記録写真から写真作品へ
写真を撮る目的は様々あって、人によって異なるだろう。また、自分の中でも写真を撮る目的は流動的に変化する。
自己紹介の記事で、京都の寺社仏閣巡りの記録としてカメラを購入し、本格的に写真を始めたと述べた。このように私の写真は記録写真からスタートした。旅のお供として、記録の手段としてのカメラ、写真という立ち位置である。状況が写真に写されていれば十分なので、カメラの細かい設定をあまり考えずにオートで写真を撮る。写真を見返しても、その写真の仕上がりを気にするというよりは、この場所はよかったなとか被写体から想起される思い出の方に思考がいく。つまり、記録写真は何が撮れているかということが最優先される。
私はこの記録写真の先に写真作品が存在すると考えている。記録写真をしばらく撮り続けていると、自身の心に突き刺さる写真がポツポツ撮れ始める。そうすると次はもっとこう撮りたい、自分なりの表現を突き詰めたい、新しい表現を生み出したいという欲求が出てくる。単に写すだけでは満足できなくなるのだ。こうした欲求に応える為に機材を更新したり、写し方を工夫したり、観察力を鍛えたり、表現を追求したりする、これらの努力過程のもとに撮れた写真を私は写真作品と位置付けている。写真作品は自身が撮影時に込めた、感じた思いや表現意図が写真に反映されているかを重視する。
現代ではほとんどの人がスマホを持っており、ー億総カメラマン時代と呼ばれるほどカメラ機能や写真は身近な存在だと言える。しかし、撮られる大部分は記録写真であろう。少しでも写真に興味をもって、折角カメラ(写真機)まで購入した人は、単なる記録写真だけに留まらず、写真作品を目指してみよう。そうするともっともっと写真が好きになるはずだ。