産後危機を乗り切るためのNEUTRALルート
男女論界隈は今日も燃えている。この界隈はツイッタランドの火薬庫と言っても過言ではないが、中でも育児関連は殊更に阿鼻叫喚である。地獄のフタを開けてちょっと覗いてみよう。
とまあ、こんな感じあつ〜い焦熱地獄が日常的に発生しているわけである。旗のついた地雷を踏み抜いてさながら人間花火と化している彼に同情するかどうかはともかく、こうした凄まじい火力を前に俺は絶対に子供なんか作らない、と思った男は一人や二人ではないだろう。
しかし世間はこれに引くでもなく女たちにだけ同情的だ。男に反論は許されない。こんな能天気な台詞を吐くでもなく、仕事をしながら可能な限りの時間を捧げて努力をしても、何かのアラなりお気に召さない部分があればこの調子でぶちのめされても已む無しというのが世の中の風潮だ。こんなもの男女逆転したら一瞬で真っ白な灰にされること請け合いだが、最近LGBTカードを切って離婚逃亡した某モデルのように、この流れに乗っかってうまくやれば商売にさえなるのが今の時代である。
こんな現状に対しアンチフェミの一派は奴隷道徳を捨てて暴力性を身につけろと呼びかける。実際「有害な男らしさを捨てろ」という声を真に受けた若い男を待っていたのは草食系叩きな訳で、このまま自己去勢した挙句雑魚オスとして不快害虫のハコに放り込まれるくらいなら旧来の「暴力的な」男らしさを取り戻し、体も鍛えて暴力のポテンシャルと匂いを身に付け、女のご都合主義にも従わず真顔で対応するべきだと彼らは主張する。結局女は口では何と言ってもテストステロン値の高そうな男の暴力性に惹かれるんだから――という訳だ。
これは主に恋愛フェーズの話をしているのだが、育児フェーズに話が及んでも論調はあまり変わらない。ガルガル期の女の要求を忠実に受け入れて限界まで努力したところで「格下」と見られて「負の性欲バリア」の最外縁である不快害虫の階層に蹴り出され、イヌ以下の経済動物にされるのがオチなので、理不尽な要求は受け付けない。そして男の経済労働の貢献価値を否定するような事を言ってきたら張り倒してでも押し返すべし。そうして家長の地位を死守してこそ正常に父性を発揮して母性と両輪揃った健全な家庭が築ける、という理屈だ。
結論から言うと、筆者としてはこの理論は「惜しい」と思う。
女の古い本能は無意識に男を格上か格下か測っており、格下と見られれば最悪の場合、不快害虫扱いされて何をしてもダメになるからナメられるな、というところは正しい。豹変した妻に圧倒されて主導権を明け渡せば「母の感情」が家庭の法律になる歪んだ流れを作り出すという指摘にも吐き気がするほど同感だ。ただ、「格付け」の指標は恐らく「暴力性そのもの」ではなく、それ故にそのままでは現代の育児フェーズに対応するのは難しいだろうと筆者は見ている。
薬効が判明している毒草
そもそも自分たちの不快感情に合わせてこまごまと「男の暴力性」を言挙げし、都合よく「有害な男らしさ」だけ去勢しろと叫ぶフェミニスト諸氏の尽力に加えて、結局その「去勢」が女性の求める「望ましい男らしさ」の範囲も巻き込んでいることを揶揄して全てを「暴力性」と呼んで見せるアンチフェミ諸氏の露悪趣味により、界隈では「暴力性」の定義が果てしなく拡大している。
そこに含まれる多くの要素には重要性が高いものも低いものもある。例えば弱さからくる鬱屈した加害性のような「強い生き物」の指標にはならない(しかも割ときっちり弾かれている)「暴力性」もある。あとは単純な粗暴さみたいなのも――「本職」ならそれすら武器になるのだろうが――あまり強さの指標として拾われているようには見えない。
そんな訳で筆者としては「暴力性」は薬効が判明している毒草のようなものだと思っている。正しく応用するには有効成分を特定して抽出する必要がある。そして「暴力性」が女の古い本能をハックする生薬だとしたら、それを扱う医師や薬剤師に相当するのはホストやナンパ師だろう。そして好都合なことに、彼らには恋愛工学という再現性のある集合知を集積した「医学書」がある。あまり深入りするのはお勧めしないが、この知識を参照してみよう。
「おもしれー男」
