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草木雑踏捕物帖2 白衣の吐く息に頬を濡らして 後


  向かい風がびゅうと吹いて、コートの端がめくれ上がる。「道案内って、方角わかるのか!?」「僕にも分かりません。」柴田の絶望的な勘に従って山を下り続けると、とうとう荒れ果てて畑だか果樹園だか分からない荒地に着いた。全員びしょ濡れでほそい農道を下っていくと、作業じまいをしていたお婆さんが百鬼夜行のパレードでも見るような目で唖然としていた。

  麓の国道にやっと出て、そのまま夜風の寒さに体を寄せ合いながらタクシーを待った。まもなく空全体の冷気が浮き上がるようにふわふわと白い粒が戯れ始めた。雨が次第に雪へと姿を変えていくのだ。風が吹いて、タクシーが着いた。我先にと乗り込む。絵名の住所を告げて、出来るだけ早く頼みます、と言うと
「うーん、市街地はクリスマス渋滞が凄まじくてねえ、なるべく混んでいない道を通るけど、」
 と言われた。そうして三人にも微妙な焦燥感が流れ始めた頃であった。俺の携帯に上司からメールが入った。
〈大雪警報が発令されたが、クリスマスの路上特別警戒で警官が足りないため公園整備課として公園の見回りに行って欲しい〉
という事である。
「そんなあ〜、、」
俺が他人の予定を顧みない上司に憤りを隠せないでいると、柴田が言った。
「じゃあ僕が代わりに行っておきましょうか?」
本日2度目の大恩義である。柏木も少し考えて
「僕も彼に同行するので貴方は絵名さんに会いに行ってあげてください。」と言う。
「まずは見回りに行く公園を確認しましょう。」
メールには「昼神公園➝木ノ下公園➝貝塚公園➝江島公園➝瀬川公園」の順番に指示が来ている。とにかく地図がないとどうしようもないので、近くのホテルのロビーで有り難く周辺のパンフレットを頂いてきた。そこでやっと俺は二人にぺこぺこ頭を下げながらタクシーを降りた。

  別のタクシーを探してあてもなく歩き回りながら、地図を開く。違和感は、さっき目を通した時からあった。まず順番がおかしい。別にその通りに動く必要はないが、指示されたものだと行ったり来たり、道に迷った人のGPSのように交錯している。絵名の家とも真反対である。それからなぜか全ての公園が線路沿いに位置しているのだ。もう少しで何か分かりそうだ。数え切れない問いが頭の中で浮かんで弾けて消える。思えばそもそもこれまでクリスマスに出張なんてことは無かった。動くのにあまりにも不便な日だからだ。さっきの運転手も「市街地はクリスマス渋滞が激しくてねえ、、」と...そうか、誰かが渋滞で移動が滞るから隙あらば電車に乗ろうと企んでいるんだ!となると相当な事情があるのには違いない。そしてその人物は俺たちに対しては時間を稼がせている。さっきの不自然な公園見回り命令もその人が関係しているのかもしれない。つまるところタクシーに乗った人の中で、俺が絵名さんに会いに行くことを知っていて、尚且つそれを阻止する動機のありそうな人物として思い当たるのは一人しかいなかった。柏木だ!!
慌ててさっき降りた辺りを振り向くと、とっくに二人を乗せたタクシーは消えていた。どうする!?頭の中で巡るましく思考をめぐらせる。向こうがこっちを嵌めようとしている意図がわかった今、絵名の家にのこのこ出向くのはあまりにも危険ではないか。しかし二人の乗ったタクシーを追いかけるにはあまりにも遅すぎる。それにしても何のために?何時になっても結論は出なかった。夜の底が白く染まっていた。川端にも満遍なく白い絨毯が敷きつめられている。いつの間にか人通りのほとんどない暗い小路を歩いていた。俺は立ち止まり、静かに息を止めた。奥の電灯の下、生垣の影に寄りかかるようにして、黒い髪が顔を覆っていたが、確かにそこに白衣の女性が立っていた。
  
   女性にも関わらず、背丈が同じくらいあった 。近くで見ると、思ったより年老いている。手に何か紙のようなものを持っている。こわごわ近づいてみると、住所のようなものが書かれている。妙に見覚えのあるものだが、思い出せない。もう片方の手を見ると、何か大きな白い袋を持っている。小さな声でぼそぼそと「い、いとま..」と何か言いながらそれを差し出した。な、なんだこれは。俺にサンタクロースにでもなれと言うのか。黒い髪の奥の顔は暗くて見えない。遠くで微かにクラクションが鳴った。
 
 「お、お兄さん大丈夫ですか!?」
車のクラクションが近くで鳴った。うつ伏せに雪に埋もれていた俺ははっと身を起こす。道の十字路にタクシーが止まっており、中から男の人が出てきた。近くには、白い袋と住所の紙が置いてあった。「道に迷ったんですか?」あまりに寒いのか男は鼻の頭が赤くなっている。俺はリュックから赤いジャケットと帽子を引き出し、被った。同時に白い袋も背中に背負う。ものすごく重い。子供の夢がいっぱい詰まっているのだろうか。とにかく俺はこの住所がどこであったか完全に思い出した。「この紙に示してある所に向かってくれ!」

