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24-- 「二日間の天国旅行」9/2013 モントレーの山奥から心の叫けび
「フリムン太郎は、毎日、玄関に置いてある、私の靴の臭いを嗅いでから、主のいない私のベッドへ飛び上がって、ちょこんと座っている」と、アメリカの嫁はんから電話があった。
私が日本へ旅行に行っていた、4日目の10月21日だった。
飼い猫フリムン太郎の話を聞いて、胸がいっぱいになり、思わず涙がこみ上げた。
私が近寄ると、用心してすぐに逃げる、あのフリムン太郎がである。
エッセイの文章がうまく書けないと、すぐに、フリムン太郎を弄り回していたから、家の中では、私をいつも警戒して、私と一定の距離を置いていた。
だから、彼は私を嫌っているに違いないと思っていた。
フリムン太郎の様子を聞いて、懐かしの涙を流しそうになった私に、日本では沢山の人が驚きの涙を流す大変な騒動が起きた。2012年10月22日だった。
私が呼吸困難で倒れて、病院へ担ぎ込まれた。
初めて私を診た医者---「もう、この人は死んでいる」
私担当の医者---「あと2時間しか持たないだろう」
お袋と二人の弟が住んでいる奈良県大和郡山市にある病院での事である。「黒い靴下がない、葬式どないにしよう」と大阪の妹や、二人の弟は慌てふためいたらしい。
アメリカにいる嫁はん、生まれ故郷喜界島、東京、大阪の親類縁者、私の友達、知り合いに「徳さん、危篤」と 緊急電話で知らされ、続々と病院に集まって来てくれた。
病院に担ぎ込まれた私は意識がなく、三途の川の川岸に立ち、勢ぞろいした私のウヤフジ達(ご先祖様)と対面していた。
天国の入り口は、私が育った故郷、喜界島小野津村で子供の頃、聞かされた話のそのままであった。
「人が死ぬと、ウヤフジ達が勢ぞろいして、天国で待っているから、何も心配することはない、怖がる事もない」と、よく村で葬式の度に、おじいさんやおばあさんに聞かされていた。
私の場合も、そうであった。
沢山のウヤフジが目の前の三途の川の向こう岸に沢山並んで待っていた。
私の見た三途の川は水の流れのない天国に手の届くほどの細い細い川だった。
”三途の川”を日本語大辞典で引いてみると、死後、冥土に行く亡者の渡るという川。
生前の罪業によって、流れる速さの異なる三つの瀬があるという三瀬川。 勢ぞろいしたウヤフジ達は同じ顔、同じ服、同じ笑顔で、男と女の区別も全くつかなかった。
全員が丸坊主姿で、白人のように、色が白かった。
皆さん、優しそうで、満面の笑顔で、太っていて、一人も痩せたウヤフジはいなかった。
よっぽど、天国は裕福な国らしい。
皆さん同じタイプの顔立ち、そろって5分刈りみたいな短い髪の毛、そして、仙人を思わせる真っ白い布をまとっていた。
でも仙人みたいに痩せた顔ではない、丸ぽちゃ顔である。
話をすると、誰かすぐにわかるような気がした。
見るのも、聞くのも、話すのも心であった。
天国では口も、耳も、目もいらなかった。
皆さん、若者はいなく、50歳以上の年齢に見えた。
そうか、若者は天国へ行くのは少ないのだ。
天国は年寄りの行く国なのだ。これで納得。これが天国の住民のようである。
笑顔で私を迎えてくれたウヤフジ達はモダンであった。この世と同じように進歩している世界のようであった。
彼らの横に、医療器械CTが置いてあった。
でも、この世のCTよりはだいぶ小さかった。
天国の医療器械CTは何に使うのか、死んだ人に医療器械が要るのか。
そうだ、天国に要らない人をこの世に送り返すための器械だろう。
彼らは私に「お前はこの中に入れ」と命令した。
途端にこの世に戻ったようであった。この世に戻って、目がさめて一番初めに私の天国帰りを待っていたのは妹、みち子の旦那、隆夫さんだった。