ところで石を投げないで聞いてほしいんだが、実は筆者はあまり恋愛工学には詳しくない。と言うのも筆者は10年以上前に旅先で出会った野生の師匠に基本的な手ほどきを受けただけに過ぎない。しかもその後驚異の引きで初めて狙った娘と結婚してしまったため知識もアップデートしていないのだ。そのため現役の諸氏から見れば色々と突っ込みどころもあるだろうが、野生の師匠の教えは大体次のようなものであった。
①欲しいと思ったら行け、ダメでもどうせ2度と会わない②拒絶に慣れて爽やかに引けるようになれ③声をかけた事には言い訳するな④相手には言い訳を与えて距離を詰めろ、できれば向こうから詰めさせろ⑤美人は褒めるよりイジれ⑥女の言うことにいちいち心を揺らすな⑦突っ込みすぎたと思ったら動揺も執着も見せず、スパッと引け⑧別れ際に印象を残して揺さぶれ⑨コントロールされるな、常にお前がコントロールしろ
他にも幾つかあるが大体こんな感じである。どうだろうか、いかにも「暴力的」だろう。恋愛工学は雑に説明すると性的強者男性の行動特性をトレースして女性の認知をバグらせる技術なんだが、まさにそういう作りになっており、全体に慣れや余裕を匂わせる構成である。
地味に注目に値するのは⑤だ。多くの男どもが色香にあてられてちやほやする中、靡いた様子もなく上からイジってくる男。性別を逆転して考えると、ちょっと似たようなシチュエーションを見た覚えがないだろうか。
類似品としては、モテ過ぎて面倒臭いから女避けのために主人公を世を忍ぶ仮の彼女にする学園一のモテ男とかが挙げられる。勿論実際の学園一のモテ男はそんなことをせず好きにつまみ食いしていくだけだろうが。
何が言いたいかというと、これらは女性の感覚を類推で男性キャラに適用した例だということだ。つまり自分の色香にアテられずに対等以上に接してくる男は一定以上モテる女性の感覚からすれば「おもしれー男」なのである。
ここで注目して欲しいのは、この「おもしれー男」は自分の性的資本の魔力ではコントロール、つまり支配できない可能性が高い相手だと言うことだ。そして次に教えの⑨。太字にしたのは野生の師匠が最も強調していたからだが、上に挙げた教えの大半がこの支配を斥けて支配しろという教えに繋がっているのが分かるだろうか。
これは要するに、性欲や罪悪感などをフックにして相手を操る女性特有の支配性に惑わされずこちらの支配を通すという支配性バトルだということが言える。天然でこれができるような男はまずその相手の女くらいなら必死にならなくてもアクセスできる程度には性的市場価値が高く、その態度を取られた女から見れば「格上」となる。このことから、女たちのスカウターは暴力性そのものと言うより支配性バトルの強さを参照していると推定できる。彼女らの意識と無意識がズレているのも、この基準で正しく強いオスを選別しつつシステムをハックする不届き者を牽制するためと仮定すると合理的だ。
これで、ただオラついて暴力の匂いを撒き散らしているだけでは駄目な理由も、かと思えば簡単に女を殴るクズやらヤクザやらが謎にモテる理由も、そしてガルガル期の妻のあらゆる理不尽な要求に忠実に従う夫がしばしば何をやっても重箱の隅をつつかれゴミのように扱われる理由も概ね説明できると思う。
そして重要なのは、「暴力性」のうち「支配性」こそが主な有効成分であるということを把握しておくと、コントロールを確立しつつ、その上で自分のケースに必要な「侵襲性」を過不足のないレベルに調整する視点を持てるということ。これが産後に訪れる「本物のピンチ」を乗り切る上で必要になってくる。
さあ、やっとこさ本題だ
という訳で恋愛フェーズならば足切りされないフツメン程度に清潔さを整えて、支配性バトルの戦術に気を配り、適当に体も鍛えておけば、いざという時にその力で守ってくれそうな強い生き物だと判定されて多重バリアの奥の階層まで入り込むこともそう難しくはない。別にナンパ師なんぞにならなくとも、そうなれば自分の美点を正当に、もしかしたら多少の贔屓目で見てもらえるようになるだろう。
ところが子供が出来ると全く同じ路線で押すのは難しい。いや「本職」ならそれも可能かもしれないが堅気なら色んな意味でそれはやらない方がいい。恋愛フェーズとの重要な違いは2つある。
