見出し画像

最終話「最後のグループ〜ソロ」

1975年からソロで活動する
はしださんだが…また新たにグループを組む。
1977年 「はしだのりひこと水族館」を結成。
メンバーは、はしだ のりひこ西条 光四郎
かのう しげる竹岡 茂哉の四人で編成されている。シングル「目は軍艦/風に聞け」
レコードはこの1枚のみ。

1978年「はしだのりひことヒポパタマス」結成。

メンバー
はしだ のりひこ:ギター・ボーカル
寺門 一憲︰ギター・コーラス
西条 光四郎︰コントラバス・コーラス

〜ヒポパタマスの由来〜

動物から選ぼうとなり動物園へ向かい
そこで、カバを選ぶ。
カバは英語でヒポポタマスという。
ポをパに変えて「ヒポパタマス」
言いにくいから逆に覚えやすいのでは?となり
ヒポパタマスとなった。
当時のレコードジャケットには
カバ🦛のイラストが描かれていた。

1978年「嫁っこはいねが」
作詞・作曲︰佐々木 善則

〜あなたのメロディー〜

当時、NHKで放送されていた(あなたのメロディー)という視聴者が作詞作曲をした曲をプロの歌手が歌う(提供)という、1963年〜1985年まで続いた人気番組があった。そこで、佐々木 善則さん(一般の方)「嫁っこはいねが」の曲が採用され
ヒポパタマスが歌うことになった。

〜嫁っこはいねが〜

この歌は北海道弁で歌われていて
善則さんのお兄さんがお嫁さんを
探しにいった話を面白く書いた歌である。
善則さん曰く、私は昔から嘘歌を作るのが
好きで嘘歌ばかり弾き語っていた。
今回は兄の真剣な話ではあるが
これもやはり面白く作りたくなってしまって
できあがった歌をなんとなく送ってみたら
たまたま採用されたという。

1番 嫁を探しに旅にでる
2番 津軽へお見合いしたが
緊張しすぎて便所ばかり駆け込む
3番 宮城へ13回行ったものの
結局みつからず帰ってくる
サビ 運が悪かっただけだ
しょげるなそのうちみつかると
励まされ終わる。

1979年にはしだのりひこソロシングル「嫁っこは、いねぇか」としてだしているが詞が少し
書き換えられている。
この歌はかなり評判だったのか
1980年の銀河テレビ小説で放送された。
主演は中村 雅俊さんが演じている。
音楽は寺門さんが担当。
ヒポパタマスは、カントリー
善則さん自身が歌ったver「嫁さがしの歌」
善則さん曰く、田舎ロック調と語っている。

善則さんはこの曲意外に
もう一曲採用されている。これは
どなたが歌ったかわからないが
「特急列車」という歌がある。
これもかなり良い歌だ。

1981年 国鉄時代に作られた
A面「僕らはレールウェイ」
作詞︰石川 良
作曲︰はしだ のりひこ・寺門 一憲
編曲︰青木 望

B面「私の友達」
作詞︰小橋 洋司
作曲︰はしだ のりひこ
編曲︰青木 望

作詞の小橋洋司とは弟、省洋さんの別名である。
ここでも兄弟作品。当時、放送されていた
子供番組ポンキッキでもこの名を使い作詞している。はしださんも出演。

1980年から1981年にかけてフジテレビで
放送されたクイズ(紀行)番組
『いい旅、ときめき本線〜チャレンジ20,000km〜』(キャンペーン・テーマソング)
後期のエンディングテーマ曲で使われている。
当時一部の鉄道マニアで知られる。

・ヒポパタマスのメンバー
西条さんは水族館にも参加されそのまま
ヒポパタマスへ。海援隊のべースも
担当したことがあるという。
寺門さんはアマチュアで来夢来人(ライムライト)という
グループで活動。はしださんの誘いで
ヒポパタマスへ。はしださんソロのバック
演奏にもついていたこともある。また家族ぐるみでも仲が良く、1年で転々と解散しては結成をくり返していたが、このグループが一番長く続いたであろう。解散年は不明だが映像を見た限りでは1999年までバックについてたと思われる。(本人は覚えていないとのこと)寺門さんとはしださんは約25年の付き合い。

1990年代に放送された、坂崎 幸之助司会
フォークシンガーをゲストに呼んで話を聞く番組
BSフォーク大全集』では、はしださんが京都から連れてきたという荻野 裕子さん(ピアノ)をバックに歌われている。

・ソロ作品
アルバム「はしだのりひことメモリアル」の中に収録されている「風の行方」(愛媛県肱川町のイメージソング)あまりにも良いということで
シングル8mmCDで発売された。
メモリアルは、アマチュアで活動していた
ドゥーディ・ランブラーズからソロまでの曲が
収録されていて聴き応えのある作品だ。
他には、「たとえば光
はしだのりひこが作詞作曲を担当している。
このアルバムは、はしだのりひこが全面に
でていると思う。はしださんの作る曲は
ワルツと童謡で作られているため
子供から大人まで楽しめる。

いいなと思ったら応援しよう!