私は世にも稀な天国旅行した人間、隆夫さんは天国旅行から帰ってきた人に始めて会ったあった人間。
彼は火星人に会った気持ちだったに違いない。
次々に来た見舞い客の「よう、生き返った。」と驚きの涙と嬉し涙が私に降り注いだのは、天国旅行から帰って目が覚めた三日目の病室だった。
皆さんの口から出た言葉は色々だった。
1 みんなの祈りが通じたんだ。その通りだと思う。
2 まだ、この世でやらねばならないことがあるから、天国から返されたの だ。
3 もう、あんたは100歳まで生きられる。
そうかもしれない とも思った。
4 お前は、葬式代がないから、断られたのだ。
これも当たっているようだ。
5 お前見たいなフリムン(おっちょこちょい)は天国はお断りだ。
6 あんたはエッセイによく、ウヤフジのことを書くから、
ウヤフジが助けてくれたんだ。
7 あんたのお父さんは若く(57歳)で死んで、生前、お世 話になった人や親友に御礼も出来なかったが、あんたはお
父さんの代わりにその人達にお礼をしてくれた。
死んだお父さんが今度はあんたに御礼として、生きがえさせてく
れたのだ。
8 もうひとつ気になることがある。去年、00市に住んでいた親しい喜界島の同級生の墓参りを強行に断られた事である。
せっかく日本に来るのだから、「彼女の墓まりをしたい」と旦那さんに頼んだ。
アノ優しい旦那さんが断ったのである。
「では、私と英助だけででもお参りさせてください」。
これもだめだと断られた。
「徳市、あんたは来るな」と、死んだ彼女が言っていたに違いないと思わざるを得ない。
9 今回の日本行きはアメリカの空港からスケジュールが狂い ぱなしだった。
普通はサンフランシスコの空港から大阪の関空へ直行で行くのに、近くの町サンルイスオビスポの空港から飛行機に 乗ることにした。
送ってもらう嫁はんのサンフランシスコから家までの車の運転は
嫁はん1人には無理と思ったからである。
サンルイスオビスポの飛行場では乗る飛行機の故障で、
出発が2時間も延びた。
サンフランシスコからは関空直行便に間に合わなく、
成田行きに乗り、成田から、羽田まで、バスで、羽田から、関空までと 乗り換え乗換えばかりの日本帰国で、心身ともに疲れた。羽田空港では、3歩、5歩、歩いて、立ち止って、休まないと、歩ける事が出来なかったほどに弱っていた。
私の2間の天国旅行に対して、ある人達は、「徳さん、2日間意識をを失って、夢を見ていたに違いない」と言うかもしれないが、そうではないと私は思う。
もし、夢だったら、すぐに忘れるはずである。
1年経った今でも、三途の川に立って、天国の優しいウヤフジ達との対面の景色がはっきり思い出せる。
でも、三途の川に立って、天国のウヤフジ達との対面の景色は、天国から帰って1週間か2週間経ってから、私の頭に浮かんだ。
これも不思議でならない。
大変な事が起きると いろんな思い当たる節が思い出される。
天国へ行く前は身体がしんどくて、しんどくて、座る事も出来なかった。「これが死ぬ状態やナア」と妹のみち子に言った言葉が最後だったらしい。
天国へ行くのは、布団の中でいつの間にか、寝付くのと同じで、何の痛みも、苦しみも、なかったが、3日目に天国から帰ってみて、皆さんの顔を見て、話を聞いているうちに、「天国へ行く事は寂しい事だなあ」と感じ、「私達はウヤフジに生かされている」と、深く考えさせられた二日間の天国旅行だった。
* 私の好きな作家向田邦子さんの本には「飛行機事故心配の
こと」、がよく書かれている。彼女は飛行機事故で死んでしまった。
心配していたことが現実になった。
* フリムン徳さんはエッセイの中に「ウヤフジのお陰」という 言葉を沢山書
いている。
フリムン徳さんは天国へ行ったが、 奇跡的に帰ることができた。
ウヤフジのお陰だと思っている。