もう一つの世界、27 イヌと少女4/7
イヌと少女 4/7
どれくらい時間がたっただろう。
たぶん一時間くらいかな。
眠っていても、どこか気が立っている。車内放送の声が聞こえるたびに、おれの耳がピンと立った。
少女は眠っているのか、起きているのかわからない。
かといってキャリーバッグの中から、声をかけるわけにもいかない。
その時、少女がキャリーバッグの中を覗き込んだ。
「おじさん、もうすぐ着くよ。」
少女の目は笑っていない。ずっと緊張していたんだろう。
おれが頷くと、少女も頷いた。
降りる準備だ。気持ちを奮い立たせる。
電車が停まりドアーが開くと、少女はキャリーバッグを引っ張って電車から降りた。
ここまでなんとか来れた。
「おじさん これからどうするの?」
「とりあえず、フェリー乗り場に行って、徳島港までの切符を買って、時間があったら、パンでも買って食べるか。」
朝からなにも食べてなかった。お腹がすいているのも忘れていた。
「うん そうする。」
少女は素直に返事すると、キョロキョロあたりを見回しながら、なんとかフェリー乗り場までキャリーバッグを曳いていった。
キャリーバックの隙間から、外の世界がみえた。
夏の日差しが強い、蜃気楼のようにゆらいでいる。
太陽がまぶしい、異邦人になった気分。
いや、おれはイヌ。なんの言い訳にもならないが、なにかに動かされて生きている。
おれとぜんぜん関係ないところで、世の中は動いている。
ましてや、おれはイヌ、イルカになりたい少女と旅をしている。
「徳島港まで一枚ください。」
少女の、すこし震えた小さな声が聞こえる。
「一枚ですね。十二時出航でいいですか?」
「はい。」
なんとか頑張って買った。
「おじさん買ったよ、あと一時間半ほどあるよ。」
「じゃあ、パン買って、どこか人がいないとこで休憩しようか。 それとおれはカツサンド。」
カツサンドはおれの大好物。いつも昼になるとコンビニで買って一人で食べていた。
そういえば、おれは友達がいなかった。友達がいないから、あまりいじめられなかった。人と真剣につきあったことがないから、イヌになったかもしれない。
少女は、言われた通りカツサンドを買ってきた。
.無邪気な今を、生きている顔だ。
今は、室戸岬に行くことしか考えてないんだろう。
たぶん、少女にはまだ実感がない。死ぬこととイルカに生まれ変わることがむすびついていない。それに、おぼれていく少女を、おれは冷静に見ていられるだろうか?考えるほど気が滅入ってくる。まあいい、その時になったら、少女の気持ちが、またかわるかもしれない。
「おじさん、出てきていいよ。」
小さな原っぱの倉庫の陰。
おれは、首をだしてキャリーバッグから飛び出すと、大きく伸びをして、身体を震わせた。
空気と共に、潮風の匂いが身体じゅうにしみ込んでくる。
おれは、原っぱの隅で片足を上げて用を足した。
突然、少女がケタケタ笑った。
「おじさん やっぱりイヌなんだ。」
知らぬまに、イヌになりきって用をたしている。
「そうか、おれはやっぱりイヌか。」
自分でもおかしかった。
おれがイヌになれたんだから、少女もイルカになれるかな。
なんか妙に納得できた。
「まだイルカになりたいのか?」
少女は、パンを食べながら頷いた。
「もう友達もいないし、どこにもあたしの居場所はないし、どこに行って、 なにをしたらいいのか分からないし。
あたし、イヌさんに会えてよかった。」
その言葉が嬉しかった。世界で一人だけ、イヌとしてのおれの存在を認めてくれていた。
あたりは誰もいない波止場、太陽も影も動かない、なまぬるい風が身体にまとわりつく、やっぱり異邦人の世界だ。むかし読んだ本の情景を思い出した。イヌになってから、感覚が研ぎ澄まされ、現実と夢のはざまの世界が見えてくる。
おれはイヌ。少女の夢につきあっている。
「おじさん、あと何時間ぐらいかかる?」
「フェリーで二時間、そこからも二時間ぐらいかな。」
「じゃあ今日中に着けるね。イルカいるかな?」
なにか他人事のような声だった。
「イルカ見たことあるのか?」
