"俺の嫁はんは、よう尽くしてくれた、よう付いてきてくれた”。
口に出しては言えないけど、他人にも言えないけど、文章には書ける。
俺が大阪で商売をしていた頃は朝帰りが多かった。
綺麗な着物を着た幻のホステスさんに送られて朝の3時4時に帰ってきても、必ず外へ出て、「何時もお世話になって、ありがとうござます」と深々と頭を下げてくれた。
こんなことは普通の嫁はんではできないと思う。
まさしく商売人の嫁はんの見本中の見本だった。
俺はそれに甘えて、二人の二号さんまでつくってしまった。
しかもその二号の一人は嫁はんが見つけてくれた。
二人で道頓堀の料亭へ行った時に、そこのレジーの女が気に入って、「パパ、あの子いい感じよ、口説いたら」と勧めてくれた。
俺はあの時、思った。
こんなできている嫁はんは珍しい、心の広い女やなあと。
又、両親はどんな育て方をしたんだろうかとも。
俺の商売はだいぶ変わっていた。
普通の男はんはクラブへ飲み行って、ホステスさんとイチャイチャして、お金を使うだけだが、俺の商売は注文が取れるのである。
一石二鳥の商売であった。
「徳さん、部屋の絨毯とカーテン新しく変えたいねんけど」「徳さん、もっと大きなマンションへ引越ししたいねんけど、お願いできるぅー」。
クラブで別嬪のホステスさんの手を握りながら、商売の注文が取れるのである。
この引越しの中に夜逃げの引越しがけっこうあった。
ヤクザ屋さんと知らずに二号さんになり、住んでみてわかる。
ヤクザ屋さんから、彼女達を逃がすための夜逃げの引越し運送だった。
その頃、大阪の商売人はヤクザに屋をつけて、ヤクザ屋さんと呼ぶ人もいた。
徳さんの真っ赤な色の名刺にこう書いてあった。
「室内装飾業、家具販売、引越し運送、男前の徳さん」。
当時、大阪の電話帳の職業欄には「室内装飾業 男前の徳さん」という屋号で載せていた。
どいういうわけか、本を出版した今は男前の徳さんが「フリムン(アホ)徳さん」に名前が変わっている。
商売人だった俺は、金儲けが嫌になり、自然の中での自給自足の生活を夢見て、南米のパラグアイのジャングルへ百姓として移民した。
何も言わずについて来てくれた。
未知の国で、馴れない百姓仕事はそう簡単にはいかなかった。
1年分の収穫したトウモロコシを一晩で全部盗まれた。
すっからかんになった、次は、アメリカのロスアンジェルスへ行った。
英語ができないから、見よう見真似で大工になった。
ロスでもようやってくれた。
夜の仕事の現場へでも、産まれてまもない赤ちゃんの息子を連れて、お握りを持ってきて手伝ってくれた。
ロスを振り出しにシアトル、サンフランシスコを渡り歩き、今は日本人の一人もいないモントレーのブラッドレーという山の中に住んでいる。
喜界島、大阪、パラグアイ、アメリカと、50以上の職業を変えた俺に、ようついて来てくれた。
俺の嫁はんの真似は誰もできないと思う。
見知らぬところで、誰とでもすぐ友達になれる素晴らしい技を持っているからだと思う。
人と付き合うのが好きな性分だからだとも思うが、人並み以上の努力をしていると思う。
「いや、フリムン徳さんにそれだけの魅力がアンネや」「あほ抜かせ、徳さん」。
俺より世間の人が認めている。
俺の嫁はんこそ、 ”主人に尽くした忍耐勲章”をもらえる嫁はんや。
嫁はん、苦労かけてすまなんだなあ。
おおきに、おおきに!!
身体の小さくて心の広い嫁はん。
歳とったら、今度はこのワイがついて行きまっせー。 12-2005 フリムン徳さん