教室運営で思うこと(3)エジソンアカデミーを選んだ理由
教室を始めた頃の思い出話です。
※この記事では教室運営について思うところを書います。
エジソンアカデミーを選んだ理由
数あるプログラミング教室の中から、Artec®エジソンアカデミーを選んだ理由を思い出しながら書いてみようと思います。
エジソンアカデミーは
大阪の学校教材メーカー「アーテック」が開発し、
フランチャイズ本部となって運営されている
ロボットプログラミング教室です。
教材のロボットは構造を作る部分でアーテックブロックを使い、
Studuino(スタディーノ)というボードコンピュータで
ロボットを制御します。
2017年当時、いろいろな特徴を持つプログラミング教室がありました。
コンピュータの画面上でキャラクタを動かすプログラミングだけの教室、
モーターを動力として動くロボットだけを作る教室。
ほとんどがどちらかに分類されました。
両方を同時に学べるカリキュラムを用意していたのは珍しく、
アーテックとレゴのマインドストームを教材とする教室だけだったと記憶しています。
最終的にアーテックのエジソンアカデミーを選択しました。
プログラミング教室ですからどのフランチャイズも似たようなことを言っています。そんな中で決断にいたった独自の視点を2点お話ししましょう。
ブロックの種類が少ない
エジソンアカデミーを選んだ理由の一つは、
教材のブロックの形状の種類が少ないことです。
レゴのブロックのように
形状がたくさん用意されているわけではありません。
四角形、
三角形、
四角形の半分サイズのブロック
というように形状の種類が限定されている
アーテック社オリジナルのブロックを使って
ロボットをつくります。
「形状がたくさんあるほうが、ロボットをいろいろな形に造形できるから、レゴのほうがいいんじゃないの?」
そう思われるのが普通だと思います。
この点については、
「制約の中にこそ、創造力が発揮される自由がある。」
という私の経験則でもあり持論もあって、
これが選択の根拠になっています。
どういうことかというと、
世の中のほとんどの営みは何らかの制約の中で、
ある部分自由にできる裁量が与えられています。
不思議なもので、
枠にはめられた範囲の中に自由があるからこそ、
枠からはみ出そうとして創造力が発揮されるのです。
ひとつ身近な典型例を挙げれば
「女子高生の制服とその着こなし」があげられます。
校則で制服が規定されてます。
彼女達にとっては枠をはめられているといってもいいでしょう。
でも彼女らはその枠からはみ出すようなKAWAII着こなしを工夫しています。その着こなしはSNSの海外ユーザーにも取り上げられるほどの「創造力」を発揮しています。
形状の種類が限られたブロックを使うからこそ、
子供たちの「創造力」を伸ばすことができる。
それが私の考えです。
間違えやすい
エジソンアカデミーでは、ロボットの組み立てとプログラミング作成を同時に行います。
すると、どちらか一方、または両方で間違える確率が高くなります。
これが二つ目の選択理由です。
意地悪しているようですが、そうではありません。
プログラミングってうまく動作しなくて、それを修正するときこそ学びが多いからです。
これも経験則であり持論です。
また、間違えやすいのは単純に子供たちにとって難しいからと言えます。
子供たちの前では言いませんが、大人でも難しいことをやっています。
個人的には、プログラムを開発する企業の新入社員研修に使ってもいいんじゃないかと思っています。
子供たちは、ロボットの組み立てとプログラミングの経験値がほぼ0です。そのためテキストに記載されているように作ったつもりでも、
ブロックの取り付け位置がずれていたり、
逆さまだったり、
プログラムのコードの並びが違っていたり、
抜けていたり…。
一回で完成することは、まずありません。
このことは、フランチャイズ契約前に実際の授業を見学して確認しました。
間違えやすいと何がいい?
「期待した通りに動かない」
「上手くいかない」
子供たちにとって「問題解決」の機会が多くなります。
もっと具体的に言えば「問題点を言語化する」機会を多く与えられます。
大人であっても
「なにかおかしい。」
「なんか変だ。」
と言っている間は問題は解決しません。
問題となる事象・事柄を文字に書き起こせるぐらい
具体的に言語化できたとき、
はじめて解決の糸口を見つけることができます。
解決の糸口が見つかれば、
次に試行錯誤を繰り返し、
問題解決に向けたアクションをとることができます。
何回かの試行錯誤の末、完成に至るという経験も積ませることができます。
プログラミング教育に期待されている「問題解決能力」は、「言語化」するスキルです。訓練で身につくものです。
だから訓練の機会を与えるためにも、間違えやすいほうがいいのです。
余談:さて、改めて文字にしてみると
当時考えていたことを改めて文字にしてみると、
多分にカッコよく見せたい思いが働いているので、
それらしく見えると思います。
演出の範囲ということでご容赦ください。
ただ、理由として挙げたものを見てみると、天性のカンというか、天才型のヒラメキというか・・・(悪く言いたくない)・・・。
何を言いたいかというと、
科学的根拠が全くない。
「経験則と持論って、なんですか?」ってことです。
なんだったんでしょうね。
「見た目は大人で、頭脳は少年、迷探偵さとっち。」ですか。
まあ、そんなに間違ったことは言ってないつもりなんですが…、
若かりし頃に嫌いだった
「経験でモノを語るオヤジ」
に知らず知らずのうちになってました。