【2025.3.3 追記あり】「150年」展における告発について

2025年1月18日~27日に、東池袋の取り壊しが決定したビル6棟を舞台に展開された美術展「150年」展(以下、「150年」)。その「150年」の出展者が、展覧会企画者の一人、田中勘太郎氏からパワハラを受けた、とXで告発した。

本記事の執筆者は、この展覧会の存在を知っていたものの、会場から地理的に離れた場所に住んでいることから、行くことができなかった。ゆえに展覧会の内容についてここで語ることはしない。ただ、昨今美術に関する業界でハラスメントが問題になっていること[1]、また本展覧会がかなり高い評価を受けており、社会的にも注目度が高いことから、今後の美術界におけるハラスメント防止のためにも、本展覧会の事象について言及する。
なお、この記事執筆の時点では、「150年」の企画者の一人である布施琳太郎氏を中心としたチームによって、被害者への聞き取りが行われているとのことであり、また、「加害者」とされる田中氏からは何も声明は出ていない。それゆえ、被害者からの告発および現在公開されている情報のみに基づく記事であることをご承知いただきたい。



経緯と「150年」の特殊性


「150年」は芸術家田中勘太郎と布施琳太郎の二人によって企画された。この二人は、2022年に新宿の印刷工場跡地で開催された「惑星ザムザ」を企画している。

 「惑星ザムザ」は大変注目された展覧会であったことから今回の「150年」についてもTokyo Art Beatでは「『惑星ザムザ』のタッグ再び」と期待感を持って報じている。

 「150年」では田中が「監督」、布施が「脚本」となっている。通常造形美術では、「キュレーター」や「企画」「ディレクター」といった言葉が責任者、企画者を指す語として使われている感覚があるが、まるで演劇や映画を思わせる役割分担名である。これについて、布施・田中両氏は動画投稿サイト「YouTube」の公式TBS Podcastに投稿された「『150年』布施琳太郎(脚本)×田中勘太郎(監督)」でこのように述べている。(以下、本記事執筆者が文字起こししたもの。引用部分は14:47から)

布施:そもそも、展覧会作るのに「キュレーター」ってのがいてね、「ザムザ」のときには「キュレーター」ってのを自分がやっていたんですよ。で、何かって言ったら作家を決めるとか、作家と作品と作品の関係性を考えたり、定義したりとかして、経験もデザインしながら、場合によっては、こう、予算を作ったりだとか、することもあれば、同時に作品の解説とかも書くし、過去の事例とこの展覧会のあいだで、この展覧会こうやっておもしろいですよ、みたいな説明とかを矢面に立ってやったりとかをする必要があるから、プロデューサーであり、映画監督みたいなものでもあるんだが、でも基本的に「言葉の仕事」なんですよ、キュレーターてのは。
つまり言葉でやる気出してもらうみたいな。で、言葉でなんか色々するっていうようなんですけど。

田中:それが俺、できない。できないぞ俺「キュレーション」は、ってなったし、プラスなんだったら「他人の家」だから、しかもなんだったら全員にごあいさつしててさあ、あの気まずい感じのね、あの空気の時に、「キュレーション」、語源が、なんだっけ、”Cure”だっけ。

布施:”Cure”。ケア。

田中:「ケア」だっけ、で、ここで、うちらが「ケア」みたいなこと言いはじめんの、「キモっ」って思ってたときに、「昭和の映画監督」みたいな感じであれば、「できるな」って思ったんですよね。

布施:だからつまり道を開けるとか、誰かが思い出のある場所に勝手に作品を置くとかって、暴力的なことでもあるから、だから語源に「ケア」みたいな言葉が語源にある仕事、ふるまいは「うそやない?」みたいになって。

田中:それで「監督」を名乗ろう、って12時間飲んでるときに決めたんだよね(笑)。

布施:だし、本当に「現場監督」だし、って。

田中:「現場監督」でもあり、みたいなね。あとは本当に、尊敬するゲームクリエイターのね、小島秀夫が「監督」って言ってるから、「俺も監督になるっ!」(笑)

布施:そうなんだよね。あれだってゲーム業界で、「監督」って言葉を使ったのが革命だったわけじゃない?

