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18--「ほんまに、そんなこと、あんのかいな」 モントレーの山奥から心の叫び 

世の中にはこんなに不思議な奇跡現象を体験した人がいる。
読むだけでは、もったいなく、ここに書いて残したくなりました。
ある本で読んだ世にも不思議な、想像もできない、ある日本の男の生死に関わる体験である。
本の名前は忘れてしまいました、お許しくだされ! 
 第1回目の体験=彼は小さい頃、海で溺れかかって、ある女性に助けられた。          
第2回目の体験=大人になってからハワイ旅行をした。
とある行き止まりの道に二人の人相の悪い男に追い詰められて、強盗される寸前だった。
偶然にそこへ身体の大きな日系の男性が現れて、助けてくれた。
聞いてみたら、彼はハワイの警察官であった。
第3回目の体験=彼がゴルフ場のレストランで、食事を終えて、外へ出たら、後ろから、ウェイトレスが「忘れ物ですよ」と、彼を呼び止めた。
頭を彼女に振り向けた途端に、ジェット機かと思える速さのゴルフボールの球が彼の目の前をすれすれに飛んでいった。
もし、彼女に呼ばれて、頭を振り向けていなかったら、彼の頭はゴルフ球で打ち砕かれていたに違いないという。
 長年過ぎてから、「この3つの事件を調べて見よ」と、いう言葉が頭の中に、しつこく聞こえるようになった。
とうとう彼は古い記憶を頼りに自分を助けたこの3人の名前を調べた。
どうなったか? 
なんとこの3人全部の苗字が同じ「山本」さんであったのである。(名前は勝手に山本と仮名にさせてもらいます。)
 次に彼はどうしたか?‚ 
今度は、そのことを占い師に占ってもらった。
占い師の口から出た言葉は「あなたのご祖先が、昔、山本という人を助けた」という事でした。
私に言わせれば、「ウヤフジの義理堅さは鉄のように硬い、3人もの山本さんに恩返しをさせた」
彼は変わっている。
なぜ占い師まで行ったのだろう。
私の考えでは、助けてもらった人に御礼をしてこの話は終わりだと思う。
ところが彼はその事を占い師にまで行って占ってもらった。
やはりウヤフジがさせたように思う。
 私は25回以上の見合いをした。
しまいには見合い疲れして、喜界島の美代ねえ(おばさん)に頼んで、顔も見ないで、近くの坂嶺村の今の嫁はんと結婚してしもうた。
ところが美代ねえの旦那さんが言った言葉も気になる。
「徳市は、小さい頃、坂嶺村の女性と結婚する」と言っていた。
その村の方言のアクセントが柔らかく、歌を聴いているようであったからだと思いだせる。
私はそんなことを言ったことはちっとも覚えていなかった。
これも偶然の一致だろとうか。
 私は誰もが信じがたい映画見たいな経験もした。
これは私に実際に起こった世にも不思議な、誰もが信じがたい話です。
1996年、南サンフランシスコに住んでいた頃です。
ある朝、車のエンジンがかからないので、トーインカーを呼んた。
私の車(ホンダ、シビック)を大きなトーイングカーの荷台に乗せて、私は運転手のトラックの横に乗って、エル・カミーノというストリートをサンノゼの方へ走って、近くのホンダのディーラーへ向かいました。
右側の大きな墓地を越えて、少し緩やかな下りにに差し掛かかった。
私と話をしていたトーイングカーの運転手が後ろの荷台を振り向いたら、乗せたはずの私の車が消えてないのです。
しっかりと太いワイヤで縛ったのを私はじっと見ていました。
荷台に乗せた私の車はどこへ飛んでいったのか?
運転手は真っ青になって慌てふためいて周りを見渡しました。
彼は見つけました。
私の車は飛んでいませんでした。
走っていました。
私達のトーイングカー(牽引車)のすぐ左横車線の中央車線を他の車と同じように仲良く並んで走っていたのです。
運転手もいない、誰も乗っていない無人の車が、他の車と並んで、何もない様に走っていたのです。
 これは映画ですか、いや違います、現実です。 
信じることの出来ない、でも信じなければならない不思議でならないことでした。
朝のラッシュアワーなのに車がすいていました。
 私と運転手は外側線を走っていた。
運転手は慌てて車を道路横に停め、車の合間を縫って、ゆっくり走っている私の無人の車のドアを開け飛び乗り、無事に、道の横につけたのです。
ラッシュアワー時だったのに、車の流れが途切れていたのも私のホンダのドアの鍵がかかっていなかったのも幸運だった。
この一瞬の出来事に並んで走っていたどのドライバーも気づいてない様子でした。
私とトーイングカーの運転手しか見ていない真昼の夢のような映画のような光景でした。
 ホンダのディーラーでこの話をすると、誰も信じがたい様な顔をしていました。
もちろんだと思います。
車はほとんど無傷な状態でした。
私が知りたいのは、あんな高いトーイングカーの荷台からいったいどんな落ち方をしたのか。
私の車が落ちたのは大きな墓場を越えて下り坂にさし掛かったところです。
墓場には何かかがあるようです。
でも、ガソリンタンクが少しだけ凹んでいました。
 私は小さい頃、大きくなったら何になるかと考えたのは3つあった。

ひとつは大工さんだった。
小学生の時工作が上手だったからである。
二つ目は商売人になることだった。
これは人を「説得する本」に影響されたと思う。
三つ目は物書きになることだった。
大工さん、商売人、物書きの三つの夢にえがいていた職業を全部やってしまった。
できるとは思いもしなかった。
そして、どれも偶然にその職業についたようである。
振り返ってみると、不思議なことでもある。
これらのことは心に描いていたのが現実になったケースのようである。
何かが私にさせている。
私にはウヤフジ(ご先祖様)がそうさせているとしか考えられない。
おもろい文章をよく書いていたからだろうか。
 私がロスアンゼルスで大工を始めた27、8年も前の頃の話です。
まったく知らないある人から「お骨入れを木で作ってくれ」と注文があった。旦那さんのお父さんが死んだので、お骨を入れて日本へもって帰るそうです。
私はその人の名前を聞いてびっくりしました。
その死んだ人が、私の喜界島のおじいさんの従兄弟だったのです。
小さい頃よく聞かされた名前でした。
 奇跡現象、偶然の一致を研究した生物学者カメラーや心理学者ユングは、すなわちこの世には、通常の因果律を越えた「超因果律」ともいうべき法則が存在している。
たとえばそれは、64のパターンからなる中国の「易」のシステムに見ることができると言っている。
分子、光子、量子力学、超因果律、とか私にはわからん難しい言葉ばかりでてきよる。
読み進むうちにとうとう意味がわからんようになってきた。
 でも、強く心に描いたり、念じたことが現実になるケース、あるいは夢で危険を予知した正夢、予期しない、想像すら出来ないまったくの奇跡現象、偶然の一致などは超能力が作動した結果ではなかろうか。
その超能力を起こす人を私は知っている。
それは私の場合は自分の一番身近な喜界島のウヤフジ(ご先祖様)が起していると信じている。
見たこともないキリスト様やお釈迦様よりも私達のことをよく知っているのはウヤフジです。
ウヤフジがあの世から私達に奇跡を、偶然を起こし、私達クァンキャー(子供たち)を引き合わせ、助け合わせて、見守っているような気がしてならない。私はウヤフジを誰よりも大事にしようと思います。

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