【韓国語学堂留学】明洞大聖堂
こんばんは!
東京は急に寒くなったと聞きましたが、ソウルも朝から冷たい風が吹いていました。
秋も本番に近づいているのでしょうか…。
今回は、語学堂のフランス人の同級生と訪れた『明洞大聖堂(명동대성당)』について感想とともにご紹介します。
明洞大聖堂
歴史
(参考:観光ーソウルナビ『明洞聖堂』)
(参考:천주교 서울대교구"교구의 간추린 역사)
(参考:카토릭뉴스”한불조약 120주년 기념 심포지엄 '한불관계사의 성찰과 한국 천주교회'”)
『明洞大聖堂』は、キリスト教の一派カトリック(天主教)の教会で、1892年にフランス人の神父コステの指導の下、建設が開始され、1898年に完成しました。
では、そもそもカトリックは韓国へどのように伝わったのでしょうか?
カトリックは、漢文に翻訳された書籍を通じて韓国に伝わり、これを学問として研究した学者たちの間で信仰が始まりました。
この学者たちの一人である、イ・スンフンが1784年に中国の福建に赴き、洗礼を受けて帰国、自ら仲間の学者たちに洗礼を施しました。
これにより、韓国で初めてカトリックの共同体が誕生します。
そして、この年の冬頃から、現在の明洞にあたる「明礼坊(ミョンネバン)」でカトリック信者による集会が開かれるようになりました。
しかし、翌年の1785年、明礼坊の集会は迫害を受け、以降韓国全土でカトリック教会は試練の時期を迎えることとなりました。
そのような中でも、カトリックは韓国に浸透し、聖職者や信者の数は増えていきました。
そして、1831年、教皇グレゴリオ16世が朝鮮大司教区(教皇の直轄地域)を設定し、韓国の布教はパリの外国宣教会に委ねられることになりました。
その後も迫害は続きますが、1845年、キム・デゴンが朝鮮人として初の神父に就任しました。
1866年、韓国政府の迫害を止め、海外からの宣教師の自由な活動を認めるハンブル条約が西洋諸国との間で締結され、以前よりも宣教活動が活発に行われるようになりました。
そして、1898年の明洞大聖堂の完工を機に、全国各地で聖堂の設立が実現されます。
その後も日本による植民地支配や朝鮮戦争により、多くの教会が破壊されましたが、信者は増え続け、1962年には韓国カトリック教会に教区制が導入されました。
現在明洞大聖堂は史跡第258号にも指定され、韓国のカトリックの象徴的な建物として親しまれています。
行ってみた感想
聖堂のすぐそばには明洞の繁華街があります。
ホットクや焼き鳥、タルゴナなど食べ歩きの屋台や、コスメショップなど観光客に人気のお店がたくさん並び、賑やかな雰囲気です。
ところが、聖堂の敷地に足を踏み入れると、空気が一変。
どこからか賛美歌が聞こえ、途端に穏やかな気持ちになりました。
聖堂内は撮影禁止のため、写真は撮っていません。
中に入り、私はフランス人の友達と長椅子に腰掛け、しばらく静謐な空気に包まれていました。
聖堂側面のステンドグラスから鮮やかな光が差し込み、祈る人々の一人一人を照らし、私も心が洗われていきました。
また、壁にかかった明礼坊の集会を描いた絵からは、カトリックの普及に奔走した古の学者たちの熱意が伝わってくるようでした。
学生同士でソウルを観光すると、おいしいお店に入って、ショッピングを楽しんで…とパターン化しがちですが、時にはこんな経験も素敵だな、と思いました。
まとめ
『明洞大聖堂』の歴史と感想について簡単にまとめてみました。
思った以上に時間がかかってしまい、気づけば日付を超えていました…。
歴史ある観光地を扱う記事は調査に少し大変ですが、知識が身に着きます♪
明日(もう今日💦)は、一人で観光した『徳寿宮』についてご紹介します。
それでは、おやすみなさい^^