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移住から始まった -欲しい暮らしを手に入れるまでの奮闘記-

『移住』というキーワードを最近よく耳にする。
住む場所は生活の基盤であり、その人の暮らしは良くも悪くもその環境に大きく影響される。
今回は、ひょんなことから3年前に埼玉県寄居町に移住した大田幸子さん(以下:さっちゃん)にインタビューをさせて頂いた。
鹿児島生まれで、上京して12年会社勤めをしていたさっちゃんがなぜこの場所を選んだのか、移住してから今に至るまでのストーリーを聞きながら寄居町の魅力に迫っていく。



やりたいことが見つからない

鹿児島で建築を学んだものの、就職難で上京し、スーパーに勤めたさっちゃん。そのうちに都内の不動産鑑定事務所に飛び込み、建築とも遠からずな、土地を評価する仕事に就いた。当時は仕事の8割が公共事業であり、道路を作ったり公園を作ったり再開発に関わることが多かったという。
「建築と不動産ってなんか似てるしおもしろそうだなぁと思って...全くの素人だったけど、ゼロから社長が教えてくれて修行ができ、仕事自体は楽しかったです」

6年勤めたのち、一度家庭の事情で鹿児島に戻ったものの環境がしっくりこず、再上京を決意する。この時30歳。なかなか再就職先が見つからず、もう一度前の会社で雇ってもらったという。
するとさすがに「不動産鑑定士の資格を取らないのか」という周囲のプレッシャーを感じるようになった。

「仕事の内容自体は好きだけど、社長の助手をやってるぐらいがやっぱりちょうど良くて。私には社長と同じ仕事はできないっていう感覚はずっとありました。ここらで人生変えた方がいいかな、とちょっと限界を感じてきちゃったんですよね」

東京でやりたいことが見つからず悶々とした日々を過ごすなかで、再上京からすでに6年が経っていた。
「実家には帰りたくないし、都内でやりたい仕事は見つからないしどうしようと思って……なんだか、人生終わったような気がしました。どん底の期間は三、四ヶ月ぐらい続きましたね」


トントン拍子で決まった移住

ー失意の中、たまたま見つけたのは奈良県の宿が出していたスタッフ募集の記事。古いおうちをリノベーションした建物も素敵で、やりたいことを探すのは別の土地でもいいんだ、と思えた。
そこからは地方のさまざまな仕事情報を集めはじめる。とくに興味をそそられたのが、空き家活用だったという。

「高校時代に建築をかじって、仕事で不動産をやってきて、死ぬまでに1回やっときたいなと思っていたのがDIYだったんです。経験がなくても関われる地域を探していって見つけたのが寄居町でした」


ワークショップで初めて参加した解体作業

寄居町で古家の解体ワークショップがあると知り、まずは興味本位で参加してみた。その後もいくつか地方の移住相談交流会に参加してみたが、そこで現実を知る。空き家はあっても賃貸が少ない上に、好きにDIYができる物件は意外と少ないのだ。

「私がやりたいことって難しいのかなと思って思い悩んだけれど、翌週また寄居に行ったときに、とつぜん道が開けたんです。DIYをやりたいという思いを周りに話していたら、たまたま目の前に座っていた大家さんが『そこの家ちょうど空いてるから、使っていいよ』と言ってくださって」

オーナーさんが貸してくれた空き家

それから先はとんとん拍子だった。空き家を借りられることになったときはまだ不動産鑑定の仕事を続けていたけれど、引っ越し先が決まってしまいました、という衝撃の発表から退職願を出すことになった。
寄居での生計をどう立てていくかは、失業保険をもらいながらゆっくり考えようと決めていた。

そんなとき、寄居町で空き家活用をミッションとする地域おこし協力隊の募集が開始されたと知る。しかもメンバーが集まらないらしい。
やりたいこととも合致すると思い、参加を決めた。それが寄居町での協力隊第一号となった。

寄居町初の地域おこし協力隊

「ミッションは空き家・空き店舗活用と移住者・創業者支援。でも町としても初めてのことで役場の体制も決まってないし、何をすればいいんですか状態でした。」
ご近所の人から空き家情報をもらったり、空き家を持っている所有者から相談を受けて、貸したい・売りたいという要望があれば解決に向けたアドバイスをしたり。ときにはマッチングもしながら、3年の任期でトータル30~40件の空き家活用に携わりました。

借家を仲間とDIY

仕事と並行しながら、個人で借りた空き家のDIYも進めていった…

「でも、ただDIYするだけだとゴールがなくて。具体的なアイディアはなかったけど、頭のどこかには『空き家をリノベーションして事業化できたらいいな』っていう意識がありました」

そんな矢先、役場の自治防災課から新しく空き家を紹介され、活用提案をしてほしいというメールが届く。オーナーの希望は『キレイに管理してほしい』と、ただそれだけだった。


