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「子どもかわいい」界のサイコパス
子どもを持たないことを選んだ、ということを表明している著名な方々を、わたしが知った順で挙げますと
アルテイシアさん(作家)
金田淳子さん(社会学研究者)
山口智子さん(女優)
江國香織さん(作家)
松尾スズキさん(喜劇人)
となります。
未婚・既婚は様々で、理由もそれぞれ異なります。
全員知り合いじゃないけど、御恩を感じているため「さん」を付けずにはいられません。
わたしは片田舎で育ったので、それと時代もあるのでしょう、そもそも「子どもを持たない選択肢」というものがあることを知りませんでした。
わたしはおかしいのか、おかしいに違いない…と思いながらオロオロと生きてきて、アルテイシアさんのコラムに行き着いたときの感動といったら!
ところで、松尾スズキさんは『東京の夫婦』という本を書かれていて、そこでこう綴っています。
僕の中には他人の赤ん坊に対して「微笑ましく思う」という回路がまる一つないのだ。思いたいという気持ちは本当にあるのだが、ないものはどこをひねってもない。
ああー
わかる。とてもわかると思いました。
実はわたしも、人間の子どもをかわいいと思ったことがありません。
驚くべきミニサイズだが、きちんと人間の形をしていて、皺なども刻まれているものなのだな、とか
身体に対する頭の比率が大きいのでバランスを取りづらそうだが、うまく歩けるものだな、
関西圏に住む子どもは、子どもの頃から関西弁を話すものなのだな、
などの感想は抱いても「かわいい!食べちゃいたい!」というような、漏れいずる母性みたいなものは、感じたことがありません。
「ないものはどこをひねってもない」のです。
自らも子どもだった頃、友だちや家族に「子どもかわいいと思わない」発言をしたら、幾度かドン引きされたことがあります。
さーっと引いていく彼らの姿を見て、これは思っても言わないほうがいいやつなのかと学んだわたしは、
かわいいと思っている振りをし始めました。
近所の子どもと戯れてみたり、道で出会った知らない赤ちゃんに「かわいいー!」とか言ってきゃっきゃうふふしてみたり。
でも、基本的に自分の気持ちにウソをついているわけですから、いらぬ罪悪感を覚え、しかも「やっぱりかわいいと思えない」コーナーに自らどんどん追い詰められていくような気がしました。
サイコパスの性質を持つ人って、他者への愛情や、痛みや苦しみを全然理解していなくても、さもわかってる風に振る舞ったりするそうですが、
わたしは言うなれば「子どもがかわいい」と思うことが是とされる世界におけるサイコパスなのだと思います。
迷走しながらもせっせと「子どもかわいいと思ってる人」の擬態を続けたわたしが、大人になってからアルテイシアさんのコラム、はては金田淳子さんとの対談ページに行き着いたときの感動といったら!(2度目)
先日、三谷幸喜さんの「日本の歴史」というミュージカルで繰り返し歌われるナンバーに、ハッとしました。
「あなたが悩んでいることは / いつか誰かが悩んだ悩み」
たぶん、わたしの悩みなんて実は普遍的で、子どもをかわいいと思えない、よしんばかわいいとは思っても欲しいとまでは思わないことで悩んできた人はたくさんいるはずです。
今まで、大きな声で言えなかっただけで。
今の世でも、平成の御代よりはだいぶマシになったとは言え、「子どもかわいい界」からの離脱は痛みを伴います。
子どもかわいイグジット。
正直、人間の子どもよりナマカフクラガエルとか、アマミホシゾラフグとか、アンチエタヒラタカナヘビのほうがかわいい!
と思っても、それを大きな声で言うのは憚られる世の中です。
でも、子どもを持たないことを表明した著名な方々にわたしが救われて、生きていく希望すら見出したように、
わたしが擬態をこっそり、すこーし解くことで、誰か1人でも救われる人がいるかもしれない。
まぁ、別に救わないかもしれないけど、ポツポツと本音を語っていきたいなと思っています。