手術遍歴
生まれてから、6ヵ月までの写真はない。
当時は、奇形児を出産することは、隠さなければいけないことだったらしい。
いや、少なくとも両親はそのように考えていたようだ。
乳児なのに、どこに行くにも、マスク必須。
コロナ世界を40年以上も前に先取り体験していたようだ。
唯一ある写真は、仰向けで寝転がっている写真。顔面には、キツネのお面がのっかっている。
つまり、顔がしっかりと映っている写真は、生後6カ月までは1枚もナイ。
タイトルの手術遍歴とは、少し話が逸れるが。
隠せないほどの奇形であれば、ボクの性格はもう少し、「明るい」ものになったのではないのか?と、いまでも思うことがある。
どうも、「隠す」「引っ込み思案」「不安症」という性格は、出生直後の親の影響を受けたのではないか?と、考えたりもするのだ。そもそも、「暗い性格の原因が親にある」という、被害妄想的な発想に到るところも。。。という、無限ループに陥るので。ひとまず、止めておく。
仮に、隠せないほどの奇形であれば、例えば、四肢が欠損しているとか。そもそも、隠せないのだから、隠す必要もなく。「どうぞ見てくれ!!」という、天真爛漫で、何でも開けっぴろげに話すことができる陽気な性格になれた可能性もある。
もちろん、どうなるのかは分からないのだが。大きな障害があれば、またその大変さもあるだろうから。
では、本題の手術遍歴である
3ヵ月 口唇形成術(片側)
6ヵ月 口唇形成術(反対側)
(これで、ひとまず、明らかに唇が裂けているという状態ではなくなる)
1歳6ヵ月 口蓋形成術
(口蓋垂から硬口蓋後方にかけての裂け目を塞いだ状態。口蓋前方には小さな穴が残っている)
11歳 顎裂部腸骨移植、舌弁による鼻口腔瘻の閉鎖
(舌弁の切り離し手術も約4週間後に行っている)
18歳 口唇瘢痕除去・鼻軟骨の修正手術
(口唇形成時の瘢痕除去、鼻の変形を改善するために耳軟骨の移植)
30歳 鼻中隔湾曲症に対する手術
(著しい蓄膿症のため、鼻中隔を削る以外に対処法がなかったらしい。ただし、口蓋裂は鼻中隔湾曲に対して間接的な影響しかなかったかもしれない)
幸い、鼻咽腔閉鎖機能などには問題がなかったため、咽頭弁移植手術は不要であったし、顎骨の不均衡も軽度であったため、骨切り術や仮骨延長術なども不要であった。
ひとまず、生まれてから、7回の全身麻酔での手術を経験。
ただ、子ども病院に入院していたので、もっと、たいへんそうな友達もいたし、めっちゃ軽そうな(今思えば、軽そうに見える。外見的には異常がみ見当たらないだけで、内科的には重症だったかもしれない)友達もできた。
残念ながら、今は、その友人たちの誰とも親交はないけれど、当時は、大いに助けられた。学校では、病気であることがマイノリティーであり、異端者扱いを受けるのに、病院では、病気を持っていることが正義だ、と感じられた。
さて、ボクの両親は、教育にかなりコダワリを持っていて。
口友会(口唇・口蓋裂友の会)のような、口蓋裂の子どもや親が集まるような会には参加させてくれなかった。
通っていた小学校(当時は全校生徒1000人位いた)には、口唇裂の人はいなかったから、揶揄われるのはボクだけだったので。ぜひとも、口唇裂の友だちを見つけて、どうやって学校で過ごしているのか、情報をシェアしたかった。今の時代では、もしかしたら、簡単なことかもしれない。
しかし、両親曰く、あなたは普通(普通とは何?)の社会で生きていくのだから、そのような集まりには参加させない。と、言われたことがあった。
だから、小学校6年のときに、入院したときはチャンスだと思った。同志が見つかるのではないかと。
しかし、偶然なのか、何なのか、分からないが、同志と遭遇することはなかった。外来の待合室でみかけることはあっても、その短時間では、仲良くなれないし、親の目もあった。
こうして、少しずつ、ひねくれた性格になっていくのであったw