42--「嫁はんの出前とは」3160字 モントレーの山奥から心の叫び
アメリカの山奥にもマリリンモンローよりも奇麗な女性がいる。
先日、70歳過ぎの彼女の若い頃の写真を見せてもらいながら、思わず、心の中で、「これが白人の美人というもの」と、思わずそう叫んだ。
そして今、その元超美女バベットは奇麗に飾られたテーブルの左端に上品な雰囲気を漂わせて座っている。
そして他に6人の白人美女が居並ぶ。
ここは海抜300メートルの山の砂漠と呼ばれるラックウッドという村。
どこまでも続く広い牧場。
カーボーイ、カーガールの生き残りの村でもある。
カリフォーニアの有名なモントレーカウンティーの山奥にある。
フリムン徳さんの嫁はんの親しい友人のアルビラの家に、もと美女達が集まって、嫁はんの誕生パーテイーをやってくれている。
バベットは牧場の真ん中に小さなモービルホームを月200ドルで借りて一人で住んでいる。
見渡す限り牧場ばかりの寂しいところにぽつんと置かれたモービルホームに年寄りのバベットは何故一人で住むのか?
彼女は馬が好きだからである。
元カリフォニアのカーボーイ、いや、カーガールの女王にもなったことがある。
独立した子供達は町で生活している。
では、どうして、老人ホームへ行かないのか?
どうもこの辺のアメリカの老人は自分で生活できる間は、ひとりで生活して、出来なくなれば、子供と一緒に住むか、老人ホームへ行くような気がする。
老人ホームがなかった昔のカウボーイ時代の生き方をしているようである。 馬が好きで、半年前までは、趣味で馬を飼って、乗馬を楽しんでいたが、もう、あまり乗らないので、その馬はパソロブレスの娘にやった。
私はその馬の鞍が彼女には重たくて、持てないので、車に積むのを手伝ったことがある。
彼女は脳溢血で倒れて以来、重たいのがもてない。
バベットの右隣が嫁はんを自分の子供のように可愛がってくれているアルビラである。
彼女も旦那を亡くして15年前に今の旦那のバブと再婚して2人で牧場の真中の大きな古いモービルホームに住んでいる。
彼等はこのモービルホームとこの土地150エーカー(18万坪)を何年か前に売ったが、そのまま死ぬまで住まわせてもらえるという。
それほどバブとアルビラは人に好かれる夫婦の証拠である。
彼等ほど人種差別なく、親切で思いやりのある白人にアメリカで会ったことがない。
私と嫁はんの出来損ないの英語を辛抱して聞いて、友達として、ずーっと付き合ってくれるのは彼らぐらいだと思う。
私達が、日本人のいないアメリカ人の村で生活できるのも彼らのお陰と感謝している。
嫁はんの今日の誕生パーテイーもアルビラがお膳立てしてくれ、彼女の家でやってくれている。
そして今日集って祝ってくれている白人の美女達は全部嫁はんのお客さんである。
嫁はんに彼女達の家のハウスクリーンの仕事を世話してくれたのもアルビラである。
アルビラは注意深くて、親切な人である。
私達と知り合って間もない時、「嫁はんがハウスクリーニングの仕事を探している」と言うと翌日すぐに、自分の家のクリーンをさせて、嫁はんの仕事振りを確かめてから、自分が第1号のお客さんになり、瞬く間にこの5人を紹介してくれた。
私達は助け神に会ったのである。
そのアルビラの右隣に座っているのはこれも金髪の元美女バーバラ63歳。
彼女は300エーカー(36万坪)の土地の真中にポツリと建った、こじんまりした質素な家に住んでいる。
ラックウッドの大地主である。
彼女はパーキンソン病にかかり、歩くのと手の動きが少しのろい。
パーキンソン病の説明をタイプにして知り合いに配っている。
私にもくれた。
嫁はんを頼りにして、ハウスクリーニングの日を楽しみに待っているようである。
私の本が出版されたと言ったら、「もう本が売れて、金が入るから、初美はうちの仕事を止めるんですか、と悲しそうに聞いた女性である。
私は病気になった人のはかなさを感じ、胸がジーとした。
バーバラの右隣はローレン、彼女はバーバラの旦那のお母さん、人を包み込むような包容力を漂わせる、優しい顔の背の高い大きな白人女性。
