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①依頼 -中国成渝国際演劇祭参加の記録-

 私の主宰する紙魚は2024年の9月に初めての海外公演を行った。その記録。


 中国公演、本当に色々あった。
 現在も色々まだ片付けないといけないことがある。
 それに紛れてこれまでのことを忘れてしまうには惜しいほど色々な初めてを経験したので、ここに思い出せる限り書いてみようと思う。もしかしたら同じ若手の演劇人が海外の、特に中国の演劇祭に参加する際には役に立つかもしれない、そんな内容。

出国の約1ヶ月半前(7月末)

 知り合いの中国人から突然「中国の演劇祭に参加しないか」という連絡をもらった。

 詳しく話を聞いてみると、その知り合いが今年から開催される成渝国際演劇祭という四川省が主催する演劇祭の日本のコーディネーター※に就任したらしい。有名なのが烏鎮のそれだけれど、ここ数年、中国では日本のバブル期のメセナのような感じなのだろうか、演劇祭がボコボコと誕生している。
 彼女もコーディネーターとして声を掛けられたのは5月で、本格的に始動したのは7月らしい。「なんともまぁ…大丈夫かしら?」というのが演劇祭に対しての第一印象。しかもそのコーディネーターはコーディネーター初経験。

彼女との会話で話された今回の条件は以下
・今回の演劇祭の中に青年演劇人の枠組みがあるからその中での参加をしてほしい。
・キャスト、スタッフの飛行機代、ホテル代、現地での食事代は出るけれどその他の製作費は無し。

 私の懸念点は、今の仕事のスケジュールでどうやって稽古をしようかということと、本番日程に休みをもらえるか、という点。

ただ、

 僕にとって中国はとても刺激的な国で。
 昨年初めて訪れたときに、今までヨーロッパや韓国に行って「カルチャーショックだ!」と感じていたことが如何に生ぬるいものだったのかを思い知った。
 それ以降中国という国自体に、中国の演劇シーンに対して殊更興味を持つようになった(因みに老舎の「茶館」という戯曲はここ1年ずっと上演したいと願い続けている。本当に本当に素敵な作品なんです。)。

 そして僕は国際演劇祭への参加を演劇活動を行う上で多分他の同世代の演劇人よりも重要視している自覚がある。それは絶対に僕が育ったSPACの影響なのだけれど、海外公演が如何に作品と劇団を育てるのか(履歴書が立派になるって意味じゃないよ)を知っていたから。

 すぐに参加する意思を固めた。
 そしてありがたいことに、仕事場も快く休みを承諾して下さった。中国に渡航して帰ってくるまでの一週間休みをもらった。

 こうして演劇祭に参加することになった。

まずは演目選びから(続く)


※私の認識における国際演劇祭のコーディネーターとは、その国の演劇事情を把握し、その演劇祭にピッタリな国の代表を選び誘致する役割です。


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