PIERROT復活で想ったこと

先日、PIERROTが縁で知り合った20年来の親友とアンドロジナスに行ってきた。DIRENGREYも好きな私にとっては最高の空間だった。
ラーでもあり虜でもある。
2000年代初期は、どっちかというとPIERROT派で隠れてDIRを聴いていた。
ファン同士の争い(都市伝説?)に戦々恐々としていたものだった。
なので、実のところ、親友にもいまだに虜であることを言えてはいないw

話をPIERROTに戻そう。
2006年4月12日 突然の解散発表。
当時大学生だった私はその事実をよく受け止められなかった。
ただただ悲しくて、もう5人の音楽は聴けないのかと思うと
自分の中にぽっかりと穴が開いてしまって、何かで埋めようとも埋めることはできなかった。もう一人の自分が死んでしまった、と思った。

PIERROTの音楽は何度も何度も前に進む勇気と希望の光を与えてくれた。

当時、進学のことで悩んでおり誰にも相談することができなかった。
誰かに相談したい、と思っていたけれどその存在自体子どもだった私は見つけられなかった。今でこそ学校にスクールカウンセラーが配置されて、心のケアの重要性が当たり前の時代になったのだが、当時は法制度が新設されて間もないころで普及もしていなかったように思う。

誰か一人でも自分の声を聴いてくれたなら。

直接自分の思いや気持ちを誰かに話すことはできなかったものの、
PIERROTのPURPLESKYに「そこにあるラインを踏み出して」というフレーズに、背中を押してもらえた。

学習環境を変え、友人関係もすべて縁を切り新しい土地で生活することに抵抗があったが、そこは若さもあり何とか一歩踏み出すことができた。

もともと内気だった私は、新天地でいきなり性格を変えるなんてことはできず、徐々にではあるが「なりたい自分」に近づいて行けたと思う。
それもPIERROTの支えがあったからこそ出来たことだと今になっては思う。

解散以降、「HELLO」を聴くことにどうしても抵抗があった。PVもメンバーの表情が暗く誰とも視線が合わないし、何よりもキリトがガラスを叩き割るシーンが痛々しく感じた。見ていてそのガラスの破片が心に刺さって抜けなくなってしまうような感覚があった。「壊したものはもう戻らない」。
絶望と失意のどん底という感じで、前を向いて歩こうと必死にもがいている感じがして、なんだか聴くたびにあの頃の気持ちを思い出して辛く
切なくもなってしまう。

SEPIAの「いつの日かこれでよかったと何気なく思うのだろう」という歌詞は、過ぎ去りゆく時間の経過と共に【自分の決断は正しかった】と後押ししてくれているようにも思えるし、【自ら苦悩を手放した】という意味にも思えるから、切ない中にも救いの光が見える。

当時は歌詞を通じて自分の気持ちとリンクさせたり、自分を奮い立たせ、必死にもがいていたな、と今になっては思う。

あれから18年の歳月が流れ、学生から社会人になり、結婚出産、育児、教育…めまぐるしい毎日。どこかに置き忘れてきた大切なものが思いもしないところで見つかって、その大切さを今になって噛みしめている。

あの頃よりは少し生き方が楽になった。

与えられるだけでなく、与える存在へと変わったからかもしれない。