田中:革命だったねー。

布施:だからやっぱりその、で実際芸術祭とかだと、「ディレクター」っているんだけど、「アーティスティックディレクター」っていう名前ってさあ、

田中:かわすよね(笑)それで、監督って、監督のイメージがさあ、メイキングとかさ、なんかいろんな映画のやつ見てるとさ、やっぱこう、「横暴」じゃん?なんかこう「山動かせ」みたいな?ね?「あの山邪魔だっ!」みたいな。

布施:誰だっけ、それいたよな。

田中:そういうことを、アーティストや、様々な「モノ」たちに、あの、向けていこう、っていうのを、まあある種、覚悟したっていうかね、で、「監督」になったんだけど、ただ、どうしても言葉の作業っていうのが、まあ、展示には必要で、で、それを、やってほしいです、って布施くんにお願いしたって感じでしたね。で、「監督」ならじゃあ、「脚本」やなっていう(笑)

布施:だし、俺の中でなんかあの、なんだっけなあ、押井守かなんかのインタビューの切り抜きかなんかがXで回ってきて読んだときに、脚本家っていうのは原作があったときに、原作をこう、なんていうの、構造を抽出して、セリフを変えたりしていいか悪いかなんていう論争をしてる時点でレベルが低いんだみたいな話を押井守がしてて、ちゃんと構造を把握するっていうのが脚本家の仕事で、で、それは最終的に監督が操作するものなんだけど、構造を抽出する役目なんだっていう、みんなできないから俺が両方やってんだよね、俺つええ、みたいな話になるんだけど。
 そういう、現場の壁建てるとか、作家と直接コミュニケーションする部分まで、勘太郎くんがやってくれるときに、勘太郎くんが言わんとしてることとか、やろうとしてることの構造を取り出して、伝わるようにこう、ピンを打っていく作業みたいな、この押井守が言う「脚本」には近いかも、とか思って、みたいなね、ことを思いつつ・・(中略)



https://youtu.be/gLlTZlFAbiU?si=Q4KuFzeHvKO5iJ0f

 キュレーターとは本来 "cure"、つまりケアするに由来する言葉であり、今回の「150年」のような、(取り壊しが決定しているとはいえ)居住空間に作品をインストールし、鑑賞者にそこに土足で立ち入るよう誘導したり、壁をぶち抜いて通路を作るような破壊的な企画に、キュレーターという言葉がなじまないと判断したのだろう。そこで、「監督」という語を使うことになったわけである。
 ここで問題だったのが、田中が監督のイメージを昭和の映画監督を持ち出して語っているように、「監督」をある種「ワンマン」的な存在としてとらえていたということである。田中の「山動かせ」「あの山邪魔だっ!」という発言は、映画監督、黒澤明が撮影中に言ったとされる言葉を意識したものと思われる。そういった態度を「アーティストや、様々な『モノ』たちに、あの、向けていこう」としたということから、田中はアーティストにもある程度、(田中の言葉を借りるなら)「横暴」な態度をとっても本展覧会は許される、と思っていたのではないだろうか。だからこそ、「監督だから、俺は暴力を許されている、キュレーターとは違うからな」(田中がこの発言をしたかどうかについて明らかにしていないため、現時点では真偽は不明であることを重ね重ね述べておく。)という発言がでたのではないだろうか。
  また、パワハラの告発があった後、共同企画者である布施が比較的素早く対応したが、彼のXでの投稿を見るに、何か他人事のような、責任を逃れようとしているのではないかという感触を本記事執筆者は感じていた。

今回分析してみて、布施はあくまでステートメント等の作成など、ソフトの面の役割に徹しており、布施には、現場での指揮、ハード面の設営は田中が担当するもの、という認識があったのだろう。ひょっとすると布施は設営途中段階においてあまり制作、設営の現場を見ておらず、田中と作家たちの関係性やトラブルに気付いていなかったのかもしれない。(布施本人に確認できないのでわからないが)ただ、だからと言ってそれが免罪符となるわけではない。むしろ、田中一人にまかせることなく、自らの目でも現場を見て、何か軋轢がうまれているなら解決するような体制をとるべきだったのではないだろうか。布施が自身を「脚本」とし、「やろうとしてることの構造を取り出して、伝わるようにこう、ピンを打っていく作業」をする役、と位置付けていたのなら、なおさらである。

