奇跡のヒーローウーバーイーツダディ
父の日に想う
小学生の頃、学校がはじまってすぐ、私はいつもあるはずの弁当を持って来ていないことに気が付いた。どうしようこんなことははじめてだ。
すぐ横が廊下側の教室の席で、誰にも相談出来ず困り果てていた。
するとその時、私のすぐ横の廊下の窓が勢いよく空いた。何が起きたかと思って見上げると大きな声で私の名前を叫ぶ人が眼に入った。
手に持つ弁当を上げて叫んでいる。
父だ!
分かっても声も出なかった。父の目は教室を巾広く見るようにしていた。そんな父を真下の一番近い、まるで舞台の桟敷席のような場所で臨場感たっぷりに見ていた。
看板千両役者の父はカッコ良かった。まぶしく輝いていた。
教室内の児童の目がいっせいに父にそそがれた。誇らしくもあり恥ずかしくもあった。そんな年頃なのだ。
直情的に発したその声は父親の情愛に満ちていた。半世紀以上経った今でもはっきり耳に残って明確に覚えている。
私を見つけるなり満面の笑みを浮かべて弁当を渡してくれた。安堵の思いでいっぱいだった。
ありがとう嬉しかったよ父さん。
小学生の私はその時ろくにお礼もせずテレもあってか恥ずかしそうに弁当を受け取るだけだった。今思えば申し訳ないことをしたと思っている。口数が決して多い方ではない。どちらかといえば武骨だが心根はやさしい。叔母からは父がわたしのことを言っていたと聞いたことがある。それはほめて期待しているというようなことだったと記憶している。ほめられた記憶もないわけではないが、世話をやかれた方が多いので要所での思い出は出色である。
自営業の父は時間がとれたことが幸いした。あの頃のことだから自転車か原付バイクに乗って来たのだろう。30分はかかるはずだ。ありがたいことである。
直接手渡したかったんだろうか、今では知る由もない。
私にとっては珠玉の宝物にもまさる思い出である。
追記
父さん改めて申し上げます。あの時はどうもありがとうございました。今となってはもう会えなく、遠く離れてしまいましたけれども、心はいつもそばにあります。
私は元気に、家族共々仲良く幸せに暮しております。
ご安心ください。
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