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否定されないって不幸じゃない?
否定なんてされたくない。
今のありのままの自分を肯定して欲しい。
そう誰もが思っているはず。
でも、最近思う。否定されてこなかった人はある意味では不幸なのかもしれない、と。
学生のうちに否定される機会に恵まれなかった人が得られなかった"何か"がある気がしている。
就活をしていたり、大学生活を送っていると、たまに遭遇する。どの環境でも肯定される側に常にいたんだろうなって人が。
羨ましいとさえ思っていた。
そういう人が一番幸せな人だとも思っていた。
でも大学生活や就活、インターンを経て思う。
そういう人ほど、社会的に評価されてる基準を頼りにしている。みんなが評価する、社会が評価するそんな軸に縋り付いているように見える。
否定されないってことは、常に社会が良いとされている評価軸に見合ってきたということ。
そうなると自分の軸を持つタイミングが意外と来ないのかなと思う。
本来、人は成長していく中で自分の人生で大事にしたいことや価値観が定まって、軸ができあがる。その軸を元にその人の生き様が決まる。
もしかしたらその軸を見つけるきっかけは社会が評価する軸から外れた時なのではないか?
否定されて初めて自分だけの価値を見出そうとする。そんなことの繰り返し。
肯定されてきた人にはそんな機会が訪れなかったのではないだろうか?
だから常に肯定されてきてる人ほど固い選択をしていく傾向にある。社会が正しいとするものから外れることができない人が多い。
別にそれが悪いとかではないけど。
あんまり視界は広くなさそう。
否定されることは苦しい。
でも、そもそも社会とか多数が正しいと思うことと自分の価値観や能力が一致してるかなんて運次第だろう。正しいと思うことも間違ってると思うことも自分で決めた方がずっと楽で楽しい。
自分の幸せを自分で規定して、それに向かっていくことを人生と呼びたい。