第一に、子供ができると多重バリアの最奥部に子供が入る階層ができてその外に蹴り出され、また多重バリア全体の透過基準に「子供」が追加されること。一番奥のバリアは基本的に突破不可能な上に、その外はひとまずガルガル期には一気に崖の下まで落ちる。バリアの透過基準の変化が「完全な上書き」ではなく「強力な評価軸の追加」だというところは後で重要なポイントになるが、ともかくこれまでと同じ戦術では本能をハンドリングできなくなるし、これまでバリアの最深部にいたからプラスに作用していた行動が、崖の下に蹴り出されることで機能しなくなることに注意しなければならない。さもないと冒頭の彼のように炎に包まれる羽目になる。
第二に、本物のピンチがやってくること。J-POPは盛んに君を守ると言うけれど、今のところ平和なこの日本では何かの脅威から女を守らなければならないシチュエーションはそうそうない。なので、恋愛フェーズでは本能をハックして「期待値」を盛っていればよかった。しかし子供ができると遂に「脅威」は実体を持ってやってくる。具体的には狂気と不自由と睡眠不足だ。これらへの対処が年収と同等以上の実績値としてカウントされるため、ここでケツを捲ると役立たず=雑魚と認識され、堅気の半端な支配性だけでそのマイナスをカバーするのは難しいだろう。
LAWルートとCHAOSルートの行く末
暴力性を身につけ令和の社会通念に背を向けて生きる、言わばCHAOSルートを踏破するのは今や簡単なことではない。これに近い路線が主流だった昭和のある時期までとは全く違う社会常識や経済関係は妻側の権力を増大させた。親族からの抑圧や干渉が減った代わりに育児を支えるマンパワーも減った。親に求められる育児のクオリティは上がるばかりで、1日2万語を発しないと煮詰まる生き物の側には会話の成立しない幼子か、良くても相手としては不十分な子供しかいない。少なくとも、現代の子育ては数人の大人でごちゃっとした子供の群れの面倒を見ていた人類本来の仕様とは全く合わない(たまに集団放牧形式で引率すると大人も子供も驚くほどストレスが少ない!)。
話を戻すと、現代の状況は煩わしさが消えて便利にもなった反面逃げ場が少なく孤独な環境で昔より高度なタスクを求められ、しかも相方の手には昔はなかった棍棒が社会から与えられている状態といったところだ。タスクの成否の上でもコントロールの確立の上でも暴力性で押し切るのは問題がある。少なくともこれだけの条件の差を自らの支配性でカバーして進むのは並大抵ではないし、そもそも有利な状況にあったはずの昭和の親父たちですら退職などで力を失った途端に次々と背中を刺されていったことを思い出すと行く末が恐ろしい。基本的にプレイヤーが夫婦2人しかいない以上ケア労働を避けて通ることは難しいだろう。
かと言って支配性を放棄し、感謝も尊厳も求めず、下手に出て妻を支える令和のLAWルートを選んでも未来が暗いことはここまで読んできた人なら分かるだろう。もう一度言っておくと子供の誕生で発生する多重バリアのルール変更は「完全な変更」ではなく「強力な評価軸の追加」である。発狂した妻に圧倒されて這いつくばったり、忠実な下僕のように仕えたりすればたちまち雑魚認定され、情けなくて使えない不快害虫として何をやってもイビられる羽目になる。ちゃんとやれば大丈夫と思っているならそれは甘い。そもそも正気を失っていて少しのズレも許せないような精神状態なので、どうやっても爆発する時は爆発するし、この時期の母親の細心さに大抵の男はついていけない。基本的に家事育児においては、ある程度の無能扱いは前提だ。勿論、「不快害虫」が側にいると思っている妻の発狂は亢進していく。
そして、どっちの道に進んでも子供は母親の心の穴を埋めるために喰われていくことになる。LAWルートで旦那が「男」でなくなればその代用品にされるし(所謂「小さい彼氏」は完全にそれ)、CHAOSルートで「男」ではあっても守ってはくれない旦那に負荷のはけ口を密封されれば結局それは子供に向かう。
