彼の背中
あまりに悲しそうな顔をしている人だった。
店回りにつかれると、オレは近所の小さな公園でタバコをふかした。
真っ昼間、日当たりの悪い下町の公園で時間をつぶすものといえば、近所のアル中のおばさんか、することのない老人くらいのものだった。それに野良猫も。
オレがブランコの鉄の囲いに座ってぼーっとしていると、ひとりの老人が近寄って来た。
「すまんが、タバコをくれないか」
つらさにたえかねたような表情をしている。
あごと頬に白い無精ひげを生やし、白髪を短くかりそろえていた。
オレはシャツのポケットからマイルドセブンを1本取り出して渡し、火もつけた。
「ありがたい」
話し相手がほしかったのか、彼はぽつりぽつりと自分のことを語りだした。
近くにある福祉施設で暮らしているが、行政からもらっている保護費の大半が施設に吸い上げられてしまうという。
「だからタバコを買う金すら困って、兄ちゃんにすがっている」
巷で貧困ビジネスという言葉を聞くようになっていた。その波に飲み込まれたのかもしれない。
アポイントの時間が来て、オレは公園を出た。
別れ際、マイセの紙パックをそのまま彼に渡した。まだ半分くらい残っていた。それ以来、彼とよく話すようになった。
彼が吸う「わかば」を買ってわたした。
下の名前を国勝(クニカツ)という。
「なかなか豪勢なお名前ですね」とオレが言うと、
「まだ日本が戦争をしているときに親が作った子だからな」という。
昭和の経済成長時代、彼は北関東を舞台に自ら土建屋を経営した。大いに儲けたという。ダンプをいくつも所有した。
現場が東京のときは吉原によく足を運び、豪勢に遊んだという。愛人を囲った経験もある。
鉄火場(賭場)であこぎに勝ちすぎて、胴元のヤクザ衆としょっちゅうもめたが、負けなかったという。これは国勝さんがくりかえす自慢の一つだった。
派手に働き、稼ぎ、飲み、打ち、買い、そして最後、土建屋はつぶれた。借金を踏み倒して逃げ、家族は散り、今ひとりで福祉に世話になっている。
なるほど、彼の悲しい表情の理由はわかった。
最後に彼を見たのは、彼が車いすに乗せられて、救急車に乗り込むところだった。
その近くでチャリに乗って止まっているオレを認めた彼は、
「これから病院だ。心臓がいけねえ。もうタバコも吸えねえかもしれねえ」と言って、苦しそうに笑った。
それから間もなくのことだ。
公園でいつもビールを飲んでいるアル中のクミちゃんが言った。
「クニカツのじいさんが死んだって」
オレはもう、わかばを買う必要はなくなった。
それからしばらく、公園に行くたび、彼が背中を丸めて野良猫と話している幻を見た。あれ?と思って近寄ると、そこにはネコしかいないのだった。
あれからずいぶんたつ。
国勝さんが無事成仏していることを祈る。
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