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「あやかし三つ子のすぅぷやさん」第2話

***

 あやかし三つ子兄弟に見送られながら、「すぅぷや鎌切亭」をあとにした私は駅に向かって歩いていた。

「迷わず駅まで行けるはずですよ。来店されたときとは違い、琴羽様の心は迷われてませんから」

 切也さんの言葉通り、最寄りの駅がすんなりと見えてきた。鎌切亭を見つけた時とは違い、まっすぐ歩いてるだけなのに。今晩は本当に不思議なことだらけだ。

「タクシーを呼んでおいたからね、琴羽さん。駅の近くで待っていれば来てくれるはずだよ」

 紗切さんがタクシーを呼び寄せてくれたのなら、あとは待っていればきっと大丈夫だ。
 駅の前に古びたベンチがあったので、そこに腰を下ろすとスマホを取りだした。今度は問題なくスマホを操作できた。壊れたわけではなかったようだ。

「雄太の電話番号は、と」

 別れてすぐに、雄太の電話番号を消そうと思った。けれど、「あとでいいわ。今は忙しいし」などと言い訳しているうちに、元カレの電話番号は今もしっかりと電話帳に残されている。今思えば、単純に私が消したくなかったのだと思う。
 画面に表示されている雄太の電話番号を前に、私はしばし考え込む。

「電話しても大丈夫かな……」

 鎌切亭で決心できたはずなのに、いざ自分ひとりで連絡するとなると、どうしても緊張してしまう。
「元気してる?」って連絡するのはどうだろう? うーん、私はふられた側なのに、ちょっと不自然な気がする。
「あなたの声が聞きたくなって」と話すのはどうかな? ダメだ、未練たっぷりなのがバレバレだ。
 頭の中であれこれ考えているうちに、手にしていたスマホが突如として鳴り響く。誰かからの電話だ。

「え……雄太?」

 スマホの画面には、今さっきかけようか迷っていた電話番号と名前が表示されている。番号を変えたとかでなければ、雄太からの電話で間違いないと思う。

「ど、どうしよう?」

 少し悩んでしまったけれど、このまま無視するわけにもいかない。震える手で画面をタップして、電話に出た。

「は、はい……」

 一瞬の間をおいて、こちらを伺うように静かな声が響く。

『琴羽……? 雄太だけど』

 とくんと、胸が弾むのを感じた。きっと今の私は心拍数も上がっているだろう。

「う、うん。こんばんは」
『こんばんは。突然電話したりしてごめん。今、話して大丈夫か?』
「うん。今日はもう仕事終わってるから」
『そっか。お疲れ様』

 ぎこちない会話だけれど、彼の声を聞いているだけで体が熱くなってくるのを感じる。

「それで、何か用事でも、あった?」

 聞き方ってものがあるでしょ、私! せめてもう少し愛想よくしないと……。
 自分で自分自身につっこんでしまった。要件だけを手早く聞きたいと思うのは、私の悪い癖だ。

『あのさ……。俺の部屋に、琴羽の好きな本が残ってて。返したほうがいいかな、って』
「べ、別にいいよ。好きにしてくれたら。本はまた買えばいいし」
『そっか……。じゃあ、そういうことで』

 会話があっさりと終わってしまった。雄太がすでに電話を切ろうとしているのを感じる。
 このままじゃダメだ。ようやく再び繋がることができたのに。

「あ、あのね、雄太。私もあなたに伝えたいことがあるの」
『……なに?』

 雄太が私の話を聞こうとしてくれている。以前は当たり前だったことが、今はこれほど嬉しいだなんて。
 伝えてみよう。今もあなたが好きだと。そして別れた理由を知りたい。

「雄太、私ね。あなたがいてくれたから、明日も頑張ろうって思えたの。ずっと一緒にいてくれて、本当にありがとう。感謝してる。でもね、私は今でもあなたが好き。だから別れる理由を教えてほしい。じゃないと私も、前に進めないから……」

 雄太の負担にならないよう、できるだけ簡潔にまとめて話したつもりだ。
 電話先の雄太は、しばし無言だった。話すべきか迷っているのかもしれない。

「私の気持ちだとかは考えないでいいよ。正直に教えてほしい」

 もう一度お願いすると、雄太は言葉を選ぶように少しずつ話し始めた。

『琴羽とは、お互いの仕事の都合で会えなくなってしばらくして。おやっさん……店長の店が閉店したんだ』

 それは私が想像さえしていなかった話だった。 
 雄太の言葉少なめの説明に、私は当時の状況を理解できた気がした。
 雄太が言う『おやっさん』とは、彼が父のように慕っている町の洋食屋の店主のことだ。雄太の家は母子家庭で、生活も楽ではなく、家計を助けるため高校に入ると同時にアルバイトを始めた。小さな洋食屋の店長は雄太の真面目な性格と家庭環境を知り、何かと優遇してくれたと聞いている。同時にお世話になっている店長の人柄と腕に惚れこみ、弟子入りする形で雄太は洋食屋のコックとなったのだ。

「いつか、おやっさんの店を継いで、町の洋食屋を続けていけたらいいなぁ」

 雄太は常々そう言っていた。父とも慕う店長の店を守るのは、雄太の夢でもあった。
 私も何度もお邪魔させてもらったけれど、雄太と洋食屋の店長の絆は本物だったと思う。

『俺さ……何もできなかったんだ。経営が少しずつ苦しくなり、体調も悪くなる中でも、店長はいつも笑顔だったから。馴染みの客と、弟子の俺に心配させたくなかったんだと思う。で、ある日言われた。『店をたたむことになった。雄太、すまん……』って』

 とても辛そうに、ぽつぽつと話す雄太の声を聞いているだけに胸が絞めつけられる。彼はどれだけ苦しんだことだろう。
 高校生の頃からずっと働いていた店が閉店する哀しみ。恩人でもある店長の苦しみに気づき、支えてあげられなかった後悔。生きがいと夢であった場所が消えていく寂しさ……。
 
「辛かったでしょう? 雄太……。どうして、私に何も話してくれなかったの?」

 今となっては遅いけれど、悲しむ雄太を支えてあげたかった。状況を変えることは難しくても、落ち込む彼の隣にいてあげたかった。

『そんなの話せないよ……。琴羽は命を預かる仕事に就いてるんだから。前に話したろ? 俺の父さんは病気で若くして亡くなったって。病院は俺にとって辛い記憶しかないけど、琴羽に出会って変わったんだ。琴羽が働いてる場所だって思ったら、怖くなくなった。だから琴羽には看護師の仕事を大事にしてほしかった』

 雄太は私の負担を考えて、自分の事情を何も話さなかったのだ。
 ああ、この人はこういう人だ。誰より優しくて強い。だから私は雄太が好きになった。

『なんて、かっこいいこと言ってるけどさ。現実は厳しくて……。店長の紹介で別の店のコックに就職が決まったんだけど、そこは人気チェーン店のひとつでさ。いろいろとシステム化してるから、新しい店に馴染めなくて……。情けないけど、落ち込むことが増えていて、頑張る意味もわからなくなってた。そんな中で琴羽に電話で、『仕事、頑張れ』って言う自分がなんか、惨めでさ……。ごめんな、琴羽。理由も言わず、別れてほしいだなんて、勝手だよな……』

 スマホから聞こえる雄太の声は、かすかに震えていた。
 どうして雄太が謝る必要があるのだろう。むしろ謝らなければいけないのは私のほうだ。
 雄太の辛い状況に、何一つ気づいてあげられなかった。彼の苦しみに寄り添ってあげられなかったのは私なのに。

「私のほうこそごめんなさい。私、何にもわかってなかった。自分だけが辛いような気持ちになってた」
『琴羽が謝る必要はないよ。俺が不甲斐ないから……。琴羽のこと、支えてあげられなくてごめん』
「ちがう、支えてあげられなかったのは私のほう。ごめんなさい……」
『琴羽……』

 私たちが別れることになってしまった理由。
 それは私にも雄太にも、どうにもできないことだったのかもしれない。二人とも仕事と生きることに必死で、お互いを気遣う余裕さえなかったのだから。

「雄太、私ね。あなたにお願いしたいことがあるの」

 どんな事情があったにせよ、別れて生きることを選択してしまった私たちだ。かつての関係には戻れないかもしれない。それでも私は雄太に伝えたい。彼が元気になれるであろう言葉を……。

「私、あなたの作ったミネストローネを食べたいの。雄太とあなたの料理が大好きだから……」

 電話の向こうで、彼が声を押し殺し、泣いているのが伝わってくる。それは私も同じだ。涙で視界がぼやけているのを感じながら、懸命に言葉を伝える。

「あなたが許してくれるなら、働いてるお店にも食べに行くから。だからお願い。明日も……」

「明日も頑張ろう」って言おうとした。でも伝えてもいいものか、悩んでしまう。雄太はもう十分なぐらい頑張っているだろうから。

『わかったよ、琴羽。明日も仕事を頑張るよ。働く場所が代わっても、これまでの経験を生かせる場所を紹介してもらったんだもんな。だからまた俺のミネストローネを食べに来てほしい。琴羽が『美味しい』って喜ぶ顔が見たいんだ……』

 ああ、良かった。私の思いが伝わった。雄太はきっと大丈夫だ。落ち込むことはあっても、きっと前を向いて歩いていける。

「うん……。私も頑張る」
『ああ、頑張れ』
「あの、あのね……」
『ん?』
「もしも迷惑じゃなかったら……また電話してもいい?」

 少しでもいい。雄太と繋がっていたかった。

『ああ。俺からも連絡するよ。また話そう』
「雄太……!」

 雄太とよりが戻ったわけではない。でも完全に途切れるわけではないとわかって、たまらなく嬉しかった。
 あふれる涙の向こうから、タクシーがライトを光らせて走ってくるのが見えた。

「タクシー来たから、電話切るね。またね、雄太……」
『ああ、またな』

 再会を願い、「またね」という言葉を再び使える喜びを感じながら電話を切った。
 頬に流れる涙を拭い取り、夜空を見上げる。月と夜の星がきらめく宝石のように輝いている。この優しい光を、私は生涯忘れることはないだろう──。

***

「琴羽さん、元カレさんと連絡できたかなぁ?」

 すぅぷや鎌切亭では、あやかし三つ子兄弟の末っ子で接客担当の紗切さぎりがテーブルを拭きながらつぶやいた。

「きっと連絡できてますよ。琴羽さんの思いが伝わると信じましょう」

 三つ子兄弟の長男であり、鎌切亭の店長でもある切也きりやが、穏やかに微笑んでいる。

「だけどよ、切ることしか能がない、かまいたちの俺たちが二人の関係を繋ぐことができたなら。こんなに嬉しいことはないよな」

 三つ子兄弟の次男であり鎌切亭の料理人刀流とうるが、包丁をきらりと光らせながら言った。

「切ることしか能がないのは刀流でしょ。僕には万能の薬という力があるんだから、一緒にしないでくれる?」
「紗切こそ、俺の代わりに包丁を握り、様々なスープを作るなんてできないだろ」
「うぅ、それはそうだけどさ。僕は愛される末っ子で癒やし担当だから、いいんだよぅ」
「なーにが愛される末っ子だ。三つ子なんだから俺たちは対等だ」

 少しばかり険悪な雰囲気になった弟二人をなだめるように、切也が刀流と紗切の間に入る。

「まぁまぁ、二人とも。紗切の塗り薬のおかげで琴羽さんは味覚が正常に戻り、刀流の作るスープを美味しくいただくことができたのですよ。刀流は琴羽さんの足を切りつけた時に彼女の記憶が頭の中に流れてきて、思い出のミネストローネを作ることができたのです。僕たち三人、誰が欠けてもダメなんです。あやかし三兄弟はこれからも、すぅぷや鎌切亭を守っていきましょう。それが神様からの命令でもあるのですから」

 切也きりや刀流とうる紗切さぎり。三つ子兄弟の正体は、あやかしのかまいたちであり、神の眷属となった者たちだ。すぅぷや鎌切亭で疲れた人々をもてなすように神から命じられ、今晩も人間が来るのを待っている。

「ですが人間という存在は、やっぱり面白いものですね。あれほど傷つき疲れていても、また前を向いて歩いていこうとする」
「人間が何度でも立ち上がる強さは、少しわかったような気もするが、やっぱりわからん」
「でも琴羽さん、可愛かったなぁ」

 それぞれに勝手なことを言いながらも、協力して鎌切亭を守っていく気持ちは変わらない。それがあやかし三つ子兄弟なのだ。

 ***

 人間であるあなた方に教えてほしいことがあるのです。
 傷つき疲れ果てても、再び立ち上がれる強さを。
 
 けれども疲れて立ち上がる気力さえ失ってしまったら。
 どうぞ、『すぅぷや鎌切亭』においでくださいませ。
 あやかし三つ子兄弟が、心を込めておもてなしさせていただきます。
 そして少しだけ教えてください。あなた方が強く生きられる理由を。
 悪戯することしかできない半端者の僕らが、いつか人間のように強くなれたらと願っているのです。

 あやかし三つ子兄弟は、今晩も人間のお客様を心よりお待ちしております──。

     了

#創作大賞2023

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