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【小説】この世界で、ゴールデンブルースを聴くものよ:第6話

 2016年、春。
 世界最小衛星キューブサット『アストロブルース』が、東南アジア初となる高校生製作の人工衛星として宇宙に飛び上がった。衛星の規格は、1辺10センチの立方体で、重さは約1キログラム。携帯用のカメラを搭載し、4Kカメラで撮影した360度動画・静止画をVRに起こすことに成功。

『天道倭宇宙飛行士が所属していたスペースインダストリー社が、偉業を成し遂げました!』

 超巨大スクリーンの前で、手を上げるひとりの白人男性。かつて倭が働いていた企業のCEOだ。

「常磐さぁん。東南アジア初だって十分すごいニュースですよねぇ?」

 ばり、とせんべいをかじる茶髪の少年。東京から遊びに来ていた森君は
「しょっぺえ」と舌を出した。

「そうなんだけど……ネームパリューに負けたなぁ」

 宇宙産業の発展がめざましい昨今。キューブサット打ち上げプロジェクトを世界最速で成功させたのは東京の大学で、2003年のことだった。その後、世界中の大学、宇宙機関、プロジェクトチームが独自のプロジェクトで人工衛星の打ち上げを成功させてきた。
 今回の『アストロブルース』打ち上げ計画は、主にクラウドファンディングで資金調達を行い、松山五田渡高校と日本中の有志の学生を集めて、常磐鉄工所を中心に2年をかけて実行されてきた。

「”ヘッドマウント・ディスプレイ”も格好良い出来だし、申し込みも100超えたんですよ。なのに、全然注目されない! バズりもしない!」
「コンテンツとしての出来は、たしかに良いものだと思うんだけどね……」

 このプロジェクトの目玉は、「動画配信サービス」だった。衛星に搭載しているカメラが撮影した宇宙の映像を、VR映像に起こしてコンテンツとして配信する。民生品の部品が9割だが、10年の耐久性を持つキューブサットを作り上げた。
 うちで作った部品も使ってもらったのは、ご愛敬だ。私が常磐鉄工所の代表となってから計画したこの一大プロジェクトは、杞憂の暇もなく副社長として復帰してくれた斎藤さんや従業員の町田さんに「やろうや、お嬢!」と言わしめた。あの無重力実験塔が、真空環境における放電、熱の集中、素材の変形を検証するために、大いに役立ったのだ。

『打ち上げは、見事大成功!』

 ノートパソコンから聞こえる女性アナウンサーの声に、アメリカ製の打ち上げロケットEAROの映像が重なる。

「違う、違う、キューブサットの『アストロブルース』を映せって! 常磐鉄工所の集大成と、僕ら学生の血と汗と涙の結晶だぞぉ!」

 森君が机を叩く。松山五田渡は、現在、定期考査の試験中だ。このプロジェクトに唯一他校から参加してくれた森君は、振替休日に私服の甚兵衛姿で鉄工所へとやってきた。どうしても今日公開予定の動画を皆で見たかったとのことだが。
 邪魔なものを振り払うように、液晶画面の前で両手を上下させながら唸る。

「なんでEAROばっかりなんだよ~。打ち上げ計画の公式動画がアメリカ制作だから仕方ないとはいえ、露骨過ぎないですか、これ。全然僕達のキューブサットに触れないじゃないですか!」
「EAROには、世界の14機のキューブサットが相乗りしてたからね。愛媛伊予新聞ではアストロブルースを大々的に取り上げてくれたけど、他13機も面白いプロジェクトだったから話題性が分散しちゃったね……」

 私が紅茶を飲みながら言うと、黙って動画を見ていた町田さんが「これじゃあ、スペースインダストリー社の広告になっちまったみたいっすよね」と、塩せんべいを頬張った。町田さんは、あれから約束通り常磐鉄工所に出戻ってくれて、社長業から開放された途端に現場で好き勝手やっている父を、最近はよく叱ってくれている。