「母は強し」という有名な格言の全文が「女は弱し、されど母は強し」だというのを皆さんはご存知だろうか。そして彼女らは自分たちでもたびたび訴えているように別に女をやめて母に変身したのではなく、母性というハイパーモードに衝き動かされて母をやっているだけだ。凄まじいエネルギーを漲らせて強力無比に見える一方でメンヘラ性やお姫様性、些細なことでダメージが入る精神防御力の低さなどが消えてなくなる訳ではない。しかもこのハイパーモードは強烈な執着と不安を掻き立てる結構な劇物だから、精神的にはむしろ不安定になる。ヤバい母親がしばしば「愛して」いる子供を呑み込んでいくのはこのためだ。
どうあがいても絶望とはこのことか。やはり人類は生殖をやめるべきではないのか。まあそれもひとつの方法だが、ここはCHAOSのマインドでLAWの動きをすることでNEUTRALルートをこじ開けていきたい。
NEUTRALルートの門
とは言ってもあくまで強者の立場で家長をやるCHAOSのマインドと、低姿勢でケアに徹するLAWの動きは一見相容れないように見える。ところがこの異なる2つの立場の見解が概ね一致する点がある。それは、ガルガル期の女は正気ではないという部分だ。
CHAOSサイドの人間がそういう考え方なのは何の不思議もないが、LAWサイドの方も共感と理解に努める立場だけに逆に狂気に対する解像度が高い。日本における妊娠・出産は死亡率統計上もはや男の3K仕事と比較しても「命懸け」とは言えなくなったが、期間中の体調は概ね最悪で出産時には凄まじい苦痛を味わう羽目になり産後も昼夜の概念のない乳児に睡眠時間を吸い尽くされるのは紛れもない現実だ。しかもホルモンの乱高下で電気信号と化学信号の出力結果に過ぎない人格は根本を揺さぶられ精神状態はぐちゃぐちゃである。こうした理解を基に、LAWサイドではこれで正気を保てというのは酷だという対応をしている。要するに育児の先輩、対等以上のパートナーとして持ち上げつつも、相手が正気でないことを前提にしている点ではCHAOSの者と一致している。
そこで正気を取り戻してくれるように支えようというのがLAWルートだが、CHAOSの人間の目線を適用すると、それで理不尽な要求も片っ端から呑んで妻が満足するまで従おうとすると、もっと言えば対等以上の存在と見てその意思を尊重することで当然に判断・決断コストを負い命令する立場として扱うと、自分に怯え、這いつくばり、後ろに隠れる雑魚オスと判定され、その嫌悪感が余計にストレスと狂気を呼んで予後が悪化する未来が見える。とは言っても現在LAWルートが主流になっているその始まりにも、家庭を顧みずケアの要望を拒否した親父たちが辿った末路の記憶がある。
じゃあ強い家長の立場から要点を絞って手を差し伸べるのが正気に近づけるには一番良くね?と思ったらおめでとう、それがNEUTRALルートだ。
正気を司る者
ここで前提として押さえておかなければならないのは、子供の母親がガルガル期に突入した以上、家の中に正気の大人は自分しかいないということだ。正気の大人は自分しかいないのだから、自分がリーダーとして家庭内の正気を維持しなければならない。声がでかい、ずっと家にいるなどの理由で正気でない人間をリーダーに据えたら大変なことになる。では正気を維持するために何をすればいいのかと言うと、まずは寝かせることだ。
人間は何もなくても寝ないと頭がおかしくなる。睡眠は正義だ。これは正気に直結する。ぶっちゃけガルガル期のガルガルを翻訳すると安心して寝かせてくれという意味のことを言っているケースが多い。そのくらいここはウエイトがデカいので、他にリソースが割けなくても睡眠時間の確保にだけは気を配ることをお勧めする。
これは脳の回復・負荷軽減という点で精神状態の改善に物理で効く上に、「強い生き物」としての評価値を稼いで後述のポイントにも寄与するので無理を押してもやる価値がある。肩代わりする作業ごとにぎゃあぎゃあと細かい難癖をつけられるかもしれないが、実際に睡眠時間を稼いでるんだから堂々としていればいい。「安心して」寝かせられるよう一通りの手順をマスターするのは必要だし、ある程度要望も心に留めておくのがベターではあるが、ここで叩かれて卑屈になったり萎縮したりしてはいけない。
