【過去の日記】アダムとイブは恋をしたのか
以下、10年前の僕の日記です。
色々、考えております…笑
全ては、自分が意識して初めて、意味を持つ。
「大事だという想い」は、何かと何かを比較するときに初めて発生する。
ガチャガチャと、その値段100円を天秤にかけて、ガチャガチャか100円を選ぶ。
どっちの方が、価値があるか?を考える。
では、いつ、その価値を見出すのか?
ガチャガチャを欲しいと思った瞬間?
だったら、それまで、その人にとってガチャガチャは何の価値も持たないモノ。
確かに、意識したときに、価値(意味)を持つのかもしれない。
お金は、昔から意味を知っている。常に意識しているから価値がある。
では、何故、意識するのか?
それは、知るから。
知って、価値を得る。
知らないと、それに価値なんてない。
例えば、街ですれ違う他人のことを大切に思わない。
仲間意識等が芽生えて初めて人は、その人を大切にしたいと思う。
しかし、知っていても、それが当たり前であることなら、意識しない。
更に、比較対象がない場合、もっと意識しないと思う。
逆を言うと、稀なこと、始まること、終わることがあると、意識してしまう。
人は、変わらない日常に価値を見いだせない。
そのくせ、意識して、振り返ってみると、あの頃は良かったと思う。
時々、ドラマとか歌とか、先輩の卒業式とか見て、今を大切にしようと思う。
だから、色々なものを知って、比較することは、価値を再確認するのに大事なこと。
アダムも、イブの表情が変わった瞬間、綺麗だと思ったかもしれない。
比較対象は、ないわけではない。怒ったイブ、笑ったイブ、眠ったイブ…
感動しないのは、意識しないから。
トキメキが無くなるのは、意識しないから。
意識したところで、それにどれほどの価値を見出すかは別問題だけれど…
価値の大きさは、どうやって決まるのだろうか?
それは、個人の体験が生むのだろう。
ピーマンが嫌いな子は、ピーマンを買おうなんて思わないだろう。
学校で、運動会の写真を買えるといって写真が貼り出されたとして、買うのは自分と好きな人のだけだろう。
だから、知ることは大事だし、振り返ることも大事。
大事なモノができたら、毎日、思い出すことをお勧めする。
当たり前な存在だなんて思ってはいけない。かけがえのないモノなのだと思えば、ずっと大切に思えるだろう。
変わらないモノも大切だけど、その中に日々の変化を見落とさず、新鮮さを失ってはいけない。変わらない大切な想いは、ずっと意識していれば問題ない。
心が暗くなると、自分の気持ちも分からなくなるが、まず電気をつけて、明るくなった心から気持ちを見つけるまでは、安易に知った気になるべきではないかもしれない。
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