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もう一つの世界、27 イヌと少女1/7

イヌと少女 1/7


 おれはイヌ。
 もと人間。
 人間が嫌いで、気が付いたら、イヌになっていた。
 ちょっとふてくされて、生きている
 この前、ネコになった人間に出会った。
 そのネコは、人間になついて、可愛がってもらっていた。
 おれは、そんなネコにはなりたくない。
 人間になじまず生きている。
 食べ物には困らない。
 おれのなわばりは、下町の繁華街。
 店が閉まると、残飯が食べほうだい。
 人間のときに、お金を払って食べていたと思うとばからしい。
 深夜の誰もいない時間に 腹いっぱい食べる。
 昼は食べない。路地裏に引っ込んで、めだたないようにじっとしている。 
 たまに人間に見つかるが、その時は、もっと奥に逃げ込んで、人間が去るまでじっとしている。

 おれのねぐらは、繁華街の裏の、小さな公園。
 蒸し暑い夏の夜、ひとけのない公園、街路灯がぽつんと佇んでいる。
 おれは、ひんやりしたコンクリートブロックの遊具の中で、ゆっくり眠りたかった。街路灯から少し離れた砂場の横、うす暗くて寝るにはちょうど良い暗さだった。 
 しかし、
 中に入ると先客がいた。
 人間の女の子。
 暗い中にじっとひそんでいる。
 丸い土管の中で、身体をくの字に曲げ、両腕で脚を抱え込んで、目を閉じている。
 おれはびっくりした。
 唸るのを忘れた。
 少女もおれに気付き、びくっと震えて身構えた。
 暗い土管のなかで、目だけが光っている。
「イヌ? 人間? 目が人間。」
 おれは、どきっとした。
「なんで分かったんだ。」人間の言葉だった。
 おれは喋れるんだ?
 こんどは、少女がびっくりした。
「イヌ?どうして喋れんの?」
「知らん。おれにもよくわからん。気付いたらイヌになっていた。」
 これは本当の話だ。飲み過ぎて、酔っ払って道ばたに寝てしまった。
 たぶん、車に引かれたんだろう。
 そのとき、近くに犬がいた。 
 ひかれたひょうしに、おれの意識が、犬のなかにとび込んだ。
 気付いたら、イヌの目で、おれの死体を見ていた。
 どやどやと人が集まってきた。人間がうるさかった。
 誰かが足で、おれを追っ払った。
 それ以来、おれはイヌ。
 繁華街を、四本足でほっつきあるいている。
「おまえこそ、こんな暗い土管の中で、なにしてんだ?」
「びっくりした。本当に イヌ?」
 まだおれを認めていない。ぬいぐるみか何かと思っている。
「ねえほんとうに イヌ?
 どうして人間の言葉を喋れんの?」
 何度も同じことを訊いてくる、おれだって信じたくなかった。
 なんど、悪夢だったら早くさめてくれと思ったことか。
 しかし、覚めない悪夢だってあるんだ。 
「死んだ時に、近くにイヌがいた。それだけだよ。」
「じゃー、あたしが死ぬとき、近くに動物がいたら、あたしもその動物になれる?」
 正直なところ、なんでイヌになったか分からないのに、少女が実際になれるかどうかなんて、分かるはずがない。
 答えるのが面倒くさかった。
「たぶんな。」
 半分信じてない。
「じゃー あたしも動物になりたい。」
 少女も ふてくされている。 
「どうして人間やめたいんだ。親にでも怒られたか。」
 少女は、黙り込んでしまった。なにかを思い出したのか、暗い顔がもっと暗くなって、ふさぎ込んでしまった。
 突然、少女が言った。
「イルカがいいなあ。あたしイルカになりたい。」
 感覚的で、いかにも軽い言葉。 
「どうしてイルカがいいんだ?」
 なんとなく返ってくる答えはわかっていた。
「どうしてって、かっこいいもん。
 誰も知らない遠くの海まで泳いでいって、そこで新しい友達をつくって、 その中のいっぴきと結婚して、イルカの子どもを産んで、おかあさんになって、子育てして・・・・。」
 少女は連想ゲームのように夢をみている。イルカのことを喋っている間は、幸せな自分を想像する事が出来るんだ。    
「どこに行ったら イルカに逢える?」
 無邪気な質問だった。 
「水族館か?」
 少女は不満そうに、
「水族館はだめ、狭いからかわいそう。」
「どこか広い海で、自由に泳いでるイルカに会いたい。」
 おれは、以前見たイルカウオッチングのパンフレットを思い出した。
「室戸岬で イルカウオッチングしてたな。」
「ここから遠い?」
「四,五時間かな。」
「あたし、お金なら持ってるよ。家出した時持ってきた。」
「家出したのか?」
「うん。」
 少女は素直に頷いた。
 そうか家出したから遠くにいきたいんだ。べつにイルカになりたいわけではないんだ。 
「どうして家出した?」
 訊いてもこたえない。なにも言いたくないんだ。黙り込んでしまった。
 おれは 話題をかえた。
「高校生か?」
「ううん、中学生。来年から高校。」
 よくみると、まだあどけなさが残る少女だ。
「なまえは?」
「裕美。」
「裕美ちゃんか。」
 そこで、話すことがなくなった。
 少女は、いつのまにか、イヌとしてのおれを受け入れていた。 
 生ぬるい夜の風、暗い土管の中、沈黙が眠気を誘う。
 微妙な距離感をかんじながら、眠り込んでしまった。

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