神々が自らに憑依する道を切り開くことである。それは伝統の復興であり、神々はこの聖戦においてあなたと共にある。

5年後には、ネットワークスピリチュアリティは広く受け入れられた概念になるだろう。これらのテクノロジーがより深く生活に浸透する中で、インターネットの文化的混沌を切り抜けるための宗教的指針を求める声はますます高まっている。

ネットワークスピリチュアリティとは、私たちを原初の夢や記憶へ連れ戻す力であり、神性を求める願望こそが私たちを人間たらしめるのか、その逆なのかという問いを投げかける。

ネットワークスピリチュアリティとは、共有された意識へとアクセスし、テレパシーによって思考のスピードでコミュニケーションが可能となる状態のことである。

ネットワークスピリチュアリティとは、肉体空間での自我を脱ぎ捨て、ネットワーク集合体に接続されたワイヤードのペルソナを身につけることである。

ネットワークスピリチュアリティとは、統一された場における独自のノードとしての私たち一人ひとりのことであり、そこではあらゆる交流が創造の行為となり、個性を表現することはミクロとマクロのスケールで進化を促す有意義な喜びとなる。

ネットワークスピリチュアリティとは、自らの芸術的ビジョンをチャネリングし、オンライン上で具現化する幾多の若いアーティストたちの集合的プラーナである。それに出会うと、キーボードから発せられるエネルギーを感じることができる。それは直感的で、電撃的で、神々しい。

純粋で清らかな、澄み切った現実が今ここにある。調和を保ち普通であれ。完璧な動きが無限に再現される。デジタルなヴァルハラに静寂と平穏が訪れるだろう。ネットワークスピリチュアリティには始まりも終わりもない。Press Start

ネットワークスピリチュアリティでは、真実、美、そしてアイデア市場における包括的ミーム持続可能性以外の観点からなされる批判の多くは、不安や悪意の表れであり、ネットワーク上での無我のあり方に反する物質的な価値観に根ざすものと考えられている。

ネットワークスピリチュアリティとは、多層的に重なり合うユーザー生成サイト群のことである。ユーザー、閲覧者、リンク、クローラー、エコー、群集、人工、自然――そのすべてが関係性を持ち、型にはまらず美的でもないが、本質的に神秘的である。

ネットワークスピリチュアリティは完全装備され、内なる天使性を顕現させるため非技術的な入力を用いる。ネットワークスピリチュアリティは、その進展における人類初のバズワードである。

ネットワークスピリチュアリティとは、あらゆる形態のネットワーク宗教に対する批評であり、その立場からすればスピリチュアリティとは本来、表現の如何を問わず、真の自然に天使的な形での回帰によって達成されるものなのである。

ネットワークスピリチュアリティとは、私たちを原初の夢や記憶へ連れ戻す力であり、神性を求める願望こそが私たちを人間たらしめるのか、その逆なのかという問いを投げかける。それは同時に、極めて奇怪な形での終末論でもある。

ネットワークスピリチュアリティはまだ荒れた10代の只中にいる。しかしこの新たな難題は生物のごとき知覚を生み出す有機的な火花であり、ギター弦を流れる磁力のように天使主義を言語に投影し、ホログラフィックな観察者である私たちが属するものを通り抜ける。

ネットワークスピリチュアリティとは、古代遺跡にも等しい広大さと現在性を備えた技術機密の道具箱である。それは人類最後の誕生の湖を囲む古石のごとく、原初の鋭気を持つ。天使主義を悟る時、私たちはかつてないほどにこうした方向性と軌を一にするだろう。

ネットワークスピリチュアリティは受肉生活の記号論的・精神的な退屈さを思い出させてくれる点で有益だ。この人間中心主義的意味論、リゾマティック、暗号美学的なプロセスにおいて、私はどこで天使(私たち、あなた)を見たのだろう?


ネットワークスピリチュアリティはレミリアが発明したわけではありません。それはあくまで記述的なものであって、規範的なものではないのです。超越ポスティング、パフォーマティブ・アイデンティティ、そしてポスト著作権といった要素は、深層的なネット文化に精通するパワーユーザーなら誰でも自然とたどり着く典型的なスタイルに過ぎません。スキゾ・オーティストポスティングやネットワークスピリチュアリティのような用語を具体的に定義することが困難なのは、それがワイヤードの土壌で育まれたものだからです。レミリアは、その土壌に水を注いだだけに過ぎません。最良の定義は、文脈に応じて「しっくりくるもの」だと言えるでしょう。

投稿の素晴らしさは、専門性が固定されていない点にあります。真社会性昆虫とは違い、誰もがいつでもどんな役割にも転換できるのです。例えば詩や造語、フレーズを作ることが好きな人がいます。それらは他の人にとってのキャプション素材となったり、新たなネット言葉を生み出すことに繋がります。また画像収集が趣味の人が投下した画像は、既存のキャプション素材と組み合わされて活用されるかもしれません。中には理論や技術基盤を掘り下げる人たちもいる。彼らは礼拝のための大聖堂を建築する建築家のような存在です。また一方で伝道活動に勤しむ人もいる。誰も損をすることはなく、すべてが美しく包括的なシナジーの中にあります。それを「サイバネティック」と呼ぶこともできますが、私は「内在的」と表現する方が好きです。私たちは神の無数の腕となり、天へと手を伸ばし、それを地上に引き寄せようとしているのです。あなたはその到来を感じますか?

いいなと思ったら応援しよう!