「テレビでしか見たことない。」
「海は見たことあるのか?」
少女は、だまって首を横に振った。
「プールは行ったことあるよ。」
やっぱりな。
実感がないんだ。
空想の世界であそんでいる。
どうなることやら、生ぬるい風がおれの気持ちを萎えさせる。
少女は、黙っておれの頭を撫でていた。おじさんと呼びながら、おれを イヌとしてあつかっている。少女のまわりの時間がゆっくり流れだした。
乗船時間がくると、おれはまたキャリーバッグの中に隠れた。
「おじさん行くね。」
乗船すると、一番後ろのデッキで、潮風にあたりながら海をみている。
海を見てイルカを探している。
確か、大阪湾にはイルカのスナメリが生息しているはずだ。フェリーからもたまに見られるとテレビのニュースでいっていた。少女に言っとけばよかった。おれはキャリーバッグの中で 船の揺れをかんじていた。
二時間ほどで徳島港に着いた。
「おじさん これからどうするの?」
少女の声が途方にくれている。
おれにもどうしていいか分からない。人間なら簡単に確かめられるが
おれはイヌ、他の人間に訊くことはできない。
「とにかく徳島駅まで、バスかタクシーで行くか。お金はあるのか?」
「あと3万円くらいある。」
「じゃあ、タクシーで行くか。」
少女にタクシーを呼び止めさせると、おれは、後ろのトランクに放り込まれた。優しく扱うように言っとくべきだったが、もう遅い、頭と腰をおもいきりぶつけて、あやうく叫びそうになった。
「徳島駅までお願いします。」少女の声で、タクシーが走り出した
それからも揺れるたびに、おれは頭と腰をぶつけた。
よく考えたら、首輪をつけて普通に後部座席に乗り込めばよかったんだ。
どうもイヌになると、かってがちがう。
「おじさん着いたよ。」キャリーバッグを叩いて知らせてくる。
「どこまで切符を買うの?」小さな声で訊ねてくる。
おれはキャリーバッグのなか、小さな声で
「路線図の一番下の駅は?」
「うーん読めない。なんて書いてあるんかなあ。」
「おまえ、ちゃんと学校で勉強したのか?」
ちょぴり腹が立った。
「駅名くらい読めるように勉強しとけよ。」
「だって徳島まで来るなんて、思ってなかったもん。」
ちょっと拗ねた声だった。
「駅名の下の料金いくらになってる。」
「えーとね、二千三百三十円。」
「それでいいや。とりあえず、そこまで買って乗るか。」
「じゃあ、二千三百三十円の切符買うよ。」
切符を買って、改札を抜け、室戸方面のホームに行くと、
少女は、ホームの外れに立って、おれに話し掛けてきた。
「おじさん、さっきはごめんね。もっとちゃんと勉強しとけば良かった。」
「いいよ、まだ中学生だもんな。」
「でも、もうすぐ高校生だよ。」
「イルカになっても、学校の勉強いるのかな?」
なんて返事しよう、おれも学校ではぜんぜん勉強しなかった。
「そりゃあイルカでも賢い方が、餌を一杯食べれるだろうな。」
言ってみたものの、本当かどうか自信がない。イヌでも、賢いイヌと、馬鹿なイヌで、なにか差があるだろうか?
あるだろうな。賢いイヌなら、ちゃんと言いつけを守って飼い犬になっている。だからおれは、野良犬にしかなれなかったんだ。
「あたしね、勉強できないけど、学校の授業は好きだったんだ。なんかクラスの一員になれたような気がして。
でも休み時間とか、昼食時間は大嫌いだった。みんな、好きな子がかたまって食べてるけど、あたしはいつも教室の隅で一人で食べてた。」
淋しそうな声だった。
ちょうど列車が入ってきたので、慌てて乗り込んだ。
「おじさん空いてるよ、終点まで二時間半ぐらいだって。」
ゴットンゴットン列車に揺られながら、ぼんやり着いた後のことを考えていた
田舎か・・・、いいなあ。
時間がゆっくりながれていく。のんびりした景色がひろがり、気持ちをリラックスさせてくれる。いろんなことを想像していると、いつのまにかまた眠りこんでしまった。
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