なお、脳の負荷軽減という意味でもうひとつ重要なのは何らかの判断や書類周りなどの頭脳労働、そしてルーチンにない新しいことを引き受けること。これはリーダーとしての役割でもあるし、手間の割にストレスの低減と正気の回復に寄与するので覚えておくといい。そして、これはケアとは違うが短い時間でも子供はしっかり可愛がって見せること。照れが入ったりして分かりづらいと感知されない恐れがあるが、ともかく子供は新しい強力な評価軸なので、極端に地位が低下していなければこれは確実に精神状態の改善に効く。勿論他にも色々あるが、確実に押さえておきたいポイントはこの辺りだ。後は応用だし、どの道要望は色々と降ってくる。がんばれ。
次に重要なのは一番強い生き物としてコントロールを握ること。そうしなければならない理由と、その辺りの評価軸が育児フェーズでも生きているということはもう繰り返し書いてきたが、実際ガルガル期と言うだけあって自分より弱いオスを認めないという本能はより剥き出しになる。それに一般論として彼女らは元々自分の思いや要求は通したいがそのために怖いとか強いとか言われる/そういうポジションの存在になることはひどく嫌うし、偉そうな男よりも怯え交じりにペコペコと卑屈な男をより嫌悪して迫害する傾向がある。ここで絶対に押し負けてはいけない。できるだけ侵襲的でない形で、自分には破壊できない相手だと思わせる必要がある。
ここで少し本題から逸れるようだが、「気にかけてくれる壁」という概念を紹介したい。詳しくは倉本圭造氏のこの記事に載っているんだが、関係する部分を引用すると、女性は自分の思いつきを全部吐き出しても揺るがない感じの「壁」っぽさと、自分のことを気にかけてくれているという実感を同時に求めているんだそうだ。元記事を読んで貰えば分かる通り、これは本来こういうところで使う類の知識ではないし、怒っている女性への対処として語られている訳でもないんだが、重要なのはこういった感覚の「回路」があるのだというところだ。つまり、場面が変わっても応用が効く。実際、ここを押さえておくとやるべき事の解像度は上がる。
まず、どうせ相手は正気ではないのでガルガル言ってるのをいちいち糞真面目に真に受ける必要はないし、むしろそのテンションで聞いてるのが良いということがよく分かる。その後は「要望」をざっくり心に留めておくくらいにして、全くダメージ入ってませんとばかりにケロッとしていればいい。逆に言えば努めて共感的に傾聴して謝罪と反省を述べるようなのは駄目だということが分かるだろう。八つ当たりで思い切りぶっ叩いてもびくともしない(何なら手が痛い)けど、一応ちゃんと話を聞いてるのが分かるくらいの存在感が良いわけだ。
ただ、これを成立させるのは結構余裕が必要で、「頭がおかしくなってるから仕方ない」くらいの寛大さで対処しないとやってられない部分があるし、そうして努めて泰然としていても聞き捨てならない言動が飛んできてダメージが通ることもある。押しも押されもしない態度で圧するのは勿論理想だが、それを維持するのは実際のところ色々な意味で難しい。
そういう場合は次善の策としてしっかり怒っておいた方がいい。また、反撃されないと舐めてかかってくる場合や、全てはやって当たり前なんだから感謝が欲しいなんざ100年早い、というような人としての信頼関係に反するようなことを口走ってきた場合は、これはもうはっきりと反撃し、なんならド正面から説教しろ。絶対に押し負けるな。
イーブンを超えた負荷を引き受けることになるのはいいが尊厳は譲ってはいけない。下僕として負荷を押し付けられるのと保護者として負荷を引き受けるのは、傍目には完全に同じ作業をしていたとしても全く違う。それに正気をなくした癇癪を通して道理を曲げると後々自分も子供も大変なことになる。母親の感情を家庭の法律にしてはいけない。母性は良くも悪くも一種の狂気なので、親父は正気を司らねばならんのだ。がんばれ。
絶望の差し込む隙間
ここまで読んでくれた人はどう思っただろうか。奴隷道徳を心に刻んでやっていくよりは苦しくないとは思うが、これはこれで別のエネルギーが要るので大変ではあるし、結局私はあんたのママじゃないと言える方の性別と違って嫁の親父もやらなければ背中を刺されるぞという話である。その点に関しては特に救いはない。
