あの大手町の三井物産ビルはもう無い
私が、22か23歳の頃、大手町の三井物産ビルにキーパンチャーの派遣社員で働いていたことがあります。
まだ、三井物産ビルが出来て間もないころでした。
そのビルが今は再開発とかで建て直しの為に、取り壊されてもう無いと聞いて、驚きとともに感慨に浸ってしまいました。
私が派遣で三井物産に行った頃は、新橋の三井物産の爆破事件があってから、それ程経っていないころでしたので、警備も厳重で、身分証を見せてビル内に入るのが、なにか選ばれし人みたいで嬉しかったです。
カルガモが毎年渡ってきて有名になったのは、私が働いていたずっーと後のことです。
当時の三井物産ビルは、最先端とも言える設備で、エレベーターの数は30基以上あったかしら。
確か、12階より上に行く人と、12階までの人と乗るエレベーターが分けられていて、役員用のエレベーターも別になってました。
書類を送る、カプセル型の装置があって、薬のカプセルの大きいもの、みたいな形の入れ物に、書類を入れて行先をダイヤルで合わせて、その装置に装填すると、シュッっと管を伝って飛んでいきました。
これは、わざわざ人間がエレベーターに乗って書類を届ける手間を省くもので、ハイテク感満載で驚きましたが、やがて使われなくなったので、恐らく推測ですが、結構どこかに詰まってしまうと面倒なしろものだったのかも知れません。
同じように書類を送る装置が、天井にレールがあってケースがそのレールを伝って送られるものですが、これは後に両国の同愛記念病院でもカルテを送る装置として、目にしたので、そこそこ復旧したのかもしれません。
ビルは24階建てで、最上階は役員室なのですが、私は18階で、その眺めは晴れた時にはもちろん富士山も見えますし、皇居の中も見えたりして、皇居のお堀に面した一等地でしたから、エリートの方々の仕事をする環境って凄いのねと、その恩恵に派遣の私まで受けられることに、恐縮しておりました。
受け持った仕事は、「宇宙航空機課」と「化学肥料課」の伝票を専門に入力していました。
「宇宙航空機課」ではそのころから、民間による宇宙事業を手掛けていたようですが、主にヘリコプター関連のエンジンとかそういったものが多かったように思います。
「化学肥料課」は、まだ当時は農業の発展が国の最重要事項だったでしょうから、三井物産が手掛けるのも当然の事業だったのでしょう。
そう言えば、平将門を祀った塚がビルの真下にありました。
そこの塚は、三井物産ビルが建てられるときに移動しようとしたところ、工事に関わった人が相次いで事故にあったとかで、「将門の呪い」と言われて、移動することを見送られてそのまま残されたものです。
この度、三井物産ビルが取り壊されて、建て直されることになっても、そのまま残っているようです。
三井物産ビルは、1976年に竣工されたビルですが、2015年に解体されたとか、40年あまりで、無くなってしまうのですね。
私のような派遣の人間は使用できませんでしたが、社員用のバーなどもあり、エリートの人たちは違う世界にいるのだと思いました。
それにしても、世の中は移り変わるものですね。
あの最先端だと思われたビルが、いつしか古臭くなり、今度は超高層ビルに変わっていくようです。
当時、あのビルには確か3千人以上もの人が働いていたと聞いたような気がしますが、その方々も今はもう皆さん定年を迎え、私と同じように、当時を懐かしく思っているのでしょうか?