言葉にすることから逃げていた。言葉にするのが怖かった。
この間、言葉に出来ないのは考えてないのと同じこと、という話から感じたこと、考えたことを書いた。
あれを書いてから、そういえばと別の側面にも気が付いたので、今日はそっちのことも書いておくことにしようと思う。
言葉にしたくない時期が、確かにあった。
自分の思いや考え。実は言葉に出来ないのではなくて、言葉にしたくないという気持ちが大きく占めていた時期があった。精神的に色々しんどかった時期だ。自分の何もかもが中途半端に思えて、焦りや恐怖心の固まりみたいになっていた頃があった。
言葉が持つ力は分かっていて、言葉にするから実現するとか叶うとか、形になるとか、そういうことも分かっていた。分かっていたから、言葉が怖かった。
良いことならいいけど、しんどい気持ちがアリアリと形になっていくのは嫌だ。わざわざ自分で「苦痛」を形作るなんて、そんなことしたくない。
それに、言葉にするには、何度もその思いをなぞらなければいけない(と思っていた)ので、それも嫌だった。
自分が作る、自分が出してくる言葉が、どんなものになるのか見たくないとも思っていた。
だから、言葉にすることから逃げていた時期が、間違いなくあった。
その頃しんどかった中身。しっかり棚卸しした方がいいという考えもあると思う。でも私はいいや。苦痛の再現の必要性は感じない。というより、その効果のほどは、個人の性質によってかなり異なると思ってる。簡単に言うと、向き不向き。
私には不向きだ。したい気持ちもわかない。確かにそういう時期があったな・・・と、今思い出して、ここまで言葉に出来ただけで十分だ。
でも、今なら分かることはある。本当は、当時の私は勘違いしてたんだ。
誰に言わなくてもいいから、自分の為に言葉にしていたら、きっと自分で自分をもっと俯瞰して見られたんだろう。自分の為に言葉にしないから、内側に苦しさが膨れ上がるばかりになっていたんだと思う。ちゃんと言葉に出来ていれば、もう少し楽に居られたんじゃないかな。
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