コンピューターも上手である。
孫や娘とEメールでやりとりしてコンピューターを楽しんでいる。
『先月は車の免許証切り変えの際、筆記テストで満点を取った』と微笑みながら言う。
彼女は息子が持っているモービルホーム村で一人で住んでいる。
なんと彼女は86歳のおばあさんである。
ローレンの右隣は、70歳は過ぎているルビー。
彼女は私達の教会の幹事である。
私達も、日曜日にはこの教会にメンバーではないが、英語の勉強と称して行っている。
今では教会のたった一組の東洋人夫婦のメンバーに間違われるほどである。ルビーは教会の牧師さんの世話や、毎年5月にやるバーベキュー祭の責任者でもある。
何年か前に、旦那は死んだ。
今は、80歳過ぎの背の高い、ジョンウェインに似たボーイフレンドの家に一緒に住んでいる。
この人達が一品ずつ持ってきた料理がテーブルの上に並べられている。
油で揚げた薄く丸いジャガイモ、大きなボールに入った野菜、たまねぎを細かく刻んで酢とバターで作ったサラダ、りんごのケーキ、パイナップルのケーキ、小さいロールのパン、薄く切ったハム、初美の作ったコロッケ、心がこもって嬉しいのだが、なんだか寂しい、でもこれがアメリカの田舎の料理のご馳走である。
土地の狭い日本人は寿司、天婦羅、刺身と豪華な料理、土地の広いアメリカは質素な料理、なんでこんなに違うのか。
もし、今日は狂牛病の問題の肉がなかったから、よけいに質素な料理見えたかもしれない。
それにしても日本の料理の豪華さ、おいしさにはアメリカ料理はいくら頑んばっても、勝てないような気がする。
日本は料理の発達する国、この村は昔にままの料理を続ける村のようである。
この白人の中の一番えらい席に座らされたわが嫁はんは体が小さい。
えらく黒く見える。
紅一点じゃなく黒一点だからだろう。
白人と比べて背の低いこの54歳の黒一点も、そう背はそう低くは感じられない。
背の高い人間も低い人間も足の長さが違うだけで、胴の長さはそう変わらないというのは、本当のようである。
白人美女に囲まれて座った嫁はんの姿もまんざらでもない。
周りが白ばかりやから黒が目だって別嬪さんに見えるんや。
「徳さん、べっぴんの嫁はんをもらったのう」。
一年前まではろくに英語ができなかった嫁はんが知っているだけの英語の単語を操って、自分の日本人の親友に喋っているみたいに打ち解けて楽しい会話をしている。
羨ましいと、誇らしい気持ちが混ざって、少し、甘酸っぱい気持ちがする。でも会話の半分以上は分からんでも分かったふりしているのは手に取るように分かる。
私が倒れて、嫁はんが外で働くるようになって、たった一年でこんなに英語ができるようになり、白人の社会に堂々と融けけ込めたのかと、この私は自分の頭を疑いたくなる。
嫁はんが白人の美女達と会話をしている姿にカメラのシャッターを切るたびに、よくぞここまできたという思いで、カメラが震えよる。
英語を巧く喋れなかった嫁はんが、たった一年の間に白人の社会に融けこめたのには理由がある。
人とすぐに友達になれる彼女の性格もあるが、それだけではない。
嫁はんは彼女達の家に毎週1回あるいは2週間に1回仕事に行く。
2時間、3時間、5時間と、みなまちまちだ。
そして、行く度に、朝早く起きて日本料理を作って持って行く。
仕事に行くのに自分の弁当ではなく、お客さんのための日本弁当を持って行く。
私は、「出前に行くのか」といつも冷かしている。
一番好まれるのはアメリカ人向きに甘く味付けしたチキン照り焼き。
アメリカ人の味付けは甘い。
アメリカ人の作った料理の何でもが、甘いお菓子を食べているような気がするほどである。
七色の虹を思わせるジェーローも人気がある。
冷蔵庫の材料が切れた時は庭に咲いた花を持っていく。
嫁はんのこの「出前えが白人社会へ入り込む道具であり、英語が上達する特効薬のようだ。
嫁はんは今日も朝早く起きて、鼻歌を歌いながら、コロッケを作っている。フりムン徳さん