相手本意

 仕事をしていて、社内社外を問わず打合せがあれば必ず準備をするし、
相手にとって分かりやすい資料作り、あとはここだけは伝えたいという部分を明確にしてから望んでいる。

 当たり前のことだが、どうしても相手本意でありたいという気持ちがあり、これは決して偽善ではないと確信している。

 相手本意でありたい思った背景は、社内同士で通じるコミュニケーションが重視されており、その仕事を初めて行う社内の人間や取引先にはあまり通用しない・理解できないという状況をたくさん見てきたからだ。そんなコミュニケーションなんて許されるわけがない。それが嫌で嫌で仕方なくて、せめて自分は人にわかりやすく伝えたり、意図や意味をなるべく伝えるようにするようになり、相手のことをまず気遣いたいと強く思うようになった。

 今日は営業部門の若手社員に時間を取ってもらって、コミュニケーションを取った。今後の方向性についてヒアリングして、営業部門のやりたいことに関して、実施できるか、あるいは実施できなくても代替案のようなものを出したりして、打合せを行った。すると営業部門からはだんだんと本音が出てきて、営業をサポートする部署(自分が所属する部署のことだ)と営業部門の意向がずれている気がして相談しづらいとのことだった。具体的な戦略やそのズレ、そのズレを修正していくためにこちらとして何ができるかを伝えたが、何よりもまずそう思わせていることについて、お詫びをした。
 
 今後も具体的に実施したいことを伝え貰いたいし、多少抽象的でも問題ないので、やりたいことがあれば、いつでも相談してほしいと伝えた。若手がコミュニケーションがとりづらいというのは本当に最悪だ。

 早速明日から各営業部門に声をかけて、ヒアリングをしてみる。きっと同じことが起きている。自分から相手本意でありたいという在り方をどんどん体現して、改善していくのみである。


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