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クライミングの面白さを言語化する

「ボルダリングってどういうところが面白いの?」
しばしば訊かれる問いである。

世間話に入れ込める程度の、端的な答えはこうだ。
「ゲーム感覚で楽しめて、達成感もすごくあって面白いよ」

違うんだ。いや違くないんだけど。
「クライミングの面白さとは」という問いに対する答えとしては、あまりにも不十分すぎる。

「ワンピースってどういうところが面白いの?」
という問いに対して、
「ルフィが悪者をぶっとばす瞬間が爽快で面白いよ」
と答えるくらい、
それはそうなんだけど、あまりにも足りていない答えだ。

かといって、気軽に訊かれた疑問に対して、
余りある情熱に身を任せ、目を血走らせて語ろうものなら、
ドン引きされて未来のクライミング人口を減らしてしまうこと請け合いである。

私自身は都心のボルダリングジムからクライミングの世界に入り、
コンペ(大会)、岩、ロープを使うリードクライミングなど、
様々なクライミングの面白さに触れてきた。
※まだまだ「クライミング」の氷山の一角でしかないが。

この記事では、
一見するだけでは分からないクライミングの魅力について、
出来る限り言語化してみようと思う。

長くなったので、興味がある章だけでも見ていってくれると嬉しい。


◆「出来ない」が「出来る」になる喜び

これこそが、自分がクライミングに感じている根源的な面白さだ。

大人になるにつれ、熱中できることや、新しいことが出来るようになる機会は少なくなっていく。

クライミングは、「出来ない」が「出来る」に変わる快感を、幾度となく体感できる。
ことボルダリングは特に、登れることより落ちることの方が多い。
何度も何度も挑戦して、たった1回の成功を成し遂げられる喜びは、日常では得難いものだと思う。

仕事に忙殺されていようと、生活にバタバタと振り回されようと、
この達成感は、何度でも自分の情熱を蘇らせてくれる。

練習次第でどんな動きだって出来るようになる

◆岩登りにおける「冒険」と「自由」

屋外での行う、ロッククライミングならではの楽しみもある。

●冒険

屋内のジムでのクライミングと違い、
どこをどう登ればいいか分からない本物の岩。
小さな小さな手がかりを見つけ少しずつ上へと登っていく、冒険的楽しさがある。
また、そもそも岩の場所も分からんという状況で「岩を探す」という、ガチ冒険な遊び方もできる。
現代社会で、ちょっと出かけるだけで「冒険」が出来る。
冷静に、すごくない?面白すぎる。

●自由

岩登りは、とても自由だ。
ロッククライマーの間でメッカとされる巨大な岩を登るのも、
近所のこぶりな公園の岩を登ってみるのも、
なんだって「岩登り」だ。

「トポ」と呼ばれる、岩登りにおける地図のようなガイドは発行されているが、
どの岩をどう登ったっていい、
想像力と感性に身を任せて自由に遊べることが、
ロッククライミングの魅力のひとつだと思う。

その感性がクライマーそれぞれの「スタイル」となり、異なる色のカルチャーが交わっていく。
それも面白さのひとつだと思う。

※スタイルに関しては語りたいことがたくさんあるので、別の機会で詳しく書こうと思う。

岩の間を飛び回り探検する様

◆自然に溶け込む心地よさ

前述したロッククライミングは自然の中で楽しむものだ。
昨今はキャンプブームなど、アウトドアの良さが再認識されている。
クライミングも例に漏れず、アウトドア的魅力が詰まっている。

岩場はしばしば、電波の届きづらい場所にある。
人里離れた山や渓谷に降り立つと、
ネットワークのしがらみから解き放たれ、
そこには自分と雄大な自然だけが残る。

岩登りに集中してゆっくりと流れる時間は本当に心地よく、
デジタルデトックスとはまさしく、言い得て妙だ。
小さな液晶画面からは得られない感動がそこにはある。

癒しの時間

◆大会で巡る感動のサイクル

アウトドア的側面から一転、コンペ(大会)ならではの面白さもある。

コンペはレベル別にクラス分けされていることが多く、
自分が参加しないクラスの試合を観戦したりもする。
私も、とある大会で最上位クラスの決勝戦を観戦していた。

まさしく怪物、凄まじい登りに圧倒された。
人間にこんなことが出来るのかと、
感動と興奮で、声を枯らしながら応援した。
こんな登りがいつかしてみたいと、心が燃え立つのを感じた。

数年後、自分もアマチュア向けのコンペで何度か表彰台に上がれる程度には成長していた。
とある大会で優勝できたとき、観戦していた親子の方が言ってくださった。
「息子がファンなんです。熱い登り、本当にカッコよかったです!」

あの日の感動が自身を成長させ、
今度は自分の登りが、見ている人の心を動かした。
そしてきっと、この少年の登りが、また別の誰かを感動させていく。

巡り巡る感動と熱狂を生み出す力が、
クライミングコンペにはある思う。

喉が枯れるほど熱狂した、怪物の登り
会場全体が轟くほど観客たちを湧き上がらせていた

◆大好きなもので繋がる縁

クライミングならではというより、
「趣味」の全てに共通することだが、
自分の好きなもので知り合った人たちとの縁は、
かけがえのないものだと思う。

大前提として、「好きなものが同じ」という事実は、人と仲良くなるための大きな要因だ。
好きなものが共通言語になり、共有する価値観になり、語り合う話の種になる。

クライミングは特に、人と繋がりやすいコンテンツだと感じる。
クライミングジムでは壁を前にして横並びになり、
課題の話を通じて気軽に話すことができるし、
ジムや岩に遠征でも行けば、道中様々な話が出来る。
岩場やコンペで出会った人との縁もさらに広がっていく。

大人になるにつれ人との出会いは少なくなりがちだが、
クライミングは老若男女業種業界問わず、
素晴らしい友人たちとの縁をたくさん与えてくれる。

気の置けない友人たちとの四国遠征

◆過渡期のカルチャーならではの多様性

クライミング、とりわけフリークライミングは、
どんな手段を使っても登攀を成功させるという従来の登山スタイルとは異なり、
なるべく道具を排除してありのままの状態で登るという、
「カウンターカルチャー」的アクティビティに端を発している。

日本のクライミング黎明期から登り続けているベテランから聞く話は、
なかなかファンキーなものが多く、とても面白い。

一方で、
現代におけるボルダリングの「キラキラ」した印象も間違いではない。

クリーンとアンダーグラウンドの狭間。
変容していく文化ならではの不安定な在り方が生み出す、
「自由な解釈で遊べる余地がある」という状況は、大きな魅力だと思う。

遊び方は無限大

おわりに

初稿の記事に引き続き、すごい文量になってしまった。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

少しは、クライミングの魅力を伝えられる内容になっていたでしょうか。

これだけ語っておいてなんですが、
結局は「百聞は一見に如かず」です。

これを見てクライミングに興味を持ってくれたあなたは、
ぜひとも一度、ジムや山に足を運び、
この素晴らしい世界を体感してみてください。


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