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シュークリームの花

金曜日の昼下がり、私は喫茶店の中にいる。
アイスコーヒーの氷は溶け、ガラスのコースターには小さな水溜りができている。
『カラマーゾフの兄弟(上)』の詩織を外してから30分が経過しているが、見事なまでにページが進んでいない。
今日は本を読む気分ではなさそうだ。

店内に流れるクラシック音楽。
それは静けさという名の空白を均等に、そしてあくまで自然に埋めていく。
この曲の作曲者が今世界のどこで過ごしているかは検討もつかないが、まさか自分が作った曲が東京にある小さな喫茶店で流されていることなど知る由もない。

壁には7枚の絵が立派な木製の額縁に収まってかけられている。
私はその内の一枚に目をやる。
それは白川郷の風景画だった。
合掌造りの家屋が数軒と、その奥に連なる山々がまるで視界の一片を抜き取ったように鮮明に描かれている。
昔誰かが言っていた。
額縁に金をかけているのは、その中に飾られている作品に自信がないからだ、と。
もしも私がそいつを街で見かけたら、首根っこを掴んで表参道のBurberryに連れて行き、一番高くて金持ちに見えるような服をこいつに着させてくれ、と店員に伝え、『私は金持ちだ、羨ましいか』と書かれたプラカードを首から下げてもらう。

「サボテンは週に1回か2回水をやれば立派に育つ。
それでも咲かないのなら、問題はサボテンや天気にあるのではなく、
サボテンを花だと思っていないお前が問題だ。」

喫茶店の主人は煙草の灰を落としながらそう言う。
彼は昼間でも朝刊に目を通しているようだった。
それは私に向けられた言葉ではなかったが、私だったらと考えを巡らせてみた。

良く晴れた休日の午前10時、ベランダに置かれている植木鉢からは小さな芽が顔を出している。
私はこの数か月間、サボテンは花だと思い続けてこの土の上に水をやり続けてきた。
それは大して難しいことではなかった。
太陽は東から昇って西に沈むことと同じように、それは一つの事象として私の脳に刻まれていた。

今日は週に1回か2回水をやればいい日の、まさにその日だった。
いつもと同じように、顔を出してきた芽をめがけて私は水をやった。
するとその芽は勢いよく突然に伸びだし、みるみるうちに私の腰の位置まで高くなった。
そして、そこからまるで人間が大きく背伸びをするかのように、二つに枝分かれをした。
その二つの枝先のうち、一つは太く、強く、そして大きなサボテンとなった。
私は目の前で急速に成長を始め、一瞬のうちになるべき姿となったサボテンに驚きを隠せなかったが、サボテンの生態を微塵も知らない私としては、その発育スピードに対してとやかく言う筋合いは私にはなかった。
その頭には小さなピンク色の花を咲かせていた。

枝分かれしたもう一方に私は目をやる。
そちらも咲いたサボテンと同じように長く、大きく伸びていた。
しかし、その頭に生っているものはサボテンの花ではなく、シュークリームだった。
なぜサボテンの芽からシュークリームが生るのか。
シュークリームは人間によって考案され、人間の手によって作られるものであることは知っていた。
私に限らず、道行く人誰に尋ねても、シュークリームはサボテンの芽から生えるという人は一人もいるはずがない。
そもそもシュークリームが「生える」という表現自体がおかしい。

私は改めて枝先にあるシュークリームを見つめる。
それはケーキ屋のショーケースに並んでいるものと全く同じありさまで、あたかもそこに生っていることが当然のことだと言わんばかりに堂々と咲いていた。
表面をきつね色に焦がし、その中には余すことなくクリームが詰め込まれているようだった。
それはシュークリームの他でもなかった。
さらに驚くべきことは、そこにあるシュークリームは、サボテンの芽から生えてきた枝に人間が作ったシュークリームを刺したようではなく、サボテンの芽から伸びた枝からシュークリームが生えてきているように見えるということだった。
私は戸惑いながらも、その枝先に生ったシュークリームを手に取ってみる。
それはずっしりと重く、とても立派だった。

私がそれを思い切って口に運ぼうとしたところで、私の巡らされた考えは止まる。
巡らされたのは考えではなく、私自身だった。
サボテンを育てていると信じていたら、立派なサボテンに加え、いかにも美味しそうなシュークリームまでおまけで生えてきてしまった。
サボテンを育てようとしていた者からするとおまけかどうかも怪しいところではあるが、喫茶店の真ん中でそんな馬鹿馬鹿しいことを考えていた私を恥じずにはいられなかった。

喫茶店からの帰り道、私は通りのケーキ屋に目をやる。
ショーケースには丁寧に陳列されたケーキに加え、3つのシュークリームもそれらと仲良くちょこんと座っていた。
脳裏に残ったあのシュークリームの方が美味しそうだったと思ってしまったことに対して、私はまた頭を抱えた。

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