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飛べなかった
到着ロビーも大変な混雑だった。名前の書かれたプラカードを掲げて、送迎に来ている人も沢山いた。
最初の会社では頻繁に成田空港への送迎をした。相手は職場の先輩、カナダやオーストリアのエンジニアまた、その会社の役職者だったりした。
英会話が全く出来ない私は、外国人の送迎が死ぬほど嫌だった。しかし、職場のただ一人の国内組つまり、留守番組なので、成田の送迎をするのも当然の役割だった。
ただ、カナダ人エンジニアのアランさんとは少しだけ会話が成り立った。彼はケベック出身で母国語がフランス語だったため、英語の修得には苦労したって言って、私を励ましてくれた。
あの頃は、数千点にも及ぶパーツの管理と、それに伴う輸出入の業務に日々追われていて、毎晩9時過ぎまで残業するのが当たり前だった。英語の勉強どころではなかった。
今日は、世界を股にかけて仕事をする事をほんの少しだけ夢見た、かつての自分をそこに見た。