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シンギュラリティはすぐ傍に

「シンギュラリティって知ってますか?」

 酔っぱらった青年が、いつもと同じ切り口で店主に声をかける。
 店主はシンギュラリティについて知ってはいたものの、「はて?」とあえて知らないふりをした。
 そうすれば、お酒の回った青年は嬉々として語り始める。

「AIが人間の知能を超える特異点の事です」
「あー、それか。聞いたことあるなぁ」

 常連と店主。親しみがあって砕けた口調で言葉を交わす。

「確かぁ、45年に来るやつだったか」

 いつもなら、青年が「そうなんですよ!」と話を広げ始める所だったが、今日は様子が違った。
 
「これが違うんですよ」

 ワクワクと、宝箱を見つけた子供のように全身で笑顔を表現している。

「最新の検証結果によると、後2年で来るそうです」
「2年!? 瞬きしてたら来ちまうじゃねーか」
「瞬きしても来るのは1秒未満ですよ?」
「比喩だよ、比喩」

 少し今日の削がれた声でツッコミを入れた。

「まぁ、とにもかくにも。急激に進化した背景には、あの自信満々に嘘をつくAIが登場した事が所以と……」

 店主は、青年が饒舌に語り始める様を聞き流しつつ、シェイカーを手に取る。
 ホワイトラム、レモンジュース、ホワイトキュラソーを2:1:1で注ぎ込む。振るたびに冷たさが増していき、シェイカー越しに手が冷たくなっていく。

「聞いてますか?」
「聞いてるぜ」 

 シェイカーの蓋を開けて注ぎ込めば、雪のような白さがグラスを満たしていく。

「X.Y.Z、置いとくぜ。つまり、新しい時代が来るわけだな」
「そうなんですよ! 仕事は全てAIに置き換わり、働かなくて良い時代が来る。そこで人は真に問われるんですよ。何をして生きていきたいかを。仕事をする必要が無くなる。趣味謳歌しようにも、AIの方が遥かに上手だ。AIは趣味さえも奪われてしまう。そんな世の中に変わっていきます。何もする必要がなくなった。努力する意義がなくなった」

 ほげーっと、阿保ずらで聞いていた店主は、ポンッと手を叩いてから口を開いた。

「つよつよな隣人が来たって事だな」

 あまりにも軽い発言に、青年が呆れた表情を見せる。

「俺のやる事は変わらねぇ」

 棚の中を漁って、「サービスだ」とイカの缶詰めを置いた。

「エックス・ワイ・ジィのまろやかな味わいが消し飛ぶんですが」
「美味いだろ」
「ケーキと寿司を同時に食べるようなもんですよ。それぞれで食べた方が美味しい」
「要らないのか?」

 青年は無言で引き寄せた。

「俺のやりたい事は変わらねぇ。うんまい飯を作り、お客様と駄弁る事だ」

 店主は「それにな」とわざと溜めてから口を開く。

「サービス業はAI様には奪えないんだぜ?」

 ニッと笑いながら言ってのければ、青年豆鉄砲を食らったような顔をした。

「貴方に説明しようとした俺がバカでした」
「そこまで言わなくったっていーだろ」

 「失礼しました」と、笑みをこぼしながら青年は答えた。

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