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東京事変「群青日和」の探求

椎名林檎の考察シリーズ第5弾です。
東京事変のデビューシングルなので、特別気合を入れて考察していきます。

ではまずは「群青日和」というタイトルから。

こんにちは!

です。群青=紺=こん、日=にち、和=わ!
デビューなのでまずは「こん・にち・わ!」で挨拶。
椎名林檎としてのソロデビュー(1998年)ののち、改めて東京事変というバンドデビュー(2004年)という、一般とは逆の経歴を持つことになるのも面白いです。
その様な背景があり
"改めてデビューって…ちょっと照れるかも"
という本音があったのかも。可愛らしい一面も感じられる、照れ隠しのダジャレ。PVの最後の"はにかみ笑顔"が印象的です。



1.群青日和は東京事変が始動するまでの物語

タイトルの可愛らしいさとは裏腹にヘビーな歌詞になってますので気合を入れて解説していきます。

新宿は豪雨 あなた何処へやら
今日が青く冷えてゆく東京
戦略は皆無 わたし何処へやら
脳が水滴を奪って乾く

まず"あなたとわたし"は誰でしょうか。
恋人同士、友達同士、いろいろ解釈できますが今回は…

"あなた"は過去の私
"わたし"は今の私

と捉えて考察していきます。
つまりは、どちらも自分です。
"あなた"である過去の私というのはソロデビュー前後の若き椎名林檎です。
そして"わたし"である今の私は、東京事変結成直前の私です。
この「群青日和」は、東京事変の結成までの自分を振り返る曲であると捉えました。なぜ今バンドを始めたのか?という回答にもなっています。

では、簡単に歌詞を意訳してみます。
起承転結の"起"です。

新宿からデビューした私(椎名林檎)。
豪雨のせいか、もう当時の私の姿は思い出すことさえできません。
今の私は一体どこにむかっているのでしょうか?
思考すればするほど、見失ってしまうのです。

こんな感じで意訳してみました。もしかしたらソロ活動に限界か、なんらかの壁があったのかも知れません。この時期は、そもそも出産と活動休止を跨いでいたので大きな人生の転換期でもあったのです。

続いて次のメロに移ります。

「泣きたい気持ちは連なって冬に
雨を齎(もたら)している」と、云うと
疑わぬあなた「嘘だって好くて
沢山の矛盾が丁度善い」と
答にならぬ"高い無料(ただ)の論理"で
嘘を嘘だといなすことで即刻関係の無いヒトとなる

ここの一連の流れ。
"あなた"がとにかくカッコいい!
するりと私の思考の間をしなやかに駆け抜けていってしまう。掴むことができない遠い存在をイメージします。
とりあえず簡単に意訳します。

「泣きたい気持ちは連なって冬に
雨を齎(もたら)している」
という歌詞を疑うことなく昔は書いていたのに、今の私にはどこかに"嘘"を感じてしまう。

何がどうして変わってしまったのか?
知りたい。
だけれど、もし振り返ってしまったら、今この私自身が消えてしまう予感がするのです。


クリエイターとして、厳しい岐路に立たされていたのかと想像します。"昔の感覚はもう取り戻せない"という焦燥感を抱いた経験はみなさんあるのではないでしょうか。ただ今の自分の成長は充分に認めており昔に戻りたいわけではないのです。
狭間に置かれた感覚。

意味合いとしては以上ですが、意訳し過ぎではないか?と突っ込まれそうです。なぜこんな意訳になるのかしっかり説明します。

2.嘘つきのパラドックスと息が詰まる私



この歌詞がこの曲の中で一番ややこしいですよね。実は論理パズルになっています。

歌詞に出てくる特徴的な単語は…
"矛盾、嘘、論理、答にならぬ"
と聞くと思い浮かぶのが"嘘つきのパラドックス"です。
論理パズルを理解すると、より深みが増しますが、ややこしければ3.まで飛ばしてもらっても大丈夫です。

<問題1>
「私は嘘つきです」
という人がいたらこの人は"正直者"なのか"嘘つき"なのかどっちでしょう?

<回答1>
正直者なら自分の事を嘘つきと言えないし、
嘘つきなら自分の事を嘘つきといったら正直になってしまいます。
困ったことにどちらも矛盾してしまいます。
なので問題の回答は出来ないのです。歌詞で言うと"答にならぬ"のです。

ちなみに、嘘つきというのは必ず嘘をつくとして考えてください。
この嘘つきのパラドックスを使って歌詞を再解釈します。

<問題2>
ある所にりんご村がありました。
私はある時期から、りんご村で育てられました。
りんご村には正直者か嘘つきか、そのどちらかしかいません。
もし私がりんご村の住人になる前に「私は嘘つきです」と言っていたヒトであった場合、りんご村での私は、正直者と嘘つきのどちらになるのでしょうか?

