それがいい
5月のゴールデンウィークに父親と訣別してから、もう半年実家に帰っていない。こんなことは50年生きてきて初めて。
わたしは、自分が思っていた以上にいままで「親のために」生きてきてしまっていたのだとこの半年間で氣づかされた。
正直、5月や6月は父のことを考えると涙があふれた。今もまだ泣いてしまう日がある。40を過ぎて家を出てから、わたしは父といい関係になれたと思っていた。両親はとても仲が悪く、母方の祖父母もまた、そうだった。母は自分の母親と同じように自分の夫を嫌い、わたしを味方につけようとし、わたしの父をなじった。わたしは実家にいる時は母と同じように父を嫌いだと思っていたが、実家を離れてみるとそんなに父のことを嫌だとも思わなくなっていた。わたしは、母のことも実際あまり好きではないのだと思う。母は父のことをものすごく悪くいうけれど、娘のわたしからしたら2人は似たもの同士である。
今は年末年始も帰らないでいようと決めている。
今年の年末年始休暇はとても長いけれど、母お手製のお雑煮も食べられないけれど、それでもいいと思う。
もう、「いい娘」をやってあげることに疲れた。
なぜ結婚しないのだと父になじられたこともある。
「あなたみたいなみっともない父親がいるからだ」と何度言いそうになったろう。自分の父を恥じることは自分を恥じることだと思っているし、「結婚しない」のはわたしが結婚したいほど好きな男性ができなかったせいだし、一人っ子で、「ひとり」が好きなのもあるだろう。何しろ、自分の自由を束縛されたくない。父のような「幼稚」な男が身近にいたせいで、男性に対して幻滅している部分もたぶんにあるだろう。父はとても依存的だ。自分で楽しみを見つけるのではなく、身近なものから楽しみや幸せを与えてもらおうとする。友達もいないし、わたしと違って7人も兄弟がいるのに誰とも疎遠である。ひとりでどこかに出かけることもできない。だからわたしに「孫がいればな」とつぶやいたりする。
わたしは生まれてきてからずっと父に喜びを与えてきたはずである。これ以上わたしに何を求めるのだ。もうあなたには十分わたしは与えてきた。5月に言い争いになった時、父はわたしに「冗談じゃないか」と言った。わたしは「では、あなたはわたしが言ったことをなぜ冗談とは思わなかったのですか?自分が言ったことは冗談ですませて、こっちのいうことはそうじゃない。めちゃくちゃじゃないですか」と。「傷つきやすいのはあなただけじゃない。みんな傷つきやすいのだ」と言ったら変な顔をして笑った。
いつもそうだ。母に対してもめちゃくちゃになじって、家族だから言い争うのは当たり前だとかなんとか。
もうこのまま死ぬまで会わないのかなとも思う。80を過ぎて世界が狭くなり、被害者意識が強くなる一方で、わたしに言ったことも父の中で「正当化」され、「悪かった」なんて絶対言ってくれないだろうから。
孫がいないからせめてもと4年前から猫を飼い始め、その飼い猫がびっくりするくらいいい子で、毎月猫を連れて実家に帰った。
父と母が仲良く暮らしてくれるように毎日祈ってた。でも、わたしは父になじられ、あげくわたしに猫がとてもなついていることに嫉妬してきた。
もう限界だった。
世の中にわたしみたいな娘、どれくらいいるのかなと思う。
問題のない家庭なんてない。
どれくらいの「いい娘」を犠牲にして、その家庭が成り立っているのか。
実家に帰らないわたしをどこかで「まずいんじゃない?」とあんたが折れたほうがいいと言ってくるわたしがいて、「誰かに」それでいいよって言ってもらいたくてたまらなかったけど、自分で決める。
誰にも「大丈夫」って言ってもらわなくても自分が「自分」に大丈夫って言ってあげられるひとになりたい。
わたしは年末年始も実家に帰らない。
うん、それがいい。