俺は田舎のプレスリー
まぁ、百姓の倅では無い。
北海道の寒村出身で、人口より野良犬の数の方が少し多いくらいだった。
半農半漁の長閑な町で、出かける時に施錠することもあまり無かったと記憶している。長期で開ける時だけあちこち「じょっぴんかる」=鍵をかけるようなそんなレベル。
そんなんで、いちいち細かい田舎者エピソードをあげてもキリがないくらいの子供時代を過ごした。
一つとても自分自身の形成過程として
良かったんじゃないかなと思えるのは、じわじわと都会に出ていくことになったというその過程が今思い出しても突然の大都会じゃなくて少しづつ適応していくことが出来たその過程こそが今のパーソナリティに大きな影響を及ぼしている。
おかげさまで、すっかり田舎訛りは無くなったけど逞しさや大らかさは残すことができたんじゃないかと自画自賛している。
野趣と洗練を両方持てていることが都会で生き抜く武器になっていると感じるわけだ。
上京したばかりの頃は正直言って、
どいつもこいつも気取りやがって…
あーあーどうせこっちは田舎もんですよ。
みたいな被害者意識があったかも。
そのくせ、里帰りすると垢抜けない昔の仲間や、田舎の風景にやれやれ俺みたいなシティボーイにはやりきれんぜ。
と何だかどちらにも居場所が無くなるような酷い態度というか心持ちでいたような気がする。
果たしていまいまはどうなったかというと、「うん、どちらも素晴らしい地球」みたいな…気持ち悪っ。
なにかプチ悟り的な境地に辿り着いた感がある。
もはやわたくしは日本の様々な面を知り、そして体験して来たわけであります。これからどんどん開発という名のもとに田舎の美しい風景が無機質で画一的なものに置き換わり、
ロードサイドにはコンビニとファミレス…
何より田園が消え、田畑が消え、森が消え、山川が消え、ビルとアスファルトに埋め尽くされていくと思うと本当に嫌な気分。
でも都会は便利、田舎は不便って不公平じゃね?みたいなことも思う。
世界で起きている南北問題みたいなものは日本中の至る所で起きている。
田舎の空気や美しい原風景を知るものこそが新しいこれからの共生社会やサスティナブルについて語ることができると思うし、もはやどちらかの利益代表でいることはダサい。
都会でカントリーボーイ。
田舎でシティボーイ。
そういうライフスタイルが今の地球に適しているんだってこと。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?