<回答2>
答えは回答1と同じく、どちらでもありません。
このりんご村では「私は嘘つきです」という発言は決してできないからです。

正直者と嘘つきで分けられるりんご村に、もしそんな矛盾を持ち込んでしまったら、りんご村自体が消滅します。
論理的に言うと背理法で、矛盾が起きた為、最初の仮定が全て棄却されます。
棄却される仮定というのは、過去の私か、りんご村か…どちらかが完全なる偽物なわけです。

つまり、りんご村にいる限り、昔の私は偽物でしかない。
逆に昔の私を認めてしまえば、りんご村なんて、そもそもなかったとなってしまうわけです。

ソロデビュー後のわたしがいる世界そのものが"りんご村"なのだと考えてみてください。

りんご村で育っていくには、わたしは過去の私の考えや信念を忘れ去らねばならなかった。
もし取り戻そうとすれば、過去のわたしに戻れるわけでもなく、今のわたしを壊してしまう。
歌詞にある通り
"即刻関係の無いヒトとなる"
のです。

決して相容れない"あなた"と"わたし"を描く為に論理パズルのアナロジーを仕込んだ美しさに加えて、カッコ良さも際立つ素晴らしい歌詞だと思います。

3."私"を演じる私"を演じる私"を…


では、次の歌詞に移ります。
起承転結の"承"です。

演技をしているんだ
あなただってきっとそうさ
当事者を回避している
興味が湧いたって
据え膳の完成を待って
何とも思わない振りで笑う

今の私がどこへ向かっているのかもわからない。かといって、あのしなやかで美しかった過去の私にも戻れない。
更に今のわたしを見捨てる事もできない。

そんな八方塞がりの状況ですから、この歌詞のパートは、一言で言うと"えいままよ!"になっていると捉えます。

では歌詞を意訳していきます。

今の私は何かを演じているだけ…。
だけども、過去の私だって、何者かになりたくて演技をしていたのだろう。
いつだって、私の上に"わたし"という皮を被っていたはずだ。

"やってみたい事"があっても、何重にも被った"わたし"という皮で私を覆い隠し、興味のないふりをして、カッコつけているのだ。

少し補足すると…
"わたし"という皮は最初は自分の意思で被ったのですが、そのうちに、周りの関係者やファンが勝手に被せてきて"わたし"を作り上げて演じさせているいう解釈もできると思います。

例えば、孤高の椎名林檎がカッコいいなんて思われたり、逆に孤高ぶってると皮肉られたり、普通にしていただけなのに勝手にキャラが確立してて、いつのまにかそれを意識している自分もいたりするジレンマ。人間、何かに気づかされた瞬間から、良くも悪くもその何かに囚われてしまうものです。

つまりは認めたくないけれど、どこかで"みんなが思い描く椎名林檎を多重に演じ続けてしまっているのでは?"と禅問答のような状況に陥ってしまった事を表現しているのだと思いました。
そして"なんとも思わない振りで笑う"と言う冷めた歌詞から、そんな状況に心底ウンザリしていたのかなと想像します。

4.伊勢丹の息で気づいた私の行き先は?



次の歌詞に移ります。
起承転結の"転"です。

突き刺す十二月と伊勢丹の息が合わさる衝突地点
少しあなたを思い出す体感温度

間奏の後、流れるように入ってくるこのパートのキレの良さといったら、本当に痺れますよね。ここのパートが一番好きという人も多いのではないでしょうか?