今はどうせ正気ではない、という構えも時がくれば正気に戻るという希望や信頼と表裏一体でないと維持できないし、うっかり感情を揺らさないように、揺らしてもそれを漏らさないように気を張ってもいないといけない。なので、自分の器では余裕を持って捌ききれないレベルの攻撃性を持っている女性や、元々情緒不安定でメンテナンス性の悪い女性を選んでしまうと詰む。勿論、最愛の人の豹変に対する諦めと覚悟も必要で、予め絶望しておきつつもその先に希望を信じていなければならんという訳だ。全くひどい話である。
そもそも即物的な快/不快のコスパや快楽の総量は子供のいる所帯持ちと気ままな一人暮らしでは勝負にならないし、その損失を補うべき精神的な要素にしても得られるかどうかは結局のところ博打だ。父性や母性だって誰もに自動的に生えてくるようなものでもないし、「家庭や子供を持つ意義」みたいな話を、博打に負けてサンクコストに潰されてる奴らの強がりじゃねえの?と勘繰るかつての自分のような連中の猜疑をすっきり晴らせる言葉は今でも見つからない(実際それが「ない」なんて誰が断言できるだろう)。絶望が差し込んでくる隙間ならあちこちにある。じゃあ希望はないのかと言えば、決してそんなことはない。
希望の在り処
家庭を持つことは所詮博打ではあるけれど、博打にはやる価値のある博打とやる価値のない博打がある。そして、大体どのみち人生の重要なところは博打が絡んでいるのだから、博打なのは今更だ。この基準で言えば家庭を持つことはやってみる価値はある方の博打になる。何故かというと、この話題でよく語られているようなコスパ的価値観に合致しない話を割り引いても普通人の真ENDチャレンジとしては分が悪くはないからだ。
普通の人だということは、自己投資と資産形成に励んでいても老いれば相応に耄碌するし、幸せになるためではなく殖えるために進化したヒトの本能に負けない程の強烈な自我もないということになる。と言うかこの基準ならばかなり優秀な層でさえ当てはまるだろう。
これを前提にすると、所詮は他者である家族と違って裏切る心配のない自分の能力や資産にリソースを注ぐ、という戦略をとっても老いた自分が自分を裏切る可能性を考えなければならない。そう、裏切らない筋肉をよそに関節が突然裏切るように。
そして老人、特に身寄りのない独居老人は弱っている期待値が高いので、その資産を狙って盛んにハイエナが周りをうろつくようになる。実際地域の高齢者の住所録は詐欺グループの御用達アイテムで、筆者の実家にも時々そんな電話がかかってくるようになったらしい。
こうした状況で誰にも頼らず孤塁を守り抜き、満足して人生を全うするのは中々にハードルが高い。その点、円満な一族を築くのに成功していれば少なくとも転居、入院、施設入所などに関する手続きや作業、資産管理の問題に関してはサポートが得られるし孤独死リスクも大きく減る。
本能との衝突の問題も見逃せない。これはまだ若いガチガチの非婚主義者でも、家庭を持つべき合理的な理由を棄却し尽くした後に理由のない「もやもや」を感知してしまう程度には根強い。しかも歳を経て生殖可能性が怪しくなるほど実体を持った焦燥に変わっていくようだ。本能的なものだけでなく、1人の人間としても何らかの歴史に爪痕を残せるほどの人物以外は早晩個人としては忘れ去られて無に還るところ、一族の記録にならば名前くらいは残せるかもしれないという葛藤もあるだろう。孤独が人を狂わせるという実例も、恐らくこれからゴロゴロ観測されるようになる。こうしたものに苛まれやすいのは定型発達的な陽の者ではあるけれど、恐ろしいことに陰の者も痛覚が鈍いだけで完全耐性持ちはそうそう居ない。
勿論、家庭を持っても一族との関係が壊れていれば身内がハイエナ化するだけだし収容所じみた格安の姥捨て山に放り込まれるのがオチではある。それに子供が育っても孫の顔が見れそうもなくなれば本能はまた断末魔の叫びを上げるだろう。それに正直、これまで挙げた希望も健康な若者が目の前の自由と交換する気になるにはだいぶ後ろ向きな希望だという気もする。
けれど、少なくとも普通人が真ENDを迎える条件の幾つかは満たしてくれるし、その後の成否も博打には変わりないが全くの運任せではない。短・中期的にはしんどいことの方が目立つが、優しさより、粗暴さより、強靭さを示すことを忘れなければ、長期的にはちゃんと希望はある。尊厳が保たれていれば、家庭は男にとってもそう悪い場所ではない。これから家庭を持つかもしれない男たちにも、ぜひ検討の材料にしてほしい。