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92-3 サンフランシスコの夜昼裏表 モントレーの山奥から心の叫けび
「あっー、汚い、こんなトイレは見たことない、使えない」。
トイレのドアを開けて、入った途端に、逃げ出したくなった。
でも入ったからには用をたさねばなるまいという義務感がある。
トイレのフロアー中、トイレットペーパーが撒き散らされている。
足の踏み場がない。
辛抱して、つま先で歩くような感じで、トイレットペーパーの隙間を歩いた。
便所のドアを開けてみた。
スーッと私の義務感が逃げるようだった。
どの大便器の蓋もクモの巣を張り巡らしたように、鋭い刃物の先か何かで、落書きがされている。
便器には沢山のトイレットペーパーが浮いたままで流されていない。
もう一つ隣も同じだ。
私は両お尻にピクッと、ひと力を入れて、大物は辛抱して諦めることにした。
小物だけにした。
不思議なもので少物も遠慮して思い切り出ない。
人間の身体の中から出る臭いものも場所を選ぶようだ。
手を洗おうと、洗面器の前に立ったら、二つの洗面器の前の大きな鏡が二つとも割られて、跡形もない。
鏡のない便所や。
ここはサンフランシスコのグレイハンドバスターミナルの午後6時過ぎの便所である。
アメリカは車社会だから、バスの便はそう多くない。
予約してあるのは翌朝6時半のバスだが、夜中12時50分発のバスに乗るために待つことにした。
まだ7時間もあるが、待合で待つことにした。
5人か6人掛けの待合椅子が真ん中通路を挟んで右左に5つずつ並んでいる。
20人ほどの人がバスを待って座っている。ほとんどの人が座席を占領して、鞄を枕代わりに、半分斜めになって正面の天井と壁の間に掛けられたテレビを見ている。
テレビがCNN ニュースをしゃべっている。
私はテレビに集中できない。
遠くをこちらへ向かって走っているバスを心の中でぼんやりと、待っているような感じでテレビを眺めている。
そのテレビの下を通ってすぐ突き当たりを右左に曲がると男用と女用の便所が右と左にある。
夜7時頃になると、冷え込んできた。
隣のTシャツ一枚だけのフィリピーノの若者が両腕を交差にして、自分の腕をこすり出した。
ジャケットを着ている私まで寒さが移って来るようだ。
かわいそうなくらい忙しそうに擦っている。
この待合室にはヒーターがない。
世界中の観光客が押し寄せる有名なサンフランシスコのグレイハンドバスターミナルビルディング。
ヒーターのない寒い待合室。
鏡のない、汚く荒れ果てたトイレ。
用を足したくない便所、フリムン徳さんには信じられまへん。
この原因はいったい何か、犯人はいったい誰か。
夜も更けて冷え込みはいっそう厳しくなった。
待合椅子の通路を通って、テレビの下を通り、左側の男便所への行き来の人が多くなった。
ホームレスのようだ。
次から次という感じでやってくる。
彼らは座っていたら寒いから、便所を中心にそこらじゅうを歩き回って、夜を過ごし昼に寝る、ホームレスの生活の知恵のようだ。
隣の若者もとうとう、彼らのように待合を出て廊下を行ったりきたり、歩き出した。
寒くてじっと座ってはおれないからである。
その時、とうとう私は脱いだ。
彼があまり寒そうだから、「これを上げるよ」と私はジャケットの中の冬物の私の長袖のシャツを着せて上げた。
私はジャケットの下は薄いランニングシャツだけになった。
これも人助けと思ってやった。
喜界島の美代ねえなら、「フィーサミー、キムチャギサヤー」と言って、こうするなあと思った。
隣同士座ったのも、一言のやりとりも、これも何かの縁。
「自分の温もりを上げる」という名文句が浮かんできた。
この名文句が若いオナゴはんにだったら、どんなにかうれしい旅の思い出になったのに。
これは私の日頃の行いが悪かったからと思うことにしておこう。
途端に彼の震えが止まったようで、満足でしたが、私は寒くなりだした。
私はジャケットの下にランニングシャツという奇妙なイデタチになった。
でも、これも触れ合いというものでしょうか。
これだけでも、忘れられない触合いの旅になりそうでだった。
ホームレスの徘徊は一向に止まらない。
トイレに来た同じホームレス達は30分もしないうちにまた来て、トイレへ行くのを繰り返す。
ホームレスには、黒人、白人、東洋人、さまざまな人種がいる。
最も多いのが黒人さんのようである。
ある新聞にアメリカには約70数万人のホームレスがいる。
そのうちの19万人ほどは元軍隊出身だと書いてあった。
ホームレスの4人に一人が元軍人出身者になる。
国を守っていた人が自分のホームがない人が多い。
これはどういうことか?
喜界島の人口9千人の約8倍の人間がホームレス。
喜界島の人は全部住む家がある。
喜界島はええなあ。
喜界島はみんなが助け合うからやねん、頑張るからやねん。
垢がこびりついて、重そうな服を着たものもいる。
目つきがおかしい人が多い。
アル中か、ドラッグをやっているのだろうか。
歩く姿もフラフラ、しどろもどろ、サッサ、サッサと色々だ。
キャスター付のおんぼろのスーツケースを引っ張っているのもおる。
ホームレスの一人は、「バスの切符を買う金が1ドル足らないからお願いします」と、椅子に座っている人に片っ端から声をかけていく。
一巡後、しばらくどこかに行くと、またやって来て、同じように、声をかけていく。
バスが出ると待合は急に人が減るが、またすぐに次に出るバスのお客さんがぞろぞろ入ってくる。
彼らはまたこれらのお客さんに同じように、同じ文句を並べて、お金をねだっていく。
1ドル札を上げる人がたまにいる。
もらったら、すぐに、正面においてある販売機にその1ドルを入れて、クッキーを買う者もいる。
バスの切符を買うというのは見え透いた口実である。
1ドル札がないからと5ドルをやる白人女性がいた。
私は「アー、もったいない、やられたか。
5ドルは相場じゃない、1ドルが相場や」と悔やむ。
フリムン徳さんは見ず知らずの人がやることに余計な心配をしている。
入り口の大きなガラスドアの端に立っている髭もじゃの汚れ白人は、テレビを見ながら、ポリスが交差点でする手信号の真似を先から飽きずにやっている。
どうも頭がおかしいようだ。