「援助してもらえたことは棚ぼたでしたけど、常磐鉄工所の名は見事に掻き消されましたし」

 町田さんの言葉に苦笑するしかない。たしかにその通りだった。
 佐久間さんや櫻井さんが国内で宣伝を売ってくれたおかげもあって、プロジェクトのスポンサーとして手を上げてくれる企業が複数社あった。その内の一社が、アメリカのスペースインダストリー社――倭が2年間所属していた打ち上げ斡旋サービスを提供する米国ベンチャー企業だった。ARLIS優勝のロケット開発に携わった上に、倭が就職した企業とあって、宇宙関連事業のベンチャーとして世界で今最も注目されている。

「まあ、そこが出資して作ったEAROだから……にしても、ここまで注目されるのはちょっと不思議だよね。スペースインダストリー社の他にも米国は優れた宇宙ビジネスベンチャーが多いし、ロシアでも同時期にロケットを打ち上げて、複数のキューブサットを軌道上に乗せたよね」

 私がそう言うと、町田さんが唇についた塩を指で拭いながら答える。

「ああ、それなんすけどね。風の噂っすけど。ARLIS優勝の頃には、向こうの大学ですでに倭君のファンクラブが出来とったみたいっすよ。アイドル的な人気があったみたいで。注目度が桁違いなのはそれが理由かと」
「なんですか~それ?」

 森君が頬を引き攣らせて、パイプ椅子の上で胡座をかく。鉄工所の事務所は昨年建て替えたばかりで、大きめに作った天窓からは日が射し込み、無重力実験塔が青空によく映えているのが見える。

「アイドルって、宇宙飛行士ですよ天道倭って」
「森は知らんかもしれんけどな、倭君はここ松山市出身なんやぞ。そらもう、学生の時からモテまくっとってやな」
「知ってますって。松山五田渡でしょ。でも四ヶ月しかいなかったって」
「ほうや。あっさりアメリカに行ったんやわ。あいつ、顔と頭はええけど、女を見る目だけはなくてなぁ」
「女を見る目?」

 森君が首を傾げ、私は大袈裟に咳払いをする。慌てた町田さんが、「ええっと、倭君のファンクラブのことっすよね」と机に両肘を立てる。手を組み、右手の食指を天に向けた。

「倭君、スペースインダストリー社にいたのは半年だけで、すぐに帰国してJADAに就職したじゃないっすか。企業のほうは、天道倭を手放すつもりはなかったみたいなんすけど。なんか、そのあたりで色々揉めたって」
「揉めた?」
「糸ちゃ……社長は、何も聞いてないんすか。幼馴染みやないですかぁ」
「幼馴染みと言ったって、もう何年も前の話だし……帰国してたのすら。父さんや広大が報告してくれるから、JADAに行ったのを知ったけど」
「社長ぉ~……一応年頃のお嬢さんなんすから。もっと、こう」
「それ関係あるかな?」

 すると、ガタン、と音を立ててパイプ椅子が倒れる。

「え、幼馴染みだったんですか? 常磐社長と、天道倭が? ただの同級生じゃなくて?」

 森君が驚いた顔をしている。そういえば、学生達の前で倭の話をしたことはなかった。

「……子供の頃、隣に住んでたんだよ。父親があの性格だから、よくうちで晩ご飯とか食べたりしてて。本当に小さい時だけどね。それだけの付き合い」
「天道倭と一緒に晩ご飯……すごい……」

 森君がパイプ椅子を戻しながらぶつぶつと呟く。

「それで、揉めたって?」

 私は話を戻して、町田さんに訊ねる。すると、町田さんもなんとも言えない表情を浮かべて「……どっちもどっちやな。お嬢も鈍いし……」となにやら呟いている。

「町田さん?」
「え、ああ。すんません。えっと、好待遇だった例の会社を蹴った理由っすよね。向こうの女性誌のインタビュー記事を読んどった時なんすけどね、」
「じょ、女性誌」
「倭君は若い女性に人気なんすよ~?」

 町田さんは、常磐鉄工所を世界にアピールすることを7年前から諦めておらず、今でも独学で英語を勉強し続けている。

「なんでも、”ある人と仕事がしたかったのに、それが出来なかったから”……とかなんとか。なんか言い回しがくど過ぎて、他の人の訳が出るのを待っとんですけど……あ、櫻井さんから電話!」

