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インドは別格③

体力がある元気な内に、またインドに行きたい有朋の首領(ゆうほうのどん)です。

なんせ、とにかくインドは疲れます。
しかしインドでの経験は他の国とは違って強烈なものばかりで、また訪れたい衝動に駆られるんです!

今回は騙された話ではなく、わたしが出会った今も記憶に残る物乞いの話を書いてみたいと思います。


物乞いたちはバクシーシ、バクシーシと言いながらお金を求めてきます。

バクシーシとは【裕福な者は貧しいものに施しを与えましょう】というイスラム教の教えで、バクシーシすることで徳を積むことができるとされています。

物乞いたちは相手が徳を積むことに貢献してあげている感覚なのか、バクシーシされて当然といった態度です。なんかちょっとむかつきます。

それでも私はインドに着いたばかりの頃は、ほぼ全ての物乞いにお金を渡していました。

徳を積みたいわけではなく、インドにはカースト制度があるので物乞いとしてしか生きていけない人達がいると聞いていたからです。


しかしインドにしばらくいると、いろんな情報が入ってきます。

仕事として物乞いをしている偽物がいたり、赤ちゃんをレンタルして観光客から小遣いを稼いでいる女性がいたり、子供の物乞いにお金をあげても大人に取り上げられたりと、必ずしもお金を渡すことが良いとは思えなくなってきました。

そこから私は大人の物乞いにお金を渡すのはやめ、子供の物乞いにはお菓子や食べ物を渡すようにしました。


インドでは手足のない物乞いをよく見かけるのですが、これは親が子供の手足を切断しているというのだから驚きです。
手足がある子供と、ない子供なら後者のほうがお金をもらいやすいということらしいのです。

にわかには信じがたい話ですが、手足がない物乞いの多さが信憑性を増しています。



わたしはとある町で両足のない青年の物乞いに出会いました。

彼は汚れた布の上に座り、通り過ぎる人にバクシーシと声をかけていました。
布の上には今日の成果の小銭や、小額紙幣がたくさん置かれていました。

彼は他の物乞いとは違い、卑屈な表情ではなく笑顔で、明るく大きな声を出していました。
親に切り落とされたのか、事故などによる障害なのかわかりませんが、この体でインドで生きていくのは難しいということはわかりました。


彼は笑顔で私に言いました。

バクシーシ!


とても気持ちのいい声でした。
私は彼にはぜひバクシーシしたいと思いました!

しかし、タイミングが悪く、私は小銭や小額紙幣を持っていませんでした。

私は彼に言いました。

「すまない、小銭を持ち合わせていないんだ」

そういって財布の中の100ドル紙幣を見せました。
てっきり、じゃあその100ドルをくれないかと言われると思ったのですが、、、

彼は足元を指さし

「おつりなら、ここにあるよ」


私は衝撃を受けました!
まさか、そんなウィットに富んだ返しをされるとは!!

お金を渡しても感謝の言葉1つない物乞いや、ウソばっかりつくインド人ばかりを相手にして疲れていた私は、彼に100ドル紙幣を渡し言いました。

「釣りはいらねぇぜ」


私がインドを好きになり始めたのは、この日からだったかもしれません。








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有朋の首領
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