見出し画像

草木雑踏捕物帖2 白衣の吐く息に頬を濡らして 前

 

  窓を叩く雨粒に、ライトアップされた街が遠くにじんで見える。今年の冬は記録的な暖かさで、例年最深積雪が20cmを超える町でもこの有様である。バスのドアが音を立てて開くと、雨がアスファルトを穿つ音に混じって微かにクリスマスソングが流れてきた。我らがN市公園管理課の同僚、柴田がこの停留所で乗ってくるはずだ。間もなく、山伏と落ち武者を足して3で割ったような男が乗り込んできた。
「手に下げてるものはなんだ、柴田」
「見ての通り、数珠ですよ。雪女が出るんでしょう。」
いくら心霊現象の調査のためといえ、こんな陰陽道に通じてそうな男が隣に座ってくるのは流石に気持ち悪い。バスが出発した。
「年に一度の聖日にこんな天候では、数多のカップル達も涙と雨粒で頬を そそぐことでしょう。」
「草に枕し水に漱ぐ。どうも出会いに恵まれた幸せ者たちには頭でっかちが多いようです。そう思いません?」やけに威勢のよく多弁な柴田に適当に頷いて俺は携帯を開いた。
     〈〈  絵名 着信拒否 3件  〉〉
一呼吸おき、俺はため息をついて画面を閉じた。横で柴田が目を剥いていた。
「ガ、ガラケー!!??僕、自分のスマホ持ってきてないけど大丈夫かなあ、、」黙れ機械小僧。俺の脳には情報機器利用者ライセンスなんぞの代わりに先代より受け継いだ山勘がぎっしり詰まっている、筈なのだ。

  いつもより賑やかに日の暮れていく街を遠目に、バスはどんどん黒い峠道を登っていく。
「雪女のストーリーってどんなんでしたっけ」
「え、ああ、昔話のやつか。確か雪山で遭難した二人の男がいて、1人が雪女に殺されて、もう1人が誰にも口外しないという約束をして一命を取りとめるんだよな。しかし数年後に男が約束を破って…どうなるんだっけ。」
「やめてください怖くなってきました。」「誰が言い出したんだよ。」
      まもなく物々しいギイという音を立ててバスのドアが開いた。今回の目的地、標高576m 銚子山 ちょうしやま公園の登山口である。
 「ここの山頂が毎年この時期に「雪女」の目撃情報が多発している銚子山公園らしい。」
「クリスマスに人を出勤させるのも彼女の仕業ですかね?」

  そうこうして、もう既にこずえが闇に包まれつつある登山道に足を踏み出した。落ち葉を踏みしめて霧がかった小道を歩いていると、ふと素朴な疑問が沸きあがる。
「なんで幽霊って昼には出ないのかな?」
「そう簡単に見えちゃ怖くないじゃないですか。日本の霊は潜在意識の中に潜む魔物です。つまりは見えない幽霊であって。」
「見えない幽霊…であって、」
言の葉を繰り返してみる。古びた休憩小屋から滴り落ちる雨だれが軒下で駆けずり回っていた。

  標高がだいぶ上がったのか、徐々に水滴にみぞれが混じり始めた。
「こんなに雨降ってるのに果たして「雪」女は出るのでしょうかねえ。」
重たげに降る白い粒を眺めながら冗談を交わしていると、遠くの斜面の方から細い声のようなものが響いてきた。ぎょっとして顔を見合せる。いや待て、もし生身の人間だったら放っておけないかもしれない。
「行くぞ。」
相当に現実逃避的な考え方をしつつ、腰の抜けそうになるなか歩道をはずれて斜面に回り込む。どうやら向こうに池が見え、声はそこから響いてくるらしい。見ると、本当に人間だった。彼は自分たちを目に捉えるとやっとほっとした顔をして、「引っ張り上げてくれませんか。」と言った。どうやら池のほとりに落ちて、急斜を登れず身動きが取れなかったらしい。そして、見る限り4、50代くらいの男性は上に上がるなり話し始めた。
「あの、私柏木と言いまして」
「自己紹介は結構ですので、どうしてこんなところに?」「雪の結晶の観察が趣味なんです。山まで行けば結晶が見られると思ったんですが、生憎のみぞれで。」
「それはそれは 。身内の方に連絡はつきますか?」
「荷物は池に落としてしまって ..」
柴田が目で俺にケータイ使えるか、と合図してくる。俺は画面を開いて一言、「充電がない。」と。
いよいよ淋しい風が吹いた。


  仕方がないので、とにかく遊歩道に戻ることにした。まもなく柏木が遅れをとり始め、「ち、中高年にもやさしく、、」とゼイゼイ言っている。実の所、自分たちも動悸が止まらなかった。いつになっても遊歩道が見つからないのだ。間もなくして、追い打ちをかけるように方向感覚も無くなってきた。助けも呼べない。とうとう柏木が座り込んでしまった。
  「少しここで休むか。」
行く当てもなかった。
 ごうごうと黒い木たちが夜に向かって両腕を広げて吠えたてている。柏木と柴田は喉が渇いたなどと言ってどこかへ行ってしまっている。風のほかはあまりにも静かな夜だった。切り株に腰かけると空を覆う枝葉が今にもしたたり落ちてきそうに感じられた。
   
  その時であった、向こうから二人が全速力でかけてきたのは。
「で、出たーーーーーっ!!」
「ゆ、ゆ、ゆき、」その尋常ならぬ雰囲気に自分も反射的に立ち上がる。俺が咄嗟に身構えると、二人は自分の後方にまわり、自分が一番前で雪女と対峙する格好になった。「ど、どこだ?」後ろにさがりながら聞くと、二人とも「ほ、ほらあそこに」「あ、あ、こっちに来る」などと叫んでいる。二人の指差す方向にはただ木立に沈むような暗闇があった。胸が縮むような心地がした。今にも夜と共に迫ってくる見えない雪女の足音が聞こえてきそうだった。ひた、ひた、ひた、ひた  「うわあああああああ!!!」俺は半ば半狂乱になりながら手を後ろのポーチに....宙を掴んだ。
「え??」
振り向くと、柴田が手の下でポーチをヒラヒラさせている。「やっとボロを出しましたね。」そのまま中から俺の携帯を取り出す。
「か、返せ!」
「ダーメです。私たちを生き殺しにしようとした罰ですよ。」
「い、いやそれは」
「でも今実際どっかに連絡しようとしましたよね。怪しいとは思ってたんですがね。


本当は使えるんでしょ、ケータイ。」


どうっと強い風が吹いて黒い木たちが一斉に悲鳴をあげた。白い、真っ白な時間が続いた。柴田は、俺の携帯を勝手に いじっていた。柏木が、目で俺に指示を訴えている。それで、俺は全てを観念して事情を打ち明けることにした。「柴田、携帯の一番上の履歴を見てくれ。俺にとってとても大切な人だ。」

    彼女、絵名はあと一ヶ月も経たないうちに引っ越すことになっていた。今日が実質最後に会える日でもあった。公園管理課に断れない仕事が舞い込むまでは。一応、精一杯上司を説得はした。最後に、せめて彼女を哀しませたくなかったので風邪で療養だと伝えておいた。公になるような事態があれば、当然彼女の耳にも届く。
ゆえにどうしても、救助を呼ぶことは、出来ない。

  そこまで言い切って、俺は極めて我田引水な自己の事情に巻き込んだことを精一杯謝った。
柴田は言った。
「なんだ、そんな事なら早く言ってくれれば良かったのに。
今からでも間に合いますか、それ」
「...へ?」
情けない声が出た。
「貴方が良ければ、私もご迷惑をかけたお礼として少しお手伝いを、…こんなつまらない妙な中年ですが。」
柏木は静かに笑った。
はるか遠くに木々をぬって、クリスマスに明け暮れる街の灯りが見えた。
       
               〈後〉  へ続く








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?