メディア・インフルエンサーの責任

本展覧会は、2022年に注目された展覧会と同じ企画者によるものということもあり、様々なメディア、インフルエンサーが取り上げていた。(以下はその一例)

https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/150years-report-202501

https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/30064

 
現時点で確認できるのは告発者側の発言のみであり、事実確認に関する最終的報告が出ていない。センシティブな事案でもあり、メディアやインフルエンサーとしてはこのことをまだ取り上げるのは難しいだろう。
ただ、本記事執筆者は、今後最終的な報告が出た時点で、本展覧会を紹介、評価していたメディア、インフルエンサーたちがこの事案を何かしらの形で取り上げることを期待する。自分たちが評価していた展覧会のクオリティーが、誰かの犠牲や苦しみのもとに成り立ったものであるならば、それについては取り上げるべきではないか。
自分たちの仕事は単に展覧会の情報を紹介するのみだ、それ以外の情報については感知するものではないというのであれば、プロとして美術を語る資格はないと考える。そんな耽美主義的な態度が現代で許されるのか。
現に本展覧会を取り上げていたTokyo Art Beatや美術手帖は、過去にアーツ前橋で発覚したパワハラについて記事で取り上げており、美術業界のコンプライアンス問題についても報じる力量があるはずだ。

美術界でのパワハラを防ぐために

美術業界にかかわらず、力関係をもとに相手に威圧的な態度をとったり、嫌がらせをする事例は見られる。こういったことを解消するためには、大きなプロジェクトをする際は必ず利害関係のない「監視役」をつけるなどの対応が必要ではないか。
公的な窓口もあるようだ。これらを活用する手段もある。(どれだけ解決に結びつくかは未知数だが)

https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/support/activity/support-center/

何より、美術にかかわるすべての人(作家、ギャラリスト、学芸員、キュレーター、鑑賞者)が自分が目撃した不正を無視することなく、声を上げていくことが重要だろう。そして、自分自身が加害者、被害者にならないよう注意していく必要がある。

[2025.3.3 追記]

2025年3月2日、展覧会「150年」の「監督」を務めた田中勘太郎氏が、X(旧Twitter)で被害者への謝罪と、現状の報告を行った。

田中は、
1 被害者に謝罪し、受け入れられたこと
2 「脚本」とクレジットされた布施琳太郎氏については、田中自身が「監督」を名乗ったことに伴って、「言葉遊び」として「脚本」という呼称を使ったのみであり、ほかの参加者と同様の招待作家であったこと
3 ハラスメント対策の講習を受けていること
4 今回の問題に関する報告書を作成していること
を発表した。

また、主催者である株式会社ユニーク工務店・リレーションシップ代表取締役新實喜久子氏の名で、公式サイトに報告が上がっている。

このなかで、被害者が1月29日にX上で求めた
1 謝罪
2 今後同じことを繰り返さないこと
3 「監督」の役割についての説明

について、田中氏が謝罪したこと、2,3については田中が準備していることを発表した。また、展覧会の運営について、「田中氏一人に過度な責任が集中する体制」となったことを反省している旨が記された。

また、被害者から、これまでの経緯と田中氏への要求がX上で発表されており、田中氏の発表が、この被害者からの要求を受けての結果だとわかる。
https://x.com/pomoapi/status/1896165712999444648

また、田中氏と並んで「脚本」としてクレジットされていた布施氏が、被害者から「パワハラを認識していたのか」「布施氏は結局どういう位置づけなのか」という問いを受け、次のようにX上で発信している。

布施は田中のパワハラを認識していたこと、また、「脚本」というクレジットに関しては、「責任者としては事前に降りていた」と説明している。



[1] 美術手帖. ギャラリーストーカー被害や館長からの性的強要も。表現の現場におけるハラスメントの実態とは? 2021年3月24日. https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23788.
 


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