-わたしのこと、わたしたちのこと-
私の事・私の家族・これまでの軌跡⑤(最終回)
前回までの事は、埋め込みされたリンクをご覧ください↓
-時間は有り余る程にあるし、患者さんの安全を考慮しての閉ざされた空間だから、世の中の情報もフロアにあるテレビと新聞や雑誌くらいだった。
私には、その規制が心地よく、患者さんや看護師が近くの公園のことや、散歩コース、商店街、雑貨屋、喫茶店やカフェの情報を教えてくれて、散歩に気持ち良い場所や、面白いものが売ってる店(見るだけでも楽しい等)カフェメニューはどれがおいしいか?話するのがとても楽しかった。
それと同時に、如何に自分がそういった小さな幸せに、感情に、人に、興味が無かったのか…思い知らされた-
(…これまでの軌跡④から続き↓)
夫も、義父の施設へも行かなければならないのに、週に1回、必ず見舞いに来てくれた。
サラリーマンだから、平日昼間にフルで働いているのに、必ず会いに来る。
そして、必ず笑顔を絶やさなかった。
夫は、無理して笑うタイプでは無い。私は、子供の頃から、人の顔色を伺って生き続けていたから、100%の自信がある訳ではないけど、無理して笑ってるとしたら、目の奥では笑っていなくて、何となくわかる。
夫は、嘘のつけるタイプでは無いし、自分の弱さをストレートに出すから、嘘をついても、私にはバレたし、見抜いてきた。
強がれない夫の弱さに、私は救われていた。
笑いたくないのに、自分に嘘を吐いて、笑い続けた日々に、風穴をあけてくれた。
空気がすごく抜けきってしまって、泣いたり怒ったり、苛立っていた。
でも、それすらも、夫は笑顔で包んで受け止めてくれたんだと思う。
夫は、消して完璧じゃない。子供っぽいし、思い込みも激しい。どことなく頼りない。
良く言えば、正直でピュアで純粋で、瞳の奥が澄んで見える。(外見は普通のおじさんなんだけど…)優しい。相手の好意を受け取るのが上手い。夫自身も相手に対する好意の気持ちを臆面もなく表現することができる。
…羨ましかった。
夫本人に嫉妬し、それを取り囲む友人知人にもやきもちを妬いた。
どうして、あなたたちの世界は笑顔と幸せに満ち溢れてるの?と。
ずっとそうではないこと、それだけでないことは、関わる中でわかって行くのだけれど、心が疲れきった私には、人の幸せが眩しくて、そこばかりクローズアップされて映っていた。
自分も、気持ちが安定してきて、程よく浮き上がってくることで、夫のその優しさが、身に染みて胸をつく。
簡単に“別れる”なんて、本気で思ってもない事を口にしたこと、自分を必要以上に責めて殻に閉じこもってしまったこと。
このままではいけないと思った。
もう少し、変わろう、自分を変えられるのは、自分しかいない。
本気で、そう思ってはみたものの、変わるというのは、そんなに簡単じゃなかった。
退院してからも、抑うつ状態はあったし、不安もしばらく強かった。怒りや苛立ち、泣くこともしばしば。
家の家具やら何やらを、八つ当たりで壊してしまったこともあった。(とても恥ずかしい)
なんのタイミングだったかは、忘れてしまったけれど、ある時自治体の“障害者福祉科”で、
「支援センターは使った事ありますか?」
ときかれた。
それまで、病院内のデイケアとかは利用したことはあったけれど、地域の福祉施設は使ったことがなかったし、存在もあまりわかっていなかった。
地域に、精神疾患など、精神問題を抱えた当事者を受け止める社会資源があるとは思わなかった。
そこは、精神的なこと、生活のことでの困り事を当事者同士(あるいは当事者家族や福祉ボランティア等のまぜこぜの時もある)で話し合うミーティングのプログラムもあれば、軽いスポーツや写真や手芸などの趣味的なもの、時には精神問題のプロ(医師、保健師、当事者、研究者…など)を呼んで講座も開かれたりする。
私が行ったそこは、数ある支援センターの中でも割とプログラムが充実した施設らしい。
登録制ではあるが、地域外の利用もOKだし、必ずしも当事者だけとは限らない。あまり壁を隔てずに、色々な人が交流できるように設定されているらしい。