 初期設定のコール音が鳴って、パイプ椅子から立ち上がる。

「向こうで出てきますわ」
「あ、宣伝最後までありがとうございましたって、櫻井さんに」
「うす。言っときます。……あー、もしもし~?」

 塩せんべいのゴミをくずかごに捨てて、町田さんが隣の資料室へと移動した。

「てか、常磐鉄工所ってすごいですよね」

 森君が頬杖をついて、ぽつりと言った。私は紙コップにお茶を注いで、森君の前に置く。

「すごく、はないんじゃないかな。田舎の小さな鉄工所だし、従業員は5人しかいないし」
「だからすごいんじゃないですか。衛星のアンテナに使う巻き尺のバネ、あの薄さを正確に削るスリッター技術は常磐鉄工所だけだって、あの天道倭が」
「……言ってたの?」
「言ってましたよ。見てないんですか、僕らがキューブサット試作機を去年打ち上げた後の、『スペースどっとこむ』」
「見てないね……」

 『スペースどっとこむ』とは、JADAをはじめとする、世界各国の宇宙機関や関連ベンチャー企業の情報をまとめた宇宙情報雑誌だ。

「ちょうど天道倭宇宙飛行士が表紙の時で。もうバカ売れしたんですから。クラスの女子なんか切り抜きまでして、『イケメン国宝』とか言って悶えてましたよ」

 学生時代の人気ぶりを思い出し、私はむしろ雑誌に気付かなくてよかったと思った。森君が井戸端会議中の主婦のように唇を尖らせた。

「で、雑誌のインタビューの中で、故郷の松山市の話をされてたんですよ、そこで僕達のプロジェクトの話も出てきて。めちゃくちゃ驚いたんですから。幼馴染みだったんなら先に言っといてくださいよ。講師として呼べたかもしれないのにぃ」
「いや、連絡先とか知らないから……」
「幼馴染みなのにですか?」
「連絡を取っていたのは高校の頃までだから。今はどこに住んでいるのか、何をしているのかも全然知らないよ。向こうが常磐鉄工所の部品云々を言ってくれたのはびっくりしたけど。父さんへの義理を果たしたんじゃないかな」
「義理……そういうもんなんですかねぇ?」
「そういうもんだよ」
「っていうか、なんで常磐さんはJADAに行かなかったんですか」
「ええ?」

 行かなかった、というより、誰でも行ける場所ではないだろう。『スペースどっとこむ』購読者の森君も当然それを承知の上で訊いてきたのか、「佐久間イズムを引き継ぐ人が最前線に行くべきですよ」と眉をぐっと上げた。

「佐久間イズムって」
「学生優待のおかげで、僕は今回の常磐鉄工所のプロジェクトに参加できました。こういうのって、後世に伝えていくべき魂だと思うんですよ。ソウルというか」
「ソウル……」

 森君は、若手演歌歌手のように甚兵衛姿で拳を握った。

「宇宙開発って、国家間の覇権争いがあってこそ進歩してきたって言われてるじゃないですか。実際そうだと思いますし、そうじゃないと大金が動かないって分かってますけど。あそこはもっとロマンが詰まってる場所なんですよ! 今回もいち企業の利益になってる感じが、なんか、なんかなぁ~!」
「君、父さんに似てきたなぁ……」
「常磐鉄工所も有名になるべきです!」

 そう言ってジト目で私を見て、パイプ椅子から立ち上がる。

「打ち上げの日に佐久間宇宙飛行士も言ってました。常磐鉄工所はすごいって。天道倭宇宙飛行士といい、二人の偉大な宇宙飛行士が褒め称えているんですよ。今は町の鉄工所でも、これから日本中の会社とコラボして、世界の常磐になるかもしれない。断然武器になるでしょ、無重力実験塔とキューブサット製作のノウハウは。しかも、鉄工所の社長があの天道倭の幼馴染みときたらっ――」
「まあ、そこまで人生はうまくいかんけどな」

