Note:01_子育てについて

1回目の投稿として育児に関して
投稿したいと思う。
気合が入りすぎて、無駄に長くなって
しまったことが悔やまれる。

子育てについて 考えていること、
感じていることは山ほどあるので
1つの記事で書き切れるものではないのだが、
ここでは自分の子育てに対する基本的な
スタンスを書き残したいと思う。

駄文&長文になってしまっているので
もし読まれる方がいらっしゃれば、
心してお付き合い願いたい…。

■育児は“育自”

とても、月並みな表現になってしまうが
育児は“育自”というのが、自分の子育
スタイルの根底にあると思う。

この言葉には2つの意味がある。

1つは字面通り、子育てを通じて
成長するのは親であるということ。

2つ目は、子供とは受動的に育つのではなく
自ら育っていくものであるという事。

He was born. ではあるが
He was grown up. とは言わない。という事だ。
これを掘り下げると話が脱線するので
また別の機会に…。

■親が育つ

新しい体験をする。新しい事を学習する。
という事は、非常にストレスがかかる事だ。

社会人になってから、
自ら新しい知識を得ようと勉学に励む人が
一体どのくらいいるだろうか?
就業者の平均学習時間が、日本では6分しかない。との驚きの記事を拝見したことがある。

私も例に漏れず、プライベートな時間は
ひたすら自堕落に過ごしている人間の1人である。

そんな自分にも、新たな体験と学習を
否応なく与えてくれるのが子供という存在だ。

いろいろな体験/学習の中で
もっとも自分が有難いと思うのは、
妻とのコミュニケーションを介して
新たな気づきを得る事である。

ホモサピエンスとは、コミュニケーションの
生き物である。(と、私は思う)
人間力は、他者とのコミュニケーションで
磨かれる、と私は考えている。

とりわけ、この世界でもっとも
親密な他者である妻とのコミュニケーションは
自身に与える影響が少ないはずもない。

2人きりの生活では、生まれなかった
会話、討論、口げんか…etc
それらが私の人間的な成長に及ぼした影響を
少なからず感じている。

■子は勝手に育つ

子供を公園に連れて行った時に、
その場で他の子供と仲良くなり
一緒に遊び出す。というのは、個人差はあれど
少なくない現象だろう。

その場で遊びのルールを教え合い
時には新たなルールを定めて遊ぶ姿さえ
見ることがある。

また、同年代、もしくは少し年上の
子供と1日過ごすと、急に語彙が増えたり
大人びた行動をとるようになったことに
驚かされた経験がある。

親からは与えることの出来ない
影響を他人の子供から得ているのだ。
可愛い子には旅をさせろ、という事である。

安全に外の世界を体験するために
親の存在は不可欠ではあるが、
あくまでも補助的な役割だと感じている。

子供にとって外界での学びは非常に大きい。
親の教育だけで、行く末をコントロール
しようなど到底無理な話なのだ。

自分の子供は、箸の持ち方を
まともに教育していないのに、保育園で
箸を使うためか、いつの間にか使えるように
なっていた。
(それはまた、別の話な気もするが…)

ともかく、子供は勝手に育っていくものである


■育て方よりも”育ち方”を知る

「子供は勝手に育つ」と言うと
育児放棄をしろってことか?と
感じてしまうかもしれない。

言い換えるのであれば、
「育て方よりも育ち方を知ろう」
という事である。

”子育て”と検索すると、
〇〇式子育て、や 〇〇大学へ行く子は
こう育てた!などと銘打った書籍や
子育てのノウハウをまとめたサイトが
ごまんと出てくる。

そのような情報にアンテナを張るのも
悪くないが、あまり没頭しすぎると
あたかも子育てに“正解”があるかのように
思えてきてしまうから危険である。

子育てに正解はない。
他人の成功体験ではなく、自身の子供の
人となりを理解し道を示すのが、
重要ではないだろうか。

その子がどう育つかは、その子供しだい。
日々、成長する我が子を
「今日は何ができるようになったのか」
「明日は何に挑戦するのだろうか」
そんな目線で見守っていきたい。

■終わり

ずいぶんと、知ったような書き方を
したが、自分が常にこんなややこしい事を
考えながら子供と過ごしているかと
聞かれると、そうではない。

子供と過ごす楽しさやストレスを
十分に噛み締めながら、頭の奥底に
ふわっと漂っている考え方を書き起こしたに
過ぎない。

常に意識しようと思っても、それは叶わない。
忘れっぽい人間の定めである。


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