そしてタクシーは柏木絵名の実家へ向かって出発した。
 

「ふぅー、」
柴田は一度ショベルを地面につき刺してため息をついた。衝動で「江島公園」の古びた石看板から雪塊がつーと滑り落ちた。
「いくらなんでも二人で公園の東屋の雪下ろしをさせるなんて酷すぎますよね、柏木さん。」
返事がないので、振り返った。ただひとつ、半分埋もれた雪下ろし棒が音もなく置き捨てられていた。
 
 
  人通りのほとんどない静かな丘の頂上近くにその広大な屋敷はあった。俺がタクシーを下りると、なぜか運転手もついてきた。滑らかな花崗岩の表札には、「柏木」と楷書で刻んである。門前のインターホンを押すと、返事はなく音もなく玄関の明かりがついた。俺は門をくぐって庭を奥へと進む。突然ガラガラと扉が開いて、俺は足を止めた。柏木であった。たった3時間前とは別人のような威厳を見せ、そうして口元に引きつった笑みを浮かべていた。
「待ちくたびれたじゃないか、花婿気取りくん。どうしたんだいそんなふざけた格好して。」しきりに俺を部屋に入るよう勧めたが、俺は断固として玄関に居座った。
「貴方が絵名の父だったんですね。それで俺と彼女を引き離そうと」
「初めから公園整備課とかいう得体の知れない部署の人間と親しくするのには断固反対だったんだよ。それで娘には悪いが引越しをさせることにした。雪女の噂を使って、上司に君たちを銚子山に出勤させるよう取り計らったのも私だよ。幸い公園管理課の課長もそんなに高くない相場で応じてくれてね。それで満を持してお前らの様子を見に行くつもりが自分が遭難してしまったわけだ。ハハハ。」
「下らない。早く絵名に会いに行きます。」
きっと振り返って見ると、喉の手前まで声が出かけた。門の狭い入口を覆うようにして、さっきの運転手が腕をまくって待機していた。
「この通りだよ。わざわざ自分から入ってきた蜉蝣 かげろうを逃がしはしない。まあ大人しく今夜は口が裂けるまで語り合おうじゃないか。」
柏木はいよいよニヤニヤと笑っている。
「雪女のストーリー、知ってるかい。」
「知りません。」
さっき実物に出会ったばかりで、雪女と聞くと非常に生々しく浮かび上がってくる 。
「男が約束を破って雪女のことを話したとき、雪女は実は彼の妻であった。約束を破った男は雪女に、子供を殺されるんだよ。君が大人しく別れることを私との“ 約束”だとすれば君が身分不相応にもがき続けることで、私はお前の一番大切なもの、絵名を奪う。完璧じゃあないか。」
俺は彼の話を聞くふりをしながら視線をさまよわす。くそ、どこにも出口がない。救いを求めるように白い袋を開くと 、用途も分からない白い粒がぎっしり入っていた。いよいよ絶望的である。武器になるようなものは、、庭の中央には四畳半はあろうかという巨大なトレイが目を引いた。もう既に雪が5cmほど、、ん?

あ、雪ってそういう事か!

「ところで柏木さん、この袋に何が入っているか分かりますか?塩化カルシウムですよ。」
そう言って袋を持ち上げてトレイの方に傾ける真似をする。彼の目の色が変わった。
「え?なんで?おい、待て、俺の採取物に触るな!!」
「遭難した時も言ってたけど、本当に雪の結晶の観察がお好きなんですね。アクリル樹脂に詰めて永久保存したりしてるのかな?」
そう言いながら、さらに融雪剤を高く掲げる。
「大変ですねえ、今年はもう降るか分からない貴重な研究対象が一睡の夢に消える訳ですから。」
柏木が手を伸ばしつつも声を枯らして叫ぶ。「おい、坂東何してる、早く取り返せ!!」門の前で待機していたさっきの男がひどく戸惑ったような様子を見せて俺の方にかけてくる。「うおおお」俺は袋の口を全力で引っ張り、袋の端を持つ二人を引きずる。坂東と呼ばれた男が前のめりに倒れて、俺の脇腹を肘で殴った。俺は呻いて手を離す。とその時、二人の手が一瞬止まった。遠くからサイレンが近づいていくる。パトカーはやがてこの家の前に止まった。

  うだるような沈黙を置いて、バン!と扉が勢いよく開いた。柴田がいた。
「柏木さん、公園整備課長との賄賂の疑いで警察からお話があります。」
柴田は通信が途絶えた動画のように静止している二人をよそに、そのままつかつかと歩み寄り、俺の横をすれ違いざまにそっと耳打ちした。
「もう1人、大事なお客様が来ているようですよ。」
俺は頷いて、静かに門の方へ歩き出した。
  
恋人たちはその手を取り、また次第にまどろむ月の彼方に微かに潜むトナカイを探したりする。そんな長い長いクリスマスイヴが終わろうとしていた。あの中に先刻、二人も溶けていった。残った柴田は静かに公園のベンチで足をぶらぶらさせていた。鳩が彼の足元に近づく。彼はその丸い目に顔を近づけながら言った。
「雪女って複数物語のパターンが存在するんですよ。子供の命を奪うやつも有名ですがね、もう片方は雪女自身が消えるんです。雪女は彼等があまりにも幸せそうだったので手をつけられなかったんですよ。ねえ、今宵は月がこんなに綺麗でしょう。」
通りすがりの二人組が月の裏側から来た異星人を見るような目で一人で喋り続ける彼を眺めていた。

 
  
 
 



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