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自分自身以外は皆『他人』と思うこと。

これは、私個人の考え方ややり方であって、人間関係は、こうあるべきだとか、こうしなきゃダメだと、それを押し付ける気はありません。(別にライフハックでもないです)。
単に、私が経験上、こう考えることで、乗り越えてきたというだけで、人にはそれぞれ考え方ややり方があっていいし、そういうものだと思います。

虐めを経験して、機能不全家族の中で育って、精神疾患の私が工夫してみた実例をあげているだけです。
そんな1人の1つの出来事なんだな、と思って頂ければ、幸いです。

私は、自分以外は、どんなに深く愛していようとも、家族で血の繋がりがあろうとも、恩があってお世話になっていたとしても、『他人』という線引きをしている。
もちろん、だから信じないとか、優しくしないとか、そういうことでは無い。
気が合えば嬉しいし、仲良くなれば、好きで大切という気持ちはある。
むしろ、自分自身と相手を大切にしたいから、そういう線引きをする。
「きっと、この人は自分と同じに違いない」
と思い込むのは、とても危険だからだ。
その人にはその人の持ってる世界が必ず存在するし、そこに踏み込んで、それを傷つける権利は誰にも無い。
そして、傷つけさせてもいけない。

友人、恋人、夫婦、親子、兄弟姉妹であろうとも。

私は、子供の頃から、クラスメイト、教師、両親…等々の色々な人に傷つけられてきた。
それ故に人間関係の距離感がわからず、そのとり方の技術も学習も無くて、結果、自分でも相手を傷つける事があった。

そういう事とちゃんと向き合えるようになったのは、カウンセリングを受けた15歳から3、4年してからじゃないだろうか?

それでも、相手に対して信頼度が増す度に、その人にばかり依存して、その人以外は、受け付けずに、対人恐怖は強かったし、すごくくっつくか、離れるか?の連続だった。

だから、結果的に自分から耐えきれず切った人間関係もあるし、『重たい』と逃げられた関係もある。

安心で安全で、程よい距離感の人間関係がよくわからなかった。



具体的に言うと、当時私が20歳くらいでひとり暮らしをしていた頃。
私の事を理解し始めた母に依存して母子密着状態になって、母を息苦しくさせた。
たまたま、母が時間が無くて忙しいタイミングに寂しくて実家に電話をかけて、素っ気なくされると、
「お母さんは、またそうやって私を見捨てるんだ!冷たい!」
と、怒り狂ったり、責めたりしていた。
母が私の全部を理解するのは、母親なのだから当たり前だ!という思い込みがあった。
けれど、母も人間だし、娘の私の事を大切に思っていたとしても、できることと、できないことがある。
それをどんなに娘の私に説明しても、理屈抜きに、いつ何時でも、受け入れて、受け止めろと、無理に押し付けてくる私に、困っていたし、疲弊して、そして責められることに傷ついて、哀しんでいた。

その事に気がつくのに、とても時間がかかったし、その事を自分で受け止めて、母との関係修復を試みるまでに、年月を要した。
疲弊して、心が傷だらけの母が、なんとか踏ん張って、私と向き合って、時には家族カウンセリングなども使いながら、付き合ってくれる人だったので、良かったけれど、そうでなければ、とっくに縁が切れてしまっていたし、気がついた時は、それくらいされても仕方ないと覚悟をしていた。

母と関係修復をしていく中で、学習したのは、例え家族であっても、距離感や線引きは大切だし、互いの状況や体調、考え方をきちんと尊重して向き合わないと、健全で安心な関係は築けないんだな、ということ。
それは、母との事に限らず、弟や妹、友人…色々な人との関係性でも当てはまることだなと、実感を持って学んだ。



自分と、相手を混同したり、同化したりしてはいけないと思った。
同じ事と、似てる事は、近い様だけど、違う。

母とは、産み育ててもらったそれだけ、血が繋がってるだけ。
各々は、似ている様で、別々の個を持った1人1人の人間なのだ。同じじゃない。最初から。

だから、自分以外は『他人』だし、どんなに仲が良くても、踏み込んではいけない場所があるし、踏み込ませてもいけない場所もある。

相手との安心は、自分自身の安心、個の安心も大切だから。

安心があって、安心な場所があって、そこで繋がりあえば良い。

だから、例えば、自分が体調が悪ければ、予定を変更したっていいし、できない相談は断っていい。
自分の中でそれを許せるようになれば、相手が思い通りにいかない事に、一々腹を立てて、苛立つ必要も無くなる。

相手をコントロールしようとすること程、無駄なことは無い。
所詮、思い通りになんて行かないし、必要以上に相手のことも傷つけるし、自分自身も傷つく。

自分の経験も踏まえて、私の中で、いつも心に留めていることがある。

過去と他人(相手)は絶対に変えられない。
変えられるとしたら、未来と自分自身。


自分の態度ややり方を変えれば、過去に対する自分のとらえかたや考え方は、変えることができるかもしれない。

言うほど簡単では無い、時間もかかるし、かかった。
でも、この考え方を私は20年以上は変えていない。
その分、たくさん悩んだし、迷ったし、色々な人に助けてももらった。
自分の気持ちを落ち着けて、冷静に取り組む必要もある。

難しかったけれど、私は自分自身以外は『他人』と思う事で、相手をそれなりにリスペクトしながら、心地良い距離感で繋がることを学び続けている。

多分、私なりの課題が無い訳ではないだろうけど、それは生命尽きるまで続くのが、人間関係なので、一つ一つ学び続けるしかない。

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