 町田さんが現れる。資料室から取ってきたファイルを机に置き、私の隣のパイプ椅子を引いた。

「次のテレビ会議の日程決まりました。いよいよっすね」
「そっか。スペースデブリの映像の件、前に進んだかぁ」
「はい。EAROの一人勝ちはむかつきますけど、正直無事に打ち上がってくれて御の字です。アストロブルースが軌道上に上がらないことには話にならないっすからね」
「あれ、まさかデブリの映像もVRコンテンツになるんですか!」

 森君が机に両手をつき、ぴょんと飛び跳ねる。

「森君、危ないよ」

 手を伸ばすも、すでにお茶は机の上にこぼれていた。

「あ~あ」

 私と町田さんがティッシュを取り合っている間にも、森君は手を叩いて話し続ける。

「ビッグニュースでしょ! 地上にいながら宇宙ゴミが拾える日がもう近いんですよ!」

 森君がお徳用せんべいの袋を机の端に寄せ、”ヘッドマウント・ディスプレイ”を装着した。アストロブルースで撮影した映像を、VRコンテンツとして楽しめる機械で、フルフェイスのヘルメットを輪切りにしたような形をしている。

「うおおお、おおっ、僕らが撮った宇宙~お前達から伝説は始まるんだな~!」

 森君が仮想空間の映像に合わせて暴れはじめる。興奮してしまうと、彼はすぐこうなる。森君の腕が私の前髪の先端を掠めた。町田さんが慌てて森君の腕を掴む。

「おい、森! 何回遊ぶんや。それ1個しか無いんやから壊すなよって!」
「いつかこれで月に行かなくても月の石が掴めたらな~!」
「ああもう、机の上に無造作に置いとくんやなかった……森、興奮すんな!」

 町田さんが森君を羽交い締めにする。それと同時に、私の携帯電話に着信があった。

「あれ、佐久間さんからだ」
「久しいっすね。電話、向こうのほうが」

 ひゅう~と奇声を上げている森君に苦笑し、私は町田さんの助言通り隣の資料室へと移動した。

「すみません、お待たせいたしました」
『いや、いつも賑やかだね君のとこは』

 佐久間さんがくつくつと喉を鳴らして笑う。今回のアストロブルース打ち上げプロジェクト成功後には、佐久間さんの元にも取材の依頼が多く寄せられたと聞いた。
 ――一体それが何の役に立つのか?
 常磐鉄工所と高校生で挑んだプロジェクトには、こうした批判と疑問がいくつか投げつけられた。佐久間さんは「教育のため、未来のため、これからの宇宙のため、です」とインタビューに答えた。私のインタビューが宇宙のロマンを語るだけのトンチンカンなものだった為、「まったく君らしいよね」と、会話をするたびこの話を蒸し返されている。

『社長業も板に付いてきたようだね』
「そうだといいんですが」
『謙虚だね。前年度比がとても良かったって、剛さんのほうから電話を』
「櫻井さんに頼りっぱなしな状態で……私は多分、父よりも経営に向いていません」
『ははっ』

 佐久間さんが軽快に笑った後、声を顰めて「それでね」と言った。

『櫻井さんとの仕事で忙しいのは承知の上で、朗報をひとつ』
「朗報、ですか?」
『うん。火星探査用のローバー開発のため、NJPLで新しい技術者を募集しているそうだ』

 NJPL――NNSAの中核研究機関である「アメリカジェット推進研究所」のことだ。

「君、面白い案を持っていただろ。VRで探査が可能になれば、宇宙飛行士が火星に行く必要はなくなるって』
「あ、ああ」

 確かに言った。7年前に、秋田県能代市の古びたホテルで、険しい顔をしたおじさんたちを前に。

『2022年打ち上げ予定のローバーの計画があるらしい。自動運転ソフトウェアの開発あたりを任されると思うが、開発内容は国家機密だからね。教えられる情報はこのくらいだが』
「いえ、十分過ぎるほどで……HPにも載っていない募集なんじゃないですか」
『今回のアストロブルース打ち上げに興味を持った人物がいるらしいよ。かなり頑固な人物だって聞いたけどね』
『え?』

 名前は教えられないけど。そう言って、佐久間さんは続ける。

『東南アジア初のチャレンジを「無駄だ」と言った人は多くいた。一方で、この挑戦に未来を見た人々だっているんだ。落ち込んでいる暇なんてないぞ、常磐さん。キューブサットに乗せた夢は、VRコンテンツの展開だけじゃなかっただろう。君はどこに近づきたいんだ。誰と仕事をして、どんな景色を見てみたい?』
「どんな、景色を……?」
『そうだ。宇宙は君を待っている。君はどうする?』

 心臓がどくりと音を立てた。
 高校二年の冬に全日本缶サット甲子園で惨敗してから、およそ7年間。大切な人の死や病気、別れ、常磐鉄工所の危機、それらの壁を乗り越え、今また人生の岐路に立とうとしている。

『7年という月日は、長かったかい』

 佐久間さんが静かな声で問い掛けてくる。私は携帯電話を片手に、首を左右に振った。

「……いえ。むしろ早すぎるくらいで」
『ふむ。広大君はやる気満々のようだから、鉄工所の事は心配いらないと思うよ』
「広大のことよりも、私のほうが。博士課程も留学経験も何の実績も無い人間なんですが……」
『だから諦めるのかい?』

 私は顔を上げた。いつの間にか、また俯いてしまっていた。資料室の中途半端に開いた扉のそばには、町田さんと父がいた。がんばれ、二人の口がそう動いたように見えた。

「進みます」

 私は南向きに大きく作った窓を振り返り、青天の空を見上げた。その先の宇宙へと向かって聳え立つ、無重力実験塔。

「限りなく、宇宙に近い場所まで」
『いいね。君の宇宙への旅はまだ始まったばかりだ。検討を祈るよ』

 電話が切れて、私は右手で拳を握った。そうだ。倭は宇宙飛行士になる夢を叶えた。

『俺は2020年までには月に行く』

 あと5年。世界中のあらゆるロケット発射台の中で、最速で月に向けて有人宇宙ロケットを飛ばすのは、恐らく――いや、間違いなく、NNSAだ。開発力を持つ国々は、月面ではなく、火星探査に覇権争いの舵を切るだろう。ただの勘でしかないが、この7年間で勘所は多少磨かれてきた。NNSAも火星探査を視野に入れながら、それより先に二度目の月面着陸を攻略する気でいるはずだ。世界のどこよりも、早く。

「ついに、NNSAに……」

 呟いた直後、二人の大男に抱き締められていた。

「うえっ!」

 父の鼻先が耳の穴に突き刺さって、私は不細工な悲鳴を上げた。

「い、いたいって!」
「糸っ、ようやったな!」
「ま、まだ何もしてな……うっ」
「世界の常磐糸が行くぞーっ! 待っとれよぉ倭く―ん!」
「うわ剛さん、もうちょっと腕の力弱めて!」

 地上にいるのに、目の前に星が飛ぶ。騒ぎを聞きつけたのか、森君までやってきて「何事ですか!」と私の作業服の裾を引っ張った。

「いだ、いだだだだ! みんな、痛いよ!」
「ちょっと一回糸ちゃんから離れましょ!」

 揉みくちゃにされながら、森君の手が握っていた雑誌の表紙と目が合った。鷲色の力強い瞳。恐らく、さきほど言っていた『スペースどっとこむ』をいつも鞄に入れて持ち歩いていたのだろう。折り目一つない表紙に、黒髪の青年。
 天道倭宇宙飛行士――箔押し加工のゴシック体で仰々しく紹介された金の卵に、私は口の端を上げた。

「待ってろよ……倭」

 ようやく倭の背を、坊ちゃん球場くらいまで近くにとらえはじめた。

「よっしゃ、天岩戸は開いたぞ! 今日は宴やぁ!」

 父が町田さんと森君の肩を抱き、宴だ宴だと騒ぎ立てる。副社長の斎藤さんまでやってきて、森君秘蔵の『スペースどっとこむ』は宙に舞った。



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