改修前の空き家

「私だったらこの場所で一棟貸切宿をやりたいと思ったんです。『宿にすればずっとキレイな状態をキープできますよ』とオーナーさんにアピールしたら、それいいね!と賛同してくれて」

DIYで改修した宿『帰宿穏坐』の誕生

そうしてさっちゃんが立ち上げたのが「暮らすように泊まる」をコンセプトにした一棟貸切宿「帰宿穏坐(きしゅくおんざ)」だ。
しかし、ゴールの見えない作業は想像以上に困難を極めた。

最初は300万ぐらいでリノベーションできたらと考えていましが、やっぱり自分たちのやりたい運営っていうのを突き詰めていくと、300万では足りなくなってそれが500万になり600万になり、最終的に薪ストーブを入れた時点で700万を超えました」

腕がしびれるまで夜な夜な作業


プロの職人さんにも他の現場の合間に手伝ってもらいつつ、半年以上かかって完成した。

「自分1人で家のDIYをやっていたときは『こんなもんでいいかな』って、適当に手を抜いちゃうところもあるんだけど、ここではクオリティーを重視しました。大変だったけど、やった分だけ綺麗に仕上がるから楽しかったですね。でも壁をパテ塗りして、次は塗装だと思ってすごいわくわくしていたのに、パテ塗りを3回させられて、最後は本当にもう泣きながら1人でやってました(笑)」

完成した宿は白を基調とし、無垢材などの自然素材を使用した優しい空間作りを心がけたという。「訪れた人が日々の疲れを癒す場所、静かな時間を過ごす場所、大切な人とのんびりできる場所として、ゆっくりお過ごしいただけると嬉しい」

オープン前の本格的な改装はもちろんのこと、宿の運営をしていくのも初めての経験だ。そこに不安はなかったのだろうか?

「もちろんありました。経験がないからこそ、自分の基準を信じてとりあえず自分が満足するやり方を目指していった感じです。
でもオープンしてみれば、宿の準備や片付けは自分の性に合っていました。時間さえあれば、ストレスに感じることは何もないですね。周りには何もない宿なんだけど、お客様に『すごく居心地よかったです』って言ってもらえたら、やっぱり嬉しいですね」

―自らの手で創り上げた帰宿穏坐は、もうすぐオープンから2年になる。予約は週末を中心に週に1~2組。利益を求めるよりも、オーナーさんとの『キレイな状態を維持する』という当初の約束も大切にしているさっちゃんには、ちょうどいいペースだという。

自然の庭を眺められるリビング

やりたいことが見つからず途方にくれていた時期を脱し、寄居町に移住して早4年。予想に反し、都内にいた時よりも忙しく、時間が足りないという。

「でも、今が人生の中で一番コンディションがいいです。忙しいのも含めて、これが自分に合うペースなんだと思う。ストレスフリーで非常に満足していますね!」

ここまで潔く言い切れる人にはなかなか出会えない。
しかし地域おこし協力隊を卒業した時に描いていた自分の願望やイメージには遠く及ばず、このまま生活できるのか不安を抱いていた時期もあったという。

「最近になって、周りの人から『一年前ぐらいはピリピリした印象で声をかけづらかった』と言われました。今思うと、最初のDIYを1人でやっているときも、宿を作っているときも気持ちはあんまり落ち着いてなかったと思うんですよ。やることが多すぎるし、取っ散らかってる場所もあまり得意じゃないから、自分が落ち着ける環境を作るために奔走していました。出来上がった今の家や帰宿穏坐にいると心の平穏が保てるんです」

この町にはまだまだおもしろいことができる『余白』がある

現在は地域おこし協力隊の時に繋がったご縁で、旧洋裁学校である寄居ドレスメーカー女学院(通称:ドレメ)の活用にも尽力している。元々学校だった場所を片付けて、スタジオやイベント会場として貸し出しているのだ。今後はテナントを誘致したり、常設店舗なども含めて運営していく方法を模索している。


寄居の町や人の魅力は、穏やかでほどよい距離感の関係性が作れていることだという。都内にいる時にはなかった『顔の見えるひとから買う』という体験もそのひとつだ。値段だけではなく、人との繋がりがあるからこそお金の使い方も変わっていった。そんな経験も踏まえてこれからのビジョンについて聞いたみた。

「これからは地域で楽しく暮らしたい・活動したいと思っている若い子たちの応援をしたいなと思っています。なかなか寄居町って知名度も低いし観光客も少ないけど、じつはノリが良くて面白い人は身近にいるので(笑)。地域がおもしろくなったら自分の生活がおもしろくなるって感覚が、肌で分かっている人が多いと思うんです」

月イチ町民コミュニティの発足

ー自分の想いをつぶやいたり相談すると、すぐに拾ってくれたり人に繋げてくれるのが寄居町の人の温かさや魅力だ。
人との繋がりで移住し、そこで自分のやりたかったことを実現して心穏やかに生活できているさっちゃん。すぐにカタチにはならなくても一歩踏み出すきっかけをくれる器の大きい町だと感じた。






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