起承転結でいうと、ここが"転"に当たりますので、話が転換期を迎えます。
どん詰まりな状況に"どうにでもなってしまえ"となっていた私に変身の兆しが見えた大切なポイントです。

それでは、短いですが意訳していきます。

12月の寒空の下、新宿の伊勢丹前を歩いていると、扉が開いた伊勢丹のエントランスから暖かいすきま風が漏れ出てきた。
その生暖かいすきま風に包まれた瞬間
"あなた"の存在と重なった。

粋な歌詞です。五感全てが刺激されます。
"あなた"を恋人であると解釈している方なら、"伊勢丹の息"は人肌の温度の風であり、あなたに抱きしめられたかのような錯覚を覚えた事として捉えられるでしょう。

今回の考察では"あなた"は過去の私なので、この新宿伊勢丹の前を通ったとき思い出したのは、若き日の私です。
無名時代に、新宿での路上ライブの帰り道に通る伊勢丹前。心細さも残る寒空の下、暖かいすきま風にいつもホッとした気持ちを抱いていたのもしれません。

そして、今の私がたまたま通りかかった伊勢丹前。不意にその生暖かいすきま風に包まれ、一瞬だけれど過去の私と重なる瞬間が訪れたのです。歌詞で言うと過去と今の"衝突地点"となった瞬間です。

なんの前触れもなく、突然何か閃いたような、しかし運命的にそうしなければならないと思い込めるほどの瞬間がその"衝突地点"であるのだと感じました。

そして、過去の私と重なり気づいたことを端的に言うと…
「気ままに音楽を楽しむ事」
なのではないでしょうか。ベタかもしれませんがやっぱり初心であるここに行き着いたのだと思いたいです。
寒空の下、新宿の片隅で路上ライブを行う日々。この日々に椎名林檎は何になりたかったのでしょうか?
その答えが最後の歌詞に、つまり東京の日に繋がります。


5.燃えてゆく東京の日は"事変の日"



いよいよ起承転結の最後"結"までやって参りました!それでは歌詞から。

ねぇ 答は無いの?
誰かの所為にしたい
ちゃんと教育して叱ってくれ
新宿は豪雨
誰か此処へ来て
青く燃えてゆく東京の日


最初に申した通り、これは東京事変のデビューシングルであり、始まりの曲です。

最後の歌詞にある"青く燃えてゆく東京の日"というのは、まさに事変が起きた日、つまり東京事変が始動する日に繋がるのです。

冒頭豪雨の中、冷えた東京から始まり、苦悩を超えて、また燃え始めた東京。そのままその日を"東京事変"というバンド名にして再出発。
この一連をザッと一曲にまとめ上げた曲であると私は解釈しました。



椎名林檎にとって"東京"とは一体何なんでしょうね?それはまた今度の機会に考察できたらと思います。

6.まとめと更なる探究にむけて


まとめます。
ソロ活動の苦悩を乗り越え、バンドマンへの変身を描いた曲であり、この「群青日和」こそが最初の曲でなければならない理由があるのだ…と解釈しました。

・誰かの所為にしたい
・教育して叱ってくれ
・誰か此処へ来て

という歌詞は東京事変のメンバーに掛けているのだと感じます。

初心を思い出し"音楽やろうぜ!"とバンドを結成したここから、東京事変のあゆみが始まったのです。
そんな背景を考えながら、もう一度PVを見てください。
なによりシンプルに、楽しそうにギターを弾いている椎名林檎がより一層輝いて見えてくるのではないでしょうか?

Youtubeの再生回数は4000万回を超えており、シンプルに音楽をやるという原点に帰った姿に誰もが魅了されます。「群青日和」は再出発を意気込む魂の復活そのものなので、今でも色褪せることなく多くの人を惹きつけているのではないでしょうか。

以上の通り、曲の全体を一つの解釈で繋げてみたので、この解釈をベースに歌詞の一言一句に焦点を当てて行くと更なる発見があるはずです。例えば曲のイメージカラーとなる“青"とはなんなのか?など、もし発見があれば教えてもらえると幸いです。


最後におまけです。
このデビューシングルに続き2曲目が「遭難」なんですよね。「群青日和」で散々ソロの苦悩を乗り越えた再出発を描いたのにその後すぐリリースしたのが「遭難」。
"え、早速っ!"とツッコミたくなるタイトル。これは群青日和と内容がシンクロしているに違いません。気が向いたら2曲の関係を考察してみたいと思います。

<椎名林檎と東京事変の探求>

第1回:椎名林檎「依存症」の探求
https://note.com/clear_yucca9437/n/n021a0e5712bd

第2回:東京事変「生きる」の探求
https://note.com/clear_yucca9437/n/nf7de00f93467

第3回:東京事変「新しい文明開化」の新しい考察
https://note.com/clear_yucca9437/n/n55891e0dd045

第4回.東京事変「私生活(新訳版)」新旧考察https://note.com/clear_yucca9437/n/naa1baf355d70

第5回:東京事変「群青日和」の探求
https://note.com/clear_yucca9437/n/n9b6fc15b22fe

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