なぜnoteを始めたのか

 この度noteを始めることになりました、紙魚という演劇団体を主宰しています濱吉清太朗です。よろしくお願いします。
 これから定期的に投稿をしていきたいな、なんて今のところ考えていますので気になったときにチェックしていただけたら嬉しいです。

(翌日投稿しますとXに記載してから1ヶ月以上が経過しようやく投稿………..うわぁ。。。)


このnoteの使い方

 このnoteは主に、
①私の演出作品について
②私の演劇観について(過去に課題等で執筆したものの加筆も含む)

の投稿に使用しようかなと思ってます。
 紙魚のnoteアカウントはまた別にあるので、こちらはもっと演出に特化して「作品のあれこれについて知りたい!」方向けのページになると思います。あと、演出を勉強している人…?
 自分が過去の演出家の諸々を勉強する理由は、その人たちが辿り着いたところまでショートカットして、より遠くに行くためです。日本には劇作演出家は沢山いるけれど演出家は少ないし、自身の感性の表出だけじゃなくて構造を分析して「戯曲」を立ち上げることができる演出家はごく少数。
 その理由と結果のどちらかはわからないけれど、演出は勉強できるツールがとても少ない。だから、例えば10年後とかに誰か演出家になりたい人が読んで「あ、この人はここまでたどり着いたんだな、自分はその更に奥に行こう」と読めるように残しておきたい。大きく出るとね。

始めた理由

何故始めようと思ったのか。いくつか理由があって、
せっかくだから文字に起こしして残しちゃおう と思ったから
リハビリと訓練 をしたいから
整理 したいから
言葉を発信する必要性 を感じたから

一つずつ補足。

①せっかくだから文字に起こしして残しちゃおう

 なんか去年から沢山喋る人間になりまして。
 何故去年から急に言葉が溢れてきたかというと、それは昨年から作品創作を本格的に始動したからだと思います。去年は1回1回のイベントではなく演出を日常にしていた1年でした。
 岸田國士の有名な言葉に、

「或こと」を言ふために芝居を書くのではない。  芝居を書くために「何か知ら」云ふのだ。

岸田國士 言はでものこと

というものがあります。
大学でのレポート課題でもそうだったのですが、私の場合はテーマを与えられたり芝居を作ることで言葉が生まれます。言いたいことがありきではありません。それか、もしかしたら創作をすることで自分の内側の意識が引っ張り出されて言葉になるのかもしれないけど。
 兎にも角にもその言葉をせっかくだから記録に残して、且つ共有してみようかなと思い立ちました。

②リハビリと訓練

 とは言ってもしゃべり言葉と頭/思いついた言葉/文章の言葉の3つは全然性質が異なっていて、どれかからどれかに移行するだけで急に説得力の無くなる言葉もある。この3つを行き来しても耐えられる(自分が最大限に伝えられたな、と満足できる)言葉を生成する訓練にお付き合いいただきたい。
 そして訓練は定期的に行わなければ意味がない。
 でも私から言葉がでてくるのは、先述の通り作品を創作しているときだけ。今現在、1月に演出者協会でのイベントに参加した時から創作は全然していなくて、最近はまた色々動き出しているけれど3月中旬までは出荷待ちのロボットくらい「無」な状態が続いていました。よく行動力があってすごいねと言っていただけるけれど、自分は本当に出不精なので。
 だって事実として明日投稿しますって言ってから1ヶ月経過してるわけですし、、、。この1ヶ月別に忘れてたとかじゃないんです。to Doリストにずっとあって、しかも下書きにはほぼ完成の状態で残してあって。でも最後の仕上げが面倒臭くて。思いついた言葉→文章の言葉のトレースがあまりうまくいってないなと思っているうちにポイッとしてしまっていた。
 そういうテンションの浮き沈みで、できること/できないことが生まれていくのはあんまり生きてる上でお得じゃないな、と思い。だから、恥を晒しながら文章を書く訓練を作品創作の期間でなくてもしようと。

③整理

 書くことによって、喋り言葉もより伝わりやすくなるんじゃないかと思っています。
 なぜなら書くことによって自分の考えが整理整頓されるから。
 演劇に限らず、僕は結構自分の中に矛盾した考えを持っている。ブレヒトも自分で演出する舞台は全然異化効果じゃない、みたいなそんな感じ(ミヒャエル・エンデがそう言ってた)。
 それは誰しもが抱えていることだと思うけれど、でも自分の場合は何か一つ質問された時に自分の中にあるAの考えとBの考えを交互に、出てきた順番で話してしまう。2つならまだいいけれどA〜Gまでを交互に喋られた暁にはもう相手は理解なんてできるわけがなく。
つまり喋りが得意ではない。それは過去のインタビュー記事読んでもわかる。
2022年のインタビュー記事
2023年のインタビュー記事
鼎談

 卒業論文でNoismの芸術総監督である金森穣さんにインタビューをしました。
 金森さんは「闘う舞踊団」という書籍も執筆していて、実際も常に様々なものと闘っているように見える。行政とかヨーロッパとか過去とか…。
 で、インタビューではその闘いに必要であろうエネルギーの爆発力みたいなものもすごく感じた。というのもあるけど、何よりも凄いと思ったのが、文字起こししたらもうそれだけでカットや修正のいらない記事として出せるまとまったもの(出さないけど)になったという点。「えー」とか「あー」とかも一才ない。そして言葉にまとまりがあって、曖昧な表現がなく全部言い切りで、且つ区切りが適度にあるセンテンスとして出てくる。区切りがある程度あるというのは、金森さんの場合第二言語で人に説明をしなければならない経験が多かったことが関係しているのではないかと勝手に思っているけど。1時間のインタビューの予定が40分で終わっちゃった。
 その言葉に説得力があるかどうかはまた別としても、多分闘うには、いや闘わないにしてもその力はあった方が良いだろうな…と強く感じたインタビューだった。

④言葉を発信する必要性

これが最後且つ最大の理由。

 まず前提として私は鈴木忠志にとても影響を受けている。それは静岡育ちでSPACを見て育ったことが理由として大きく、私が専業的な演出家を選択したのは少なくともその環境によるもの。
 鈴木さんは本当に沢山の文章を残している(まだ生きてるけど)。
 彼は演出家や演劇人が文章を残すことを凄く重要視していて、他の理由もあるだろうけど、それは言わなきゃ/書かなきゃ分かってもらえないことが沢山あるからなのだと思う。それが、公共というアカウンタビリティがあるものと相性が良かったのか、こちらが先なのかはわからないけれど、それを平田オリザさんとか宮城聡さんとかは引き継いでいて、宮城さんは本こそ出していないもののインターネットで調べるとアーカイブされている言葉は山のように出てくる。
 その姿を見ていて、いつか、いや今すぐにでも自分の演劇観は文章に起こしておいた方が良いのだろうなとはずっと思ってはいて。

 そして、見に来てくださった方々がどう感じても別に自由だしそこが芸術の面白いところだとは思うけれど、実際昨年1年創作活動をしてきてそこは根本的に違う…..と思うことも多々あり。それは私の力不足によるところもあるけれど、それがプロの劇評家の方に対しても「いや、そこは戯曲を知っていればそういう誤解はしないはず…」や「調べればすぐ出てくるけれどそれ全然違うよ(事実誤認)」と思うことがあったので、書く必要性を感じました。自分の身は自分で守らなければならない、というと大袈裟だけれど。

 例えば渡辺保さんなんかは「演出家 鈴木忠志 その思想と作品」なんかを読んでも「演出」と「劇作」を切り分けて批評することのできる稀有な方だな、と思うけれど、特に日本は「演出家」の演出能力について批評を書ける劇評家が少ない。それは自分の作品に対してではなく日本の演劇界全体で。

(以下具体的な例を下書きに書いていたけれど余計な軋轢は避けたく、大幅カット。読みたい知り合いは個別に連絡下さい〜) 

 この2つの例からもわかるように(カット部分)、劇作と演出を含めて作品を見る鋭い目を持っている人はいるけれど、ずっと前に書かれた「古典」の言葉を扱う人ととして観劇する力を持って観劇してくれる人はなかなかいない。
普通の観劇感想と批評は当人の中では別なのかもしれない。でも「観劇してそれを言語化することのプロ」と思われている人の言葉は割と鵜呑みにされやすいから怖い。
まあ、といったって私がそんな方々のお言葉さえもらえるスタートラインにはまだ立てていないのですが。
でも、いずれ観客の方にしろ批評家の方にしろそういった文章を書いてもらうことがあった際に、自分の考えは書いておいた方が自分の/作品のためになるだろう、と思った。

長々と書きましたが、そんな感じでnoteを始めて見ました。

次回の投稿→
「自己紹介」
次々回の投稿→
「何故今年、紙魚はこのような運営方法を選んだのか」
を予定しております、よろしければ。
そのうち画像なんかも入れちゃったりして、だんだんnoteにも慣れていこうと思うので今後ともよろしくお願い致します。
ではでは。

濱吉清太朗


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