建物は4階建てで、エレベーターはなく、スペースも凄く広い訳では無く、建物自体がまあまあ古い(前は、老人福祉の施設だと人づてにきいた)ので、設備そのものの使い勝手は、そこまで良いとは言えないが、中にいる職員などの雰囲気は悪くない。
ある程度安定して、色々な知識を身につけて、勉強をしている当事者性のある職員、ピアスタッフもいる。
当事者が主体のプログラムもあるし、職員の管理が無くて、不安がるメンバーもいるが、職員がいると話しにくいこともざっくばらんに話せたり、当事者たちが話し合うことで作ったガイドラインなども活かしてやっているので、ある程度の秩序は保たれて安全性も担保されている。
良い具合にほっといてくれるのは、当事者からしたら不安もあるだろうけど、主体性を磨くのには良い機会だし、相談すればそれには応じてくれるから、人の距離感や信頼関係の作り方も学べる。
1番大きいのは、医療ではなく、地域自治体が主体で運営されてる福祉法人の施設なので、お金がほとんどかからないことだ。
年に数回の、レクリエーションやイベントなど、参加費や交通費が必要だったり、何かモノを作るプログラムで材料費がかかったり、自分好みにしたい場合は自分自身で用意することで、お金がかかることもあるが、それは稀で、その殆どが施設の予算であったり、寄付によって賄われているので、そこまで高額な支払いを要求されることは無い。
何より、当事者を障がい者だから…と、特別扱いしないスタンスで、職員が接してくれるのは、嬉しかった。
私の通う、病院の医師や看護師、臨床心理士が私を特別な目で見てたとかいう訳では無いが、どうしても「先生と患者」という立場がハッキリしてしまっている分、遠慮し過ぎたりしてしまう部分は、やはり否めない。そういう関係性も社会では必要なので、悪いとかは思っていないが、何かライトに相談したい場合などに、どうしてもハードルは高いと思ってしまう。
医療と患者という所からワンクッションあるのが、福祉で、できない部分に関してサポートしてくれるというのが、とても有難い。
できる所に関しては、見守りつつ応援してもらえる感じがした。
地域に根ざしているので、時々、地域で使える情報資源、社会資源、福祉制度の紹介なども、職員からも当事者仲間からも、ボランティアさん…色々あって、学べて良かったし、近所の当事者の人やボランティアさんと仲良くなることで、帰属意識も芽生えて、「社会にとって自分は意味の無いもの」という気持ちや考えが、「社会にとって、実は私は居ていいし、もしかしたら必要とされてる存在なのかも?」という、承認欲求も満たされる気がしてきた。
そういったことから、夫だけに執着しなくても、色々な人と色々な形で関係して、コミュニケーションを積み重ねて行くうちに、入院前後の様な重い症状が、少しづつではあるが、緩和されてきて、今に至る。
人間関係というのは、良くも悪くも、水物なので、一時仲が良かった人やいつも一緒にいた人が、色々な事情で離れてしまったり、なんとなく会いにくくなったり、連絡が途絶えてしまったりもしたけど、それは、体調だったり、生活圏やライフスタイルが変わったり、仲良くしてたけど、性格が合わないかも?となったり、色々だし、こればかりはお互い様ということで、こちらもそうなっているし、ただ、縁あってまた会えた時に
「懐かしいね、久しぶり」
と、笑って挨拶できるかどうかだったりもするので、特別にその関係を気にしたり、しがみつかない様に心がけている。
夫と私は、世帯的にはたった2人の家族だけれど、色々な人に見守られることによって、成り立っているんだと思う。
私も、夫も、どこか子供っぽいし、至らない面は多々あるから、半人前と半人前で、2人一緒で、やっと1人前って感じである。
色々な人にサポートしてもらったこと、今もしてもらっていることに感謝を忘れずにいようと思う。
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