救国の予言講演1973~74年 7 国際勝共連合会長 久保木修已氏 自由世界は団結し、共産主義の陰謀を打ち砕こう!
共産主義以上の宗教的理念を
問題は何か。彼ら以上の理念を持たなければなりません。思想を身につけなければなりません。いかに国民一人一人が立ち上がって、共産主義以上の宗教的な理念、精神的なバックボーンを持つことができるかどうか。これが問題であります。その宗教的な理念は、彼らの言うような独善的なものでなく、普遍的なかおり高い、格調高い、しかも、それは一国だけに通用するような限界のある理念ではなくて、世界と共に世界人類が共に持ちえる普遍的な真理、宗教的な理念でなければなりません。このような理念を今日国民の一人一人が持たない限り、この日本民族はこのままズルズルと落ちていかざるをえません。
その格調高い宗教理念はどこにあるのか。しかも、さきほど言ったように、その宗教理念の内容は、彼らが金科玉条としている唯物史観、これだけは絶対間違いないと言っているその唯物史観を上回るところの歴史観を兼ね備えた、そういう宗教的な理念でなければなりません。それはどこにあるか。今、捜し求めなければならない時期にきているのです。問題は理念、彼ら以上の理念を持たなければなりません。そういうことによって、かおり高い人格の花を咲かせながら、永続的、発展的な情熱・創造性を持たなければ、この国民は決して世界の前に立つことができません。
物事の転換期表わす六数の深い意味
さて、私たち人間にとって一番大切なことは宗教であります。東西の二大宗教、仏教・キリスト教において、人間に関する最も大切なことをいう場合には、六とか六十という、このいわゆる六十の基本数となっている六という数字を用いているのです。たとえば、仏教において六道の輪廻ということをいいます。これは六道、いわゆる地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上とこの六つの間を、人間というものはいつも行きめぐって、ここから一歩も出られない。それが人間というものだ、これを早く乗り越えていかなければならない、ということで六道の輪廻という。あるいは四国のお遍路さんで有名な六根清浄。また六波羅密。これは人間がどうしても人間となるためには、六つの哲学的な内容を身につけなければならないということで、いわゆる六つの波羅密陀、すなわち六波羅密の考えということをいいます。
一方のキリスト教精神のバイブル。第一章の創世記、これは承知のように、神が宇宙森羅万象を造った時のプロセスを象徴的に描いています。創世記の一番初めには、第一日目に光と暗とを分け、第二日目になるとそれを空と水とに分け、第三日目には陸と海とに分け、第六日目に人間を造り、神はそのすべてを見てよしと言われ、七日目に休んだ、とこのように書いてあります。しかし、この六日間で造ったということは、今日の一日二十四時間を意味しているのではありません。これは一段階二段階というようにして六段階にしてすべての宇宙森羅万象を造った、ということを意味しているのです。すなわち、六というものは、物の昇りつめた転換期をいうのです。
中華民国六十回目の建国記念日
それでは、六十というものを考えてみることにします。私たち個人においても、六十才というならば還暦ということです。一つのものの転換点です。私は三年前、中華民国の建国記念日、双十節に蔣総統に招かれて向うに行ってきました。その時、蔣総統の後に立った私はしみじみと考えました。ああ、この日は、中華民国は辛亥革命以来六十回目の建国記念日。この六十回目の建国記念日を、蔣総統を中心として中華民国の皆さんが、万が一これを無意味に過ごすことがあったとするならばとんでもないことになると、このように考えました。それから二ヶ月もたたないうちに、国連において残念ながら、中華民国追放、中共国連加盟という考えもしなかったことが起こったのです。さらには、日本の国交断絶というようにして、刻々と孤立化していった。あるいはまた今日、世界のスポーツ団体から、中華民国が加盟しているスポーツ団体には入りたくない、とこんなことを言われて孤立化の様相を示していったのです。
六十回伊勢の皇太神宮遷宮式以降の運勢は?
昨年の十月下旬、あの伊勢の皇太神宮の遷宮式がありました。日本人の魂の故郷といわれる伊勢神宮の遷宮式。ちょうど私はテレビでそれを見ていたのですが、その時、神官たちはアナウンサーの問いに答えてこんなことを言っていました。この伊勢の皇太神宮遷宮式は六十回目になります。しかし、六十一回目はもう行なわれないかも知れない。ええ!なぜです?と驚いたアナウンサーに、この伊勢神宮を造営してくれる宮大工さんの後継者が、どこを捜してもいない。また、皇太神宮に入れる剣、玉木などを造ってくれる人がいなくなってしまったと言っているのです。だから、次の遷宮式は行われないかも知れない。
これを知って私は深刻な気持になりました。ああ、日本人の魂の郷里といわれる伊勢の皇太神宮六十回目の遷宮式。これを日本民族が、日本人が本当に一致団結して国民精神をここに集中していかないで、無意識に過ごすとするなら、日本はとんでもないことになると思っていたら、あれから一ヶ月もたたないうちに、突如としてアラブの石油問題が起こりました。日本の内外は上や下への大騒ぎ。いままでの経済繁栄、高度経済成長政策などは、足もとを見事にすくわれてどんでん返しを食らってしまうことになりました。
このようにして、段々下降線をたどっていくが、もし日本の国運の隆昌というものがあるとするならば、あの六十回目の伊勢の皇太神宮、その遷宮式から急転直下しているのです。みなさん、今年の虎年は、特別な虎年で、六十年目に一度やってくる年だといわれます。今から六十年前の同じ虎年の時、この日本にどういうことが起こったのか。あの時は、みなさんもご承知のように、あのドイツと日本との間に国際的な汚職問題、シーメンス事件といわれるものが起こりました。時の山本権兵衛内閣は大揺れに揺れて、遂に、ロサンジェルスに行けないまま、とうとう倒閣にまで追い込まれていきました。そして、遠くヨーロッパにおいては、第一次欧州大戦が勃発し、やがて第二次欧州大戦へとわずか三十年の間に、世界は大きな火で焼かれるようになりました。それが今から六十年前の同じ虎年なのです。実に何が起こるか予想がつきません。このようにして、際限なくこの問題をつきつめていくと、恐ろしい内容をはらんでいることに気がつくのです。
ソ連の革命六十周年と米国の建国二百年祭が転換期
さて、共産主義は後三年後に、六十周年目を迎えます。この六十周年目を共産主義が一致団結してうまく乗越えれば、どこまでも栄えていきますが、無意味に過ごせば急転直下。共産主義の運勢があるとするならば、まさしく後三年後がビークであります。
また、一方の自由圏の雄であるアメリカがその一年前の昭和五十一年には、建国二百年祭であります。この二百年というものも、実に重大な意味をはらんでいるのです。それはどういうことか、このヨーロッパ文明の背後にはキリスト教文明があります。さて、このキリスト教史も二千年たっています。その二千年間のキリスト教文明の最高の位置、これをあのアメリカ合衆国は二百年という時代に圧縮して、神から祝福を受けたのです。あの国は建国の初め、自分の国はこういう理念で、こういう思想を持ってこういう国を建設していくと、はっきりうたって出発した珍しい国です。ヨーロッパから渡ってきた文化を中心として、キリスト教理念を持って出発し、政治的・経済的・哲学的に自由主義・民主主義・資本主義を選んだ。そして、この国を、世界の人々が見習う、すばらしい神の国のヒナ型として造ってきた。こういう理念のもとで、彼らはどんな苦しい中にあっても、まず神の栄光を真先に考え、神の館である教会を一番初めに建てたのです。自分たちの家などは最後でした。このアメリカを、神は愛さざるをえない。だから、アメリカ人がいかに神を見捨てたとしても、神はアメリカ人を見捨てることができないのです。
個人にも運勢があるように、国家にも国運というものがあります。そして、三年ないし二年、この両三年の間に、自由圏と共産圏の国運が、それぞれ最高のピークを迎えて激突しあう。
三年後は中間帯とか非武装中立は許されない
この時は、中間帯とか非武装中立とかいったそのようなごまかしみたいなことでは許されません。食うか、食われるか。これは何も核戦争とかそういう意味だけをいうのではありません。いわゆる、自由諸国が一致団結して、共産主義諸国の人々を解放するような形になるか、あるいはまた、共産主義陣営はもっと強固に団結し、今日あり余るほど得ている私たちの自由を奪って鉄鎖につなぐか、この二つに一つなのです。中間というものはあり得ない。ところで、なぜか共産圏はその三年後を目指して、組織化と団結を計っているのです。何も彼らは、三年後は何かということは知らない。しかし、刻々と歩を進めているのであります。
あのブレジネフ体制が、刻々と何かに向かって一致団結を固めていくようにみえるのです。彼は西ドイツに行って、平和外交を成功させ、この余勢を駆ってワシントンに飛んだ。そして、演技よろしく、ニクソンと手を握り合い、ゆうゆうと祖国に凱旋した。四月二十三日から三日間、衛星諸国を集めて開かれた共産党会議の声明文は、ブレジネフ党首の行っている平和外交は、我ら衛星諸国としては、絶賛を博し万歳を叫ぶものであると言った。今まで多党政治と言われたものが、このように絶対視され個人崇拝の位置にまで段々と祭りあげられていく。しかし、彼らにはその後が問題であります。平和外交を頂点として、成功すればするほど自由の風が共産主義の中に入ってくるからです。だから、これを防ぐために、今こそ共産主義諸国が一致団結して、国民に共産主義思想を徹底化していかなければならない。そうでなければ自由の風が入ってきたら困る、ということでその思想を基盤として、増々強固になって結束してきているのです。
緊張緩和のムードは自由圏をバラバラにする
みなさん、彼ら共産主義者というものは、国際的な陰謀、つまり対決から対話へ、緊張から緩和へ、そして、極東は平和になってくるという陰謀を自由諸国に流し続けています。マスコミもなぜかこれを受け入れ続ける。ページを開けば緊張から緩和へ、対決から対話へ、極東は平和へとこのようなことを言い続けています。
みなさん、これは国際共産主義の陰謀です。なぜなら、緊張が緩和されてくれば、自由諸国は一つになる理由がなくなります。一つになる理田がないから、後はバラバラです。ここが共産主義のつけ目なのです。共産主義の国々は、異なった風俗、習慣、歴史、伝統であったとしても、共通の共産主義思想という思想がありますから、努力さえすれば一つになることができます。緊張感がなくても一つになれるのです。自由圏には、異なった風俗、習慣を乗越えて一つになる思想がありません。一つになる時が一瞬あるとするならば、それは、今度、北朝鮮がこうだという恐怖心がある時、さあ大変だということで政治的工作でやっと一つになる程度なのです。だから、緊張から緩和へといったムードは彼らの陰謀なのです。
日華の次に、日韓、日米の分断をねらう共産勢力
これに見事にのった自由主義諸国。日本を頂点として考えてみる時、お隣の大韓民国とは本当に一体化していかねばならない時がきているにもかかわらず、先程、日本の心なきマスコミがなぜか、極端なまで金大中事件をあのように、両国の親善関係を損うようなことまでしたのか。金大中事件をあれほど取上げるとするならば、北朝鮮からこの日本に我がもの顔に入ってきている何百という北朝鮮のスバイを、日本のマスコミはなぜ報道しないのか、このようにして、両国の関係はだんだん疎遠になっていきます。
中華民国とはすでに国交断絶してしまった。アメリカとはどうだろうか。アメリカとは繊維問題を頂点に、貿易経済関係において、日本との間はこじれて離れていくばかりです。こういうことを私たちは、きわめて数年前から心配していたのです。ものの道理というものはどういうものか。アラブの問題のように、日本人が日本のことだけを考えて、石油がなくて震えて困っている。当然じゃないか、日本人が困るのは当り前だ。これが世界の世論であります。
国家を越えて世界救済のために立ちあがろう
世界の国々の中に、困難な問題があるとするならば、私たちが世界の果てまでも出かけていってその国のために土となる。その国の愛国者よりも、汗と涙と血を流して真剣にその国の問題を処理していくならば、この日本が困った時には、世界の人々はこの日本のことを真剣に心配してくれる。これをものの道理と考える国際勝共連合の若者たちは、数年前から世界に出かけているのです。そして、それぞれの国で、汗を流し、涙を流している。
特に大切なのがアメリカです。アメリカが強くなってもらわなければ困る。アメリカが今日のように自信を失ってもらっては困る、ということで、一年ほど前から勝共連合の若者、三百人の精鋭がアメリカの十四都市に散っていきました。日本でやっていると同じように、マイクロバスの上から毎日のように、ワシントンで、ニューヨークで、サンフランシスコで、ロスアンジェルスで、シカゴで叫び続けています。今、日本の若者は、自由を守るためにアメリカと手を組んで闘わねばならない時がきたから、立ち上がったのだ。アメリカ国民よ、建国精神をもってどうか立ち上がって欲しい。この訴えを聞いたアメリカ国民は驚いた。日本の若者たちが、自分たちにカツを入れにきた。これは大変だ、ということで彼らは今、続々と立ち上がってきています。私たちは、その中で特に青年の精鋭、千五百名を選びました。アメリカ人、イギリス人、フランス人、イタリア人、ドイツ人。この千五百名は今、訓練に訓練を重ねています。やがて、今年の秋か、来春には、千五百名全員を日本に呼ぶ予定です。そして、この勝共の若者たちと一緒に、マイクロバスに乗り、一緒に寝袋に寝ながら日本国中を走り回る。私たちは今、日本を救いにきた、今まで、日本の若者たちがアメリカを救いにきて下さったのだから、私たちは今、この日本の危機を見るに見かねて救いにきた、ということで彼らは今、日本語を一生懸命習っています。こういうふうにして、千五百名の世界の人々を日本に連れてきて、私たちはこの日本を救うために頑張りたいと考えています。(完)