トラウマの再現性
あなたは汚れてなんかないよ
あなたは穢れてなんかないよ
苦しくて当然
辛くて当然
涙が突然あふれて当然
息が吸えなくて当然
体の震えが止まらなくて当然
ごく自然な反応を
SOSを出せているあなたは何もおかしくない
とても自然な反応で
自分を否定する必要はない
その反応は目に見える形で
あなたの目に見えない大切なものを守ろうとしてくれている
たとえわずかな反応でもごく自然な反応なのだから
あなたをどうか責めないで
まず向き合おうとしているあなたを
心の中でいい
そっとそっと撫でてあげてください
逃げている気がしているあなたも
前方に逃げることを、スポーツでは、攻撃をかわすと言う。
逃げるな、と言ってくる人もいるかもしれない
大前提が違う
あなたは逃げているのではなく、かわしているまで
似て非なるもの
誰かがあなたを責めるかもしれない
でも被害者を責める人は
公正世界仮説にしがみつきたいだけの
右向け右に疑問を持たない
思考停止の人なのだから
放っておけ。
被害者にも非があるという考えは不要
なぜなら人間は猫じゃあるまいし
前にも後ろにも行ける
押したり引いたりできるそのどちらの権利も持っている
どちらを使うかは本人が選べる
つまりいじめたくなるほどの人間や対象がいるのが
たとえ事実だとしても
わざわざ近づく必要はないのだから
離れることが出来るにもかかわらず
離れるという選択肢を加害者は放棄した
離れる事も出来たのだ
なにも無視しろということではない
去る者追わず来るもの拒まず
ただそれだけの事
近づく理由をいくらでも並べ立てるだろう
仮にそれが正しいとしても、無理がある
なぜならそういう人は
離れる選択肢を放棄する理由を説明できない
近づく理由ばかり考えて
離れることが出来る事に関しては考えたこともないのだから
たとえ離れても追いかけられるから、などと被害者面をしても
ではなぜ警察に言わなかったのかということになる
警察に行けなくて当然
自分に非があると自覚があるから
自分で分かちゃってるから、公的な立場で助けを呼べない
被害者は堂々としていられるのに
被害者面の人がなぜか都合悪くなるとたじろぐのは、そういうこと