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88--「フリムン監査役」 2250字   10-18-2007^^モントレーの山奥から心の叫び

継続は力なりとよく聞くが、この場合は継続は信用なりでもあるようです。私達の教会のアメリカ人達が、どうしてこんなにも、私達を信用するのか。私達は日本人であり仏教徒である。
アメリカ人からこんなに信用されるとは夢にも思わなかった。
7年間、頑張って教会へ精勤したからだろうか。
 ほとんど白人ばかりの山の中の古い、小さな教会の4月のある日曜日の朝のこと。
教会で礼拝が終わり、別棟のキッチンホールでコーヒーを飲みながら、先月の会計報告のミーティングをしていた。
メンバーは白人の年寄りばかり14、5名。日本人は嫁はんと私だけ。
「トム、教会の監査役になってくれ」と、教会のマネージャーのロイが、印刷された何枚かの紙を私にくれた。
一瞬、私は、意味がわからなかった。
私達はこの教会のメンバーでもなく、クリスチャンでもないのです。
英語の勉強をしたいためと、アメリカ人の友達を作りたいために、「私達は仏教徒ですが、英語の勉強をしたいから、日曜日、教会に行ってもいいですか」と近くに住むバブとアルビラに頼んだのが7年ほど前でした。
 それから、ほとんど毎日曜日、教会へ通い続けました。
まともに英語ができない私達に、バイブルの意味がわかるはずがありません。
牧師さんのしゃべりが、早すぎて、何ページを開けなさいという言葉を聞き取るまで5年ほどかかったと思う。
小さな古い教会だから、スピーカーがなかったせいもあると思います。
「徳さん、自分の耳が遠くなっているのを忘れてるのか?」
7年経った今でも、牧師さんの言ったページを開けて、読むだけで精いっぱいである。
意味なんかわかるはずがありません。
覚えた英語は「ハレルーヤ、アイ、ビリーブ、ガッド、サンキュー、ジーザス」ぐらいなものです。
これではアメリカの犬よりも悪いです。
 英語もまともにわからんのに、よう7年も通ったと自分でも感心するほどである。
人間が恋しかったからだと思います。
日本人のいない、アメリカ人も少ないこんな山の中で住んでいたら、人に会いたいのです。
この頃、私は毎日家の中で、外の山を眺めながらエッセイや詩の勉強をしているから、人間と会うのは1週間に1回の教会へ行く時と、2週間に1回、隣町パソロブレスへ買い物に行く時だけです。
町に住んでいる人は、人のいないどこか静かなところへ行きたいと思っている、私は人間のいる所へ行きたいのです。
 でも毎日、家へ沢山来るのはいます。
人間ではありません。
私達が餌付けした、野生の動物達です。
野兎、鹿、きつつき、ブルージェイ、数え切れない数のウズラです、彼らには情は移るのですが、言葉がないのです。
やはり少しでも通じる言葉を持っている人間が必要です。
だから、アメリカ人だろうが、メキシカンだろうが、黒人さんだろうが、来る人は歓迎です。
言葉が全部通じる日本人なら、大歓迎です。
日本人なら、もう誰でも親戚みたいなものです。
酒はないから、ワインを飲ませます、時間があったら、すぐにバーベキューでもしてもてなします。
 白人の社会へ入り込んで生活するのは、目に見えない劣等感がいつもあった。
一人か二人ぐらい白人の色の皮膚でないアメリカ人がいたら、まだ私達の皮膚の色に対する劣等感は少なくてすんだかもしれません。
それよりも英語がわからんと言う劣等感のほうが大きかったように思います。
私達は教会が始まる10時ぎりぎりに行くのです。
早く行って、10時まで、英語のできない人間が、英語で生活している白人の傍におるのが気まずいのです。
英語が出来ないという劣等感が気まずくさせるのです。
 家では英語の勉強はしないで、嫁はんと二人は島ユミタ(喜界島弁)ばかりです。
それはアメリカに住んでいて、フォークやナイフをあまり使わないで箸を多く使うのと似ているようです。
島ユミタには故郷喜界島の思い出がいっぱい詰まっているからです。
そのくせ、英語の勉強がしたいと教会に来るのです。
どうも矛盾しているようです。
難儀やなあです。
人間が恋しいのです、仲間が欲しいのです。
 でも月日が経つというのはすごいことを起こさせるようです。
今では、劣等感もなくなりました。
英語は十分に通じなくても心が通じるのです。
家族みたいなものです。
以前は私をチャイナメンと呼んでいた年寄りカーボーイのジムと、 腕を出し合って、「ジム、俺の腕の色はだいぶ白人の色に近くなってきたやろう」、と自慢します。
ジムは「ほんまや、白い、白い」と言います。
私の自慢に自信を持たせたのはトヨタ、ホンダ、ソニー、パナソニックのようです。
彼らの口からトヨタ、ホンダ、ソニー、パナソニックの名前が多く出るようになるにつれて、私たちの彼らに対する劣等感も薄くなってきたようです。彼らも、日本人に一目置くようになっているようです。
豊田様、ホンダ様、ソニー様、パナソニック様、厚く御礼申し上げます。 月に1回日曜日にパソロブレスから来る牧師さんにロイが219ドルのチェック(小切手)を書きます。
そしてロイは監査役の私のサインをもらいに来ます。
私は満足した顔でそチェックにサインをします。
そして、そのチェックに私のサインを見た白人の牧師さんの驚きの顔を思い浮かべるだけで楽しいのです。
この時が白人に抱いていた劣等感が優越感に変わる瞬間です。 
ええ気持ちやのう!!
 小さいことだけど、仏教徒の私がアメリカ人から信用され教会の監査役にしてもらったのは大きな自信になりました。
7年間、頑張って精勤したからだろうか。
「継続は力なり」とよく聞くが、「継続は信用なり」でもあるようです。 10-18-2007  フりムン徳さん

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