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6日目、秋の気配と昔語り。

 足の怪我で不自由生活が続いております。ごきげんよう。私です。

 できるだけ動かさない、安静にしておかなきゃ! という免罪符を掲げて、安静だからシカタナイネとベッドに転がることが中心の生活も、一週間越えると慣れてくるもので。なんならちょっと飽きてきたまである……。日々の食事なんかも汚家の備蓄を食い減らしたりして今に至ります。
 とはいえ、もう一週間だし、と、先日スーパーへ買い出しに出掛けたんですよ。スーパーまで階段はないし、平地を歩くのは平気なはず。

 いつものスーパー、毎日のように見ていた品々は、一週間見ない内に秋の装いになっておりました。そこかしこに栗芋南京。どれも好物です。堕肉の蓄積に役立ちます。立ててる場合じゃない。
 だいたいいつも通るルートってなんとなく決まっていて、惣菜コーナーから精肉、鮮魚、青果をまわり、特集特売インスタントやお菓子を過ぎて乳製品や冷凍食品見てほぼ一周。ゆっくり見てまわったら帰宅まで30分くらいかかりました。

 んー、疲れてる! 座って実感する筋肉のささやかな訴え。ツカレタヨー、ネッコロガロウヨー。
 普段の活動量考えたら全然足りてないのに、普段の倍くらい疲れた感じ。甘やかすとこんなに簡単に筋肉って衰えていくものなんですね……こわい。

 お年寄りが毎日散歩に行かないととか言ってるのってこれを防ぐためかぁ。もちろん筋肉の為だけじゃないとは思うけれど。お日様浴びるのも大事だしね。少なすぎると鬱々としちゃう。
 そういや祖父は毎日必ず散歩に出掛けてたなあ。父母は犬の散歩で毎日出ないといけないけど、そういう義務のなかった祖父は普通に歩いているだけだったのかなと思います。
 祖父の嫌な記憶は思い出せないくらいで、私は要領よくおねだりして何か買ってもらったりしてました。息子である父には厳しい人だったのかもしれないのだけれど。今度聞いておこう。

 祖父といえば、戦地へ行った人だったみたいです。でも詳しく聞いたことはありませんでした。武勇伝のように語ってくることもなくて、祖父はいつも和室にいて、テレビで時代劇や阪神タイガースの試合を見たりしていました。タイガースがホームランを打つと『はいった、はいった』と涙ぐむ。今思えばかわいいおじいちゃんだったよね。でも私は野球と時代劇のどちらにもあまり興味はなく、良かったねぇと思うくらいでした。

 祖母と喧嘩していた記憶もあまりなく、祖母は結構早めに亡くなりました。膵臓がんでした。わかった時にはもう手の施しようがなく、近所の病院に入院してから3ヶ月程で旅立ちました。
 祖父も見舞いに行ってたようですが、主に母が毎日病室へ通って面倒を見ていました。祖母が亡くなる直前に『よぅ面倒見てくれてありがとうな』と、母にお礼を言ったのだそうです。そう語る母は思い出して涙していました。長男の嫁としていろいろあったけど、あの一言で全て報われたのだと。

 それから10年以上が経ち、母から『最近お爺ちゃん全然食べないのよ、大好きなマグロの赤身も食べなくて。病院に連れて行くわ』と電話があり、即日入院して3日で祖父は祖母の所へ逝きました。老衰で大往生。
 母はちょっとスピリチュアルな不思議の世界を信じる人だったので、
「お爺ちゃんね、寝言で『そんなに引っ張るな、今行くから』とか言ってたのよ。きっとお婆ちゃんがお迎えに来てくれたんやね」
って言っていました。向こうで夫婦再会できてたらいいと思ってます。

 あー、母が忘れる前にもっと聞いておけば良かった。ホント後悔って奴は先に立つ気なんて微塵もねぇよな……だから後悔って言うんだよね、知ってた!

 今となっては、我ら姉弟の生まれる前の、祖父母や母の過去を知っている生き証人は父とその兄弟だけになりました。多分その記憶も随分衰えて、父も同じ話を何度もしたり、あーあれやあれ、なんやっけ? と思い出せなくなるくらいには老いています。
 父母はいつのまにか祖母の歳をとうに追い越していました。祖父の歳にももうすぐ追い付きます。聞いておけば良かったと後悔する前に、いろんな話を聞いておきたい。できれば録音とかしておきたい。今はスマホでも簡単に録音できるようになったしね。でも足が治るまで聞きに行けないんだよなあ。でも怪我してなかったらこんな風に思い出すことももっと先だったかもしれない。ぐぬぬ。
 病院の待合室でたくさんのご老人がリハビリ室へ向かったり診察室へ入ったりするのを見ながら、愚娘はそんなことを思ったのでした。



 

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