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西郷隆盛と新潟の関係とは

幕末維新に関する有名な偉人の一人、西郷隆盛。
皆さんは、鹿児島に生まれた彼が新潟の地に1か月も滞在していたことをご存じでしょうか?


今回は、そんな意外にもあまり知られていない西郷隆盛と新潟の関係について、皆さんに知ってもらうために取材してきました!西郷が滞在した屋敷跡地にも訪れています。

西郷隆盛はなぜ新潟へ?

西郷隆盛が新潟に滞在していたのは、あの有名な戊辰戦争真っただ中の1868(明治元)年8月です。
新潟に上陸したとき、西郷は300人もの兵を率いていました。

西郷が新潟に滞在した狙いは、敵軍の情報収集が主だったのではないかとされています。

ちょうどこの時期は戊辰戦争の中でも「会津戦争」と呼ばれる戦が展開されていた時期でした。
西郷は会津藩や庄内藩との戦に備え、敵藩領に接する新潟の地で情報を集め指揮を執っていたのです。

西郷隆盛の新潟の拠点!松ヶ崎浜村

新潟にいる間、西郷が拠点としたのが場所があります。

その場所こそが、松ヶ崎浜村の坂井七左衛門家の屋敷です。

現在は屋敷跡地となっていますが、当時の坂井家は新発田藩出身の武家の名家で屋敷も相当な広さだったそうです。
私たちは6月28日に、坂井家の屋敷跡地へ訪れてみました。

坂井家屋敷跡地の案内板

坂井家自体は存在していませんでしたが、住宅跡地にはかつて西郷隆盛が松浜に滞在したことを伝える看板が設置されています。
坂井家が残っていないので訪れたという実感は湧きませんでしたが、看板自体を読んだのは初めてだったので、明治維新を支えた偉人たちがこの松浜を訪れたということが知れてよかったです。

この看板は地元住民が創設した「新潟市北地区歴史文化研究会」が戊辰戦争から150年経つ節目を記念し設置したものだそうです。

太夫浜にある石碑の案内板
西郷隆盛が訪れたことを示す石碑


太夫浜は西郷隆盛が新潟に滞在している間、1~2泊したと言い伝えられている地です。

この石碑は松浜ではなく太夫浜という地域にあります。距離自体は遠くないですが石碑が隠れた場所にあるので、見つけるのが大変でした。また、普通の住宅に石碑が置いてあるということが非常に驚きです。

西郷の偉業と滞在を記念して建てられたこの石碑は一般住宅の庭に建てられています。塀で囲われている庭の一部のみ塀が無く、石碑が道路に顔を出していて、案内板もあってかなり目立つ様子でした。

まとめ

いかがだったでしょうか?

意外と知らない新潟と西郷隆盛の関係についてご紹介しました!

新潟が、日本最大の内戦と言われる戊辰戦争の舞台の一つであったことに驚き、まだ知らない地元の魅力について興味がわきました。

西郷隆盛が新潟に滞在した時のことをより詳しく取り上げた書籍なども販売されていますので、是非ご一読ください!

出典

小島勝治『西郷隆盛、新潟松浜滞陣の謎』(考古堂書店、2018年)
ウィキペディア